炎天下の吸血鬼
「寝坊助」
食堂へ足を踏み入れた途端、聞き慣れた声が飛んできた。
声の主を探せば、窓際の席でガルが大きく手を振っている。
黒髪の間から覗く獣耳が、朝から元気よく揺れていた。
「……誰のせいですか」
「知らーん」
素知らぬ顔で笑っているが、昨日酔い潰れた彼女を引きずって帰ったのは僕だ。
ため息を呑み込んで空いている席へ向かうと、すっと椅子が引かれた。
振り返れば、アイリスが満面の笑みで立っている。
有無を言わせぬその慈愛。大人しく座るしかない。
「ありがとうございます」
腰を下ろした直後に水が置かれ、カゴのパンへ手を伸ばそうとすれば、先回りして皿へと載せられた。
子供じゃないんだけどなぁ。
ふと、向かいからの視線に気づいた。
腕を組んだカーラがじっとこちらを見ている。
相変わらず背筋が真っ直ぐだ。食堂なのに、一人だけ見張り番みたい。
赤い髪が肩の後ろで揺れる。
「どうかしました?」
「寝不足か」
短い指摘に、思わず目元を擦る。
「そんなにですか」
「少しな」
昨夜は確かに遅かった。
帳簿を片付け終えた頃には、だいぶ夜も更けていた気がする。
「また金勘定か?真面目だなぁ」
ガルが豪快にパンを齧りながら口を挟む。
「おかげさまで。食事代、三回間違えましたよね」
「細けぇなぁ」
細かくはない。
「というか夕食の肉。なんですかあれ」
「必要経費だろ」
「四人前もですか」
「育ち盛りのこの身が恨めしいぜ」
──こつり。
乾いた音を立てて、ティーカップが置かれた。
隣を窺う。アイリスが、それはそれは綺麗な笑みを浮かべていた。
「レオちゃんが手伝ってくれて、本当に助かってるのよ?」
温度が下がる。
「うちのパーティーには、だーれもやってくれる人がいなかったから。皆も気を遣ってほしいものだわ」
数秒の、恐ろしい沈黙。
「……ね?」
「……ッス」
勢いよく両手をあげるガル。観念が早い。
向かいの席では、巻き添えをくらったカーラが気まずそうに視線を逸らしていた。
「メロウちゃんも」
僕の左隣で食卓に突っ伏していた青髪がもぞりと動いた。
起きてたんだ。
「適材適所ぉ……」
ふわふわの青い毛玉はそれきり動かなくなった。
◇
「ルナが戻っていないようだ」
朝食も終わりに近づいた頃、カーラが声をあげた。
曰く、部屋に気配がなかったらしい。
「トラブルかしらね」
神妙な顔で答えたアイリスから、僕の口へパンが差し出される。
食べる。
そんな僕は、膝枕をさせられたメロウの口へパンを運んでいる。
何これ。
「交易路の……砂ザメでしたよね。大丈夫でしょうか」
ルナは大抵のことを力尽くで解決する。解決できてしまう。
だから朝まで戻らないのは珍しかった。
「あのババア、どうせ巣でも突ついたんだろ」
う~ん口が悪い。
――ぴしり、と硝子にひびが入るような音がした。
「げ」
ガルが顔をしかめて呻く。
何もない空間が裂ける。黒い亀裂。
その向こうから、見慣れた金髪の少女が現れた。
目的はきっと……
「あつい」
開口一番それだった。
真っ直ぐに僕の元へと歩き、問答無用で引っ張られる。
「来い」
支えを失い、頭をごちんと打ち付けたメロウがいたい~と泣いている。振り返る暇もなかった。
――去り際、ルナは思い出したようにピッと指を差す。
「クソガキは後で仕置きじゃ」
ガルの苦悶の声が聞こえる。
う~ん口は災いの元。
◇
景色が歪む。
次の瞬間、熱風が顔を叩いた。
反射的に目を閉じる。
暑い。
恐る恐る目を開けば、どこを見ても砂だった。
見渡す限りの砂海。照り返しが眩しい。
そして、足元には何もない。
僕たちは砂漠の上空に浮いていた。
「半分じゃ」
予想していた。
依頼先が砂漠だと聞いた時から。
僕を抱き留めた腕から黒い煙が上がっている。
太陽に焼かれた肌は赤く爛れ、それでも瞬く間に再生していた。
燃えて、治る。
治って、また燃える。
息を吐き――痛みに備えて奥歯を噛み締める。
『スケープゴート』
途端に、その肌を焼いていた炎が掻き消えた。
代わりに全身へ熱が走る。
「っ……!」
溶けた鉄を流し込まれたみたいだ。
熱い。
けど……耐えられる。
「だいぶマシじゃ。集中できんでの」
呑気な声が降ってくる。
不死の王も太陽だけは嫌いらしい。
ルナが目を閉じた。
灼熱の風が吹き荒んでいる。
息を吸うだけで肺が焼けそうだった。
数秒。
「おったわ」
直後に、景色が弾け飛んだ。
速い。
そんな感想すら追いつかない。
猛烈な風圧が過ぎ去り、不意に体が浮いた。
眼下に、巨大な砂煙が渦を巻いていた。
多数の魔獣が蠢いている。
砂の海を泳ぎながら、獲物を求めて群れを成していた。
――じりじりと肌を焼いていた暑さが消える。
代わりに冷気が降りてくる。吐いた息が白い。
全身で熱が暴れているのに、外の空気だけが冷たかった。
酷くちぐはぐで、狂ったような感覚。
ルナの赤い瞳が眼下を見据えた。
「凍れ」
たった一言。
世界から音が消える。
砂煙が止まった。
舞い上がった砂粒が空中で静止する。
白い結晶を纏いながら、きらきらと輝いていた。
そこから先は一瞬。
黄金色の砂海に、銀色の円環が広がる。
眼下に広がる砂丘が。
跳び上がろうとしていた砂ザメが。
荒れ狂う砂嵐までもが。
凍りついていく。
ぱきり。
遠くで何かが割れる。
ぱきり。
またひとつ。
やがて無数の亀裂が大地を駆け抜けた。
――暫しの静寂。
視界の端々で巨大な氷塊が崩れ落ちる。
先ほどまで魔獣だったもの。
透明な破片が陽光を弾きながら砂の上へ散っていく。
その光景に、身を焼く痛みさえ一瞬だけ抜け落ちた。




