源義親伝説③
「これが従五位下、左兵衛尉、そして対馬守に任じられ、『天下第一の武勇の士』と称せられた八幡太郎義家の嫡子、義親殿の最後か――」
正盛も平山同様、嘆いた。
正盛は義親の弟、義忠の舅でもある。義親は正盛一門の人間と言えた。仮にも一門の縁者として、あまりに義親が不憫だった。
(おのれらに、情けはないのか! これが仮にも武家に対する仕打ちか)
正盛の胸に、無慈悲な島民に対する怒りが湧いた。
「恩賞を取らせるので、源義親誅殺に加わったものは、村長の家に集まるように」と与平に命じた。義親忙殺に加担した村人が、三々五々、与平の家に集まって来た。
正盛は平山に命じて、部下たちに与平の家を包囲させた。異変に気が付いた村人が騒ぎ始めた。村長の家を出ようとしたが、門を固める武士に押し戻された。一人の村人が塀を越えて逃げ出そうとしたところ、家の周りを包囲していた武士により矢を射られ、塀から転げ落ちたところを槍で突かれて殺された。
そして死体が与平の家に投げ込まれた。
「わしらは隠岐守様の命により、対馬の殿を亡き者にしただけじゃ。わしらを一体どうするつもりじゃ!?」、「褒められこそすれ、わしらに罪はない。約束通り、褒美を寄越せ!」村人は口々に喚いたが、正盛は「『生け捕りにせよ』と申し伝えたはず。誰が対馬守を弑した上に、むくろを無残に晒せと命じた!」と相手にしなかった。
「屋敷に火を放て!」正盛は平山に命じた。四方八方から火矢が撃ち込まれた。
与平の屋敷はあっという間に炎に包まれた。
「屋敷から逃げ出そうとする者は、全て射殺せ。一人も屋敷から逃すな!」
正盛の下知が飛ぶ。正盛は島民に恩賞を与えず、島民たちを誅戮してしまった。
時は流れ、義親の悲劇から九百年後。
呪われた島を舞台に、悲劇が再び繰り返されようとしていた。
島の南東部、僅かに広がる平地の山寄り高台部分に、村の名家、津島家があった。港に近く、村を一望できる絶好の場所だ。屋敷は石垣の土台の上に建てられ、白壁で囲まれている。ちょっとした要塞の雰囲気だ。家の正門へは道路から勾配の急な坂道が続いている。
正門の坂道を下った辺りに、松の木が群生しており、昼間でも濃い木陰をつくっている。夕暮れ時になると、その辺りだけ、まるで切り取ったように真っ暗になる。
ようよう陽が長くなってきているが、日が落ちると夜気が肌を差すような夕べだった。津島家の当主、津島智則は家路を急いでいた。
門前の松林を通り過ぎようとした時、「ばあ」と奇声を上げながら、林から人影が飛び出して来た。突然の出来事に、智則は「うわっ!」と悲鳴を上げて、両腕を顔の前で交差して身を守ろうとした。
だが、何も起きない。「うふふ」と甲高い笑い声がした。
恐る恐る両腕を降ろして、松林から飛び出して来た人物を見ると若い女だった。相手が若い女だと知り、智則は警戒心を解いた。
――誰だ?
見たことが無い女だ。若い女が両手を広げて、通せん坊の恰好をしている。茶髪で、目元を黒々とアイシャドウで塗りつぶしており、年齢がはっきりとはしなかったが、まだ二十歳前後のようだ。
丈の短いスカートをはき、体にぴったりとしたシャツの上から薄いカーディガンを羽織っている。島では見かけない顔だ。旅行客が訪れることなど滅多にない辺鄙な島だ。島人の顔は大抵、見知っている。だが、見たこともない顔だった。
「お嬢さん、わしに何か用ですか?」
腹立ち紛れに少々、強い口調で女に尋ねると、「おじさんが、つしま・・・とものりさん?」と舌足らずな喋り方で尋ねた。
「ああ、そうだよ。わしが津島智則だ。何か用かな?」智則が頷く。
「やっぱり~。おじさんのこと、ここでずっと待ってたんだよ。だんだん暗くなるし、嫌だなあ~と思ってたんだけど、知恵、ずっとおじさんのこと待っていたの」
女は知恵という名前らしい。智則を上目遣いで見上げながら、くねくねと体をくねらせた。肉付きが良くて、手足が長い。
「そうかい、で、何で、ここでおじさんを待っていたのかな?」
「う~んとねえ・・・」
知恵は体をくねらせるだけで、なかなか用件を切り出そうとしない。焦れる気持ちを押さえながら、もう一度、子供に聞くように辛抱強く、用件を聞いてみた。
「それで、何で、おじさんをここで待っていたのかな?」
「あのね――」知恵はいきなり智則に抱きついて来た。
小柄な知恵は智則の首に腕を絡めると、爪先立ちで伸び上がり、抱き付いて来た。そして、柔らかい唇を重ねてきた。
あっという間の出来事だった。
知恵は重ねた唇から粘りつくように舌を絡めてきた。
智則は突然の出来事に呆然とし、咄嗟のことに、どう反応して良いのか分からなかった。知恵にされるがままになっていた。ほんの一瞬だったかもしれないが、智則には随分、長い時間のように感じられた。
頭は知恵の突拍子もない行動に驚きながら、体は本能的に若い娘の唇を貪っていた。そして、腕は若く豊満な知恵の体を支えるように抱きしめていた。
仕草や喋り方は幼いが、知恵ははち切れんばかりの胸に、ふくよかな腰つきをしていた。熟れた果樹を思わせた。智則は唇を重ねながら、知恵の背中からふくよかな腰に手を回した。
「あん――」と知恵は呻き声を上げ、唇を離した。そして、絡めていた腕を解くと、とんと地面に降り立った。
智則は離れて行く知恵の体を、もう一度引き寄せようと腕を伸ばした。
「今日はここまでよ。明日もここで待っているから、早く帰って来てね。あんまり知恵を待たせちゃ嫌よ」
知恵は優しく智則の手を払いのけながら、小悪魔的な笑顔を浮かべた。乱れた口元の口紅が艶かしかった。
「・・・」智則は言葉を失った。
「はい、これ。口紅いっぱいついちゃったね」
知恵はポケットからティッシュを取り出すと、一枚、抜いて智則に渡した。松林は自宅の真ん前である。もし家人が出てくれば、智則と知恵の存在に気がついてしまう。
ティッシュを受け取ると、智則は夢から覚めたかのように、ごしごしと唇を拭いた。知恵はもう一枚ティッシュを抜き取ると、智則の口の周りの口紅を拭くのを手伝いながら言った。
「奥さんに知れると、大変だもんね。綺麗にしとかなきゃあ――」
知恵に口元を拭かれながら、智則は知恵の胸元の谷間を食い入るように見つけ続けていた。
「またね――」知恵は智則の視線から逃れるように、くるりと後姿を見せると、日が落ちて薄暗くなった道を駆けて行った。
夕暮れに消え行く知恵の後姿を見送りながら、智則は何度もこぶしで唇を拭った。




