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第3話 満身創痍のルーティーン

「事前調査がザルじゃ」


治癒を続ける手に、無言の不満がこもる。

『わしのせいではなかろう』とルナが顔をしかめた。


ベッドへ寝かされたまま、僕は天井を見上げていた。

ひりついていた熱が少しずつ引いていく。


現地で報告を終え、宿へ戻ってからずっとこの調子だ。

ギルド職員のひと、半泣きだったなぁ……。


「ありがとうございます、アイリスさん。もう平気です」


身を起こそうとして――


「まだ」


肩を、すっと押し返された。


黙々と光を注ぐ横顔は、どこか不機嫌だった。

僕に怒っているわけではない。

これが僕の役割だと、彼女だって分かっている。

分かっているから、口にはしない。


「でも、もう動けますから」


「ダメ」


短い拒絶。

胸へ添えられた手に力がこもる。


ふと気付けば、腕に重みが増えていた。

メロウだった。いつの間に潜り込んだんだろう。

青い髪が腕へ絡みついている。このまま動く気はないらしい。


不思議と気が抜けた。


「ようやった、レオよ」


枕元に立つルナの手が、ぽんと頭に乗った。

ぽんぽん、と軽く撫でられる。


アイリスさんには悪いけれど。

役に立てたのなら嬉しい。

僕にはこんなことしかできないから。




――めきっ。


「ぐっ……ん゛ぃ゛~~~~~」


逆の手ではガルの頭蓋骨を軋ませていた。

う~ん、僕には何もできない。

そっと目を逸らすことにした。




やがて悲鳴も弱々しくなり。


「わしは寝る」


ガルをぽいと放り投げ、ルナは自室へと戻って行った。

入れ替わるように、こんこんと扉が叩かれる。

半開きになった扉の隙間から、カーラの赤い髪が覗く。


「今日はどうする。休むか」


「やります」


「……そうか」


わずかな沈黙。


「午後からだな。少し寝ろ」


音もなく扉が閉じられた。

胸元の手が動きを止める。

深い溜息。聞かなかったことにする。


「……ってぇ」


頭を押さえて起き上がったガルに、くしゃくしゃと髪を掻き回された。


「頑張るねぇ。俺らも行くか……メロウ」


「今日は、休む……」


「依頼受けちまっただろ。諦めろ」


ずるずる。

僕に寄りかかっていた大きな身体が、気怠げに引き剥がされていく。


「サボったらアイリスがキレるぞ。ほら立てって」


「むり……レオ、助けて」


伏し目がちな青緑色の瞳がこちらを見る。

すり寄ろうとするのを、ガルが必死に食い止めていた。


「……頑張りましょう」


しばらく視線を彷徨わせて。


「帰ったら、髪」


「……梳きますよ」


メロウの動きが、ピタリと止まる。

少しだけ口元を緩めると、のっそりと立ち上がった。


「なんでそれで動くんだよ……」


ガルが呆れたようにぼやく。


「ん。いってくる」


のそのそと歩き出す大きな青い背中。

ガルと一緒に部屋を出ていくのを、僕はベッドの上から見送った。

起き上がったら怒られそうなので、大人しくしておこう。







本日二度目の炎天下だった。

とはいえ、砂漠に比べればだいぶマシだ。


街の外周を走り始めてから、もう何周目だったか。

肩で息をしながら木陰へ腰を下ろす。

正確には、倒れ込むように幹へもたれかかった。


目の前へ水筒が差し出された。


「ありがとうございます」


冷たい水が喉を通る。

生き返る気がした。


カーラは立ったままだ。


腰へ巻かれた鎖が、じゃらりと鳴る。

冗談みたいな量の鎖だ。


同じ距離を走ったはずなのに、呼吸ひとつ乱れていない。

改めて見ても意味が分からなかった。


「調子は」


「平気です」


カーラは僕の顔をじっと見ている。

やがて、ふっと視線が外れた。


水を飲み終える。


足が鉛のように重い。


きつい。


……空になった水筒を返す。


「行けます」


「そうか」


じゃらり。

鎖を鳴らしながらカーラが走り出す。

慌ててその背中を追いかけた。




宿へ戻る頃には、足が笑っていた。


裏手の空き地。

汗を拭い、深く息を吐く。

荒い呼吸が落ち着くのを待ち、立ち上がった。


「お願いします」


カーラは無言で頷くと、薪の脇から無造作に木剣を拾い上げる。

僕も腰の短剣を抜いた。


「いつも通りだ」


いつも通り。

死ぬ気で避ける。



木剣の切先がわずかに下がる。


力みも、隙もない。

ただ静かに風が吹いているだけだ。


膝が沈んだ。

地面を蹴る音すらないまま、カーラの身体が滑るように眼前へ迫る。


一撃目。

放たれる鋭い突き。

足を使って体ごと横へ捌く。


鼻先を木剣が掠めた。

僕の動きを追う気配はない。ただ真っ直ぐに、切先だけが空を切った。


だが、息をつく暇はない。

突きの姿勢から淀みなく手首が返り、二撃目。

下段へ滑り込むような横薙ぎ。迷わず後ろへ跳ぶ。


剣筋が腹の手前をかすめて通り過ぎた。


カーラの身体が一段深く沈む。


三撃目が来る。

下からの切り上げ。


横へ跳ぼうとして――足が、動かない。

疲労が重さを持ち、踏み出しを遅らせた。


躱せない。


咄嗟に短剣を差し込んだ。

迫る木剣に合わせ、流すように受ける。


支えきれない。


足が地面を離れる。

宙へ持ち上げられ――背中から叩きつけられた。


乾いた衝撃が全身に広がる。

土埃が舞い、呼吸が一瞬途切れる。


「っぁ……!」


短剣が手から落ちた。

胃がせり上がるような感覚に、体を丸めるしかなかった。息が、入らない。


追撃はない。

咳き込みながら視線を上げる。

木剣を下げたカーラが見下ろしていた。


……こんなもの、肩慣らしにすらならないだろう。


痛みを呑み込む。

震える足に力を込め、泥だらけの短剣を拾う。


「……お願いします」


カーラは数秒黙り、小さく頷いた。

再び木剣が構えられ、空気が変わる。

気遣うような気配は消え失せ、容赦のないプレッシャーが肌を刺す。


僕は短剣を握り直す。

細く息を吐いて、正面へと向き直った。




――その後の記憶は、ひどく曖昧だ。

僕は幾度となく宙を舞い、最後は泥に伏して動けなくなった。


宿に戻ると、ボロボロの惨状を見たアイリスが、分かりやすく頬を膨らませていた。

いつも心配させてしまう申し訳なさを覚えつつも、温かい治癒の光に身を委ねる。


夕食の席でも、半分意識が飛んでいた。

何度もうとうとする僕を見て、アイリスは深くため息をついていたと思う。


食後。

夜の予定をぼんやりと考えながら、重い足取りで裏手の木桶風呂へ向かう。

半分寝ぼけたまま服を脱ぎ、湯気を立てる湯船へゆっくりと足を入れた。


「滑るぞ。気をつけろ」


「あ、はい」


湯気越しに聞こえた低い声に、素直に頷く。

そのまま、ちゃぷんと肩まで湯に浸かった。

全身の痛みがゆっくりと溶けて――。


……んっ!?


一瞬で、眠気が吹き飛んだ。

薄暗い湯気の、真正面。

カーラが、無表情で湯に浸かっていた。

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