第14話 アイス・ブレイク-①
すると、レゾンに届いていた魔力の気配がスッと引く。拡散していた魔力が、再度収束している——?
次の瞬間、もっとあり得ないことが起きた。魔獣の周り、陽炎の原因になっていたであろう熱気が白い煙を纏い始めたかと思うと、突然大きな氷となって魔獣に牙を剥いたのだ。
まさか、とは、思うが。
「ま、——魔法——、……魔法使い」
レゾンは居ても立ってもいられず走り出した。奴らは何だ? 本当に人間か⁉︎
魔獣との戦いは続いている。魔獣はさらに魔法を使って熱を高めたり、暴れて体を打ち付けたりして氷を砕いていく。しかし砕かれたそばから氷は霧散し、新たにまた生まれ、魔獣の動きを封じていく。
何だあれは? どうして大型魔獣が真っ向から人間と戦って簡単に負けている?
レゾンは驚愕していたが、おそらく彼らにとってその展開は当然のものだった。彼らはさらに、別なる魔法を使った。この時、レゾンの目はしっかりとそのカラクリを捉えた。
新たな魔力が大型魔獣の前に新たに立ち上り、大きな鎌のような形をとる。それは魔獣の体の一部分のように見えたが、純粋な魔力の塊としてゆらりと宙に浮かんでおり、さらにその奥で腕を振り上げた人間の動きに追従しているように見えた。
まるで死刑の執行のようだった。魔獣が絡みつくように下された重たい鎌にざっくりと切り裂かれ、血を流す。それによって溢れた魔力はまた氷の魔法に力を与える。ワンサイドゲーム。
*
「はあっ、はあ……」
走っただけで息が上がり、視界の端がぐらりと暗く捻じ曲がる。まともに飲み食いしていないせいだ。
大型魔獣を仕留めた集団は、幸い心臓の冀石化を待つ間そこに留まっていたようで、追いつける距離にいた。しかしもう少しというところで、荷物をまとめきって東へ発ってしまう。
「ま——待ってくれ!」
レゾンは声を張り上げて彼らを呼び止めた。しかし、止まってくれる気配はない。聞こえていないのか? いや、大型魔獣を慣れた様子で捌くような集団に限ってそんなことはないだろう……。無視されているのだ。レゾンは体力を振り絞って追いついた。彼らはやはり人間だった。集団のあちこちから魔獣と紛うような魔力の気配がするのは、その数だけ「魔法使い」がいるということなのか? 砂漠に適応した布の多い衣装……、この階層で暮らして長いようだ。それぞれの年齢層のバランスは健康的で、若い子供は目の前の少女を含めて六、七人ほどいる。
「すまない、俺はレゾン、第33階層都市ギラムの生き残りだ……一昨日、〈昇梯〉してきた。砂漠続きで困っている。どうか身を寄せさせてくれないか。……俺の言葉が分かるか?」
そこでようやく、三、四十人いるうちの二、三人が振り返ったが、沈黙。言葉が通じていないのだろうか。レゾンは都市ギラムで使われていたいくつかの言語を試そうと思ったが、二つ目のユンカ語で当たりを引いた。
「ほら……〈昇梯〉してきたと言っている。可哀想じゃないか」
とキィル族系の訛りで静かに言うのは、温厚そうな男性だ。その隣で、ぱっつんと切ったピンクブロンドの髪を短い尾のように結った少女が、レゾンを一瞥だけして反対する。
「ウソに決まってるでしょ。まったく、毎回毎回言い訳ばっかり考えてくるんだから……。——仲間はどこ?」
自分よりいくつも下であろう少女に高圧的に訊ねられて、レゾンは「仲間?」と困惑しながら答える。「俺は一人だ。生き残りがいないと断言できるわけじゃないが……少なくとも合流できてはいない」
「一人ね。なら、一人ぶんの冀石を削り出してあげるから。それで帰れる?」
「冀石?」何の話をしているんだ?
確かに、〈大浸食〉の周期が極端に早まっていることが判明した以上、遠くないうちにまた〈昇梯〉する必要はあるが……彼らはまだそのことを知らないだろう。一人ぶんの冀石くらいなら、レゾンは剣一本で事足りる。魔法使いを擁する集団と出会って収穫がそれだけなんて冗談じゃない。
彼らの仲間たちは面倒臭そうに立ち止まって、こちらには無関心に雑談していた。早いところ二人に追い払ってもらって歩みを再開しよう、という心算が透けて見えた。
「それで引けないならお話にならないでしょ」
「待て、冀石が欲しいなら俺は自分で戦うさ。俺は今日明日のために力添えが欲しいんだ……」
都市の存続という壮大な未来を語っていた人間にとって、それは敗北を認めるセリフだった。正直に言い切ったレゾンに、しかし、彼女は我慢ならないといった風にキッと睨んでくる。
「冀石じゃ飽き足らず、あたし達の資源も盗もうっていうの⁉︎」
「だから、冀石はいらないんだ、貴方がたの不利益はなるべくないようにする——」
「どう言い換えようが無駄だってば! 帰って、自分達の問題は自分達で解決して!」
「か——」レゾンは自分よりも二回り小さい少女に気圧されて、か細い声で呟いた。「帰る場所なんて……」
その声が掠れてあまりにも弱々しかったので、レゾンは自分で愕然とした。レゾンはこれまで、都市や“海”に通用するかはさておき、自分を強い人間だと信じられないことはなかった。
足元が崩れていくような感覚だった。レゾンの強さは、第33階層の知れた環境と、都市人のルールの上で相対的に成り立つものだった。都市というものがあればあるいは、第34階層でも一個の強者として振る舞えたかもしれない。誰かの先頭に立って彼女達と堂々と交渉する自分の姿が、ありありと思い浮かんだ。だが今レゾンは一人だった。
では、何のために生きなければならないのか?
「……そうか……いや——分かります。貴女がたの警戒心は」
「——……」
「でも、俺には本当に帰る場所がない。だから貴女の言うような諦めかたはできない」
俯いて、レゾンの目元は白橡の髪に遮られる。淡々とした言葉を紡ぐのは通らない声で、覇気というものが全くない。……弱者の演技をするのは初めてだ。いや、演技ではないか。
レゾンは剣帯を解き、緩やかな動作で剣を地面に置いた。もう気休め程度しか残っていない物資も。これで丸腰だ。
「先に、少しだけ話を聞いてください。先払いの対価と言ってはなんですが……、——第33階層の都市ギラムのことをご存知ではありませんか?」
少女は興味なさげに黙って、男と顔を見合わせた。「昔話の中で聞いたことがあるような気がしないかい」「えー? 忘れちゃった」
「二百年続いた都市です。俺はそこの生き残りで、そこで蓄積された知識を提供できます。たとえば——貴女がたのユンカ語の訛りはキィル族系だ。キィル族は階紀四九九年に第25階層の〈大浸食〉に立ち会っていますね。キィル族の本流は都市ギラムに合流しましたので、俺はそれを知っています」
「へえ、そうだったのか」男は初耳というように素直にそう相槌を打った。
「そして、貴女がたにとっても極めて重要であろう情報が一つ」
注意を引く。その時にレゾンは、彼らがレゾンを警戒しているのではないということを理解した。当然かもしれなかった。彼らは魔法を使える。
「〈大浸食〉の周期はおよそ二十年刻みとされています。そして現在は六〇六年……、その通説に従えば、“海”に呑まれた階層は三十と考えられる」
「…………」
「しかし、第33階層都市ギラムを滅ぼしたのは——〈大浸食〉なのです」レゾンはそこで、男と目を合わせて言った。「つまりこの百年余りで、八つの階層が“海”に呑まれたということです。この階層にも、きっと貴方がたが想定しているほどの猶予はない」
さて、どういう反応が返ってくるか——。レゾンはカニスの、「やめてくれ、そんな滅相なことを言うのは」と言わんばかりのオロオロした表情を思い出していた。
しかし彼女らの反応は予想と違った。
「……それは、本当かい」と男。
「本当です——」
まさか、信じてくれたのか? 若干拍子抜けしつつ頷くと、彼は少女の方を見て、「キュミル」とその名前を呼ぶ。それで何か意思を伝達したのか、少女は嫌そうな顔をしながらもレゾンの方へ歩み寄ってくる。
その時、一つの大きな魔力の気配が動いて——レゾンはハッとした。この少女が、まさかあの「魔法使い」の一人か!
「〈大浸食〉で、一人しか生き残れなかったの?」
「……俺は幸い、山の上にいたんですよ。他のメンバーは別行動中に」
「そう。わたしが確かめてあげるよ」キュミルはニコッと笑った。「本当に〈昇梯〉したてなら、キミの体にはべっとり魔力がくっついてるはず——」
「……! 君、魔力の気配が分かるのか?」
「もう焦っても遅いよ」
まさか同じ体質かと思って食い気味に訊いたレゾンに、キュミルは誤解してそう言い、トトッと距離を詰めるとレゾンの左手をとった。色素の薄い水色の瞳に下から覗き込まれる。




