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賭けをしよう。

 その日は、季節でもないのにじめじめとした、湿気の強い一日だったことを覚えている。

 いつもの帰り道に、しづるさんはやってきた。しかし、この日は徒歩だった。車はガソリンがなくて動かせないと愚痴っていた。

「しかし、車がないと不便だな。ここまで来るので疲れた……おい、おぶってくれ」

 素の表情で言わないでほしい。

 こういうときにいつもの笑みを浮かべていないから困るんだ。僕はしづるさんをおんぶする気など毛頭ないし、疲れるのなら帰ってほしい。

 湿気からくる暑さに汗をかきながら、そして僕の横で愚痴を零しながら、しづるさんは僕の住んでいるアパートまでやってきた。しかたないので部屋へ上げると、無表情で「狭いな」と呟く。

 この女、僕に嫌がらせをするためにわざわざやって来たのだろうか。しづるさんの言葉にはなにも答えず、座布団を彼女に渡して、小さいちゃぶ台を部屋の中央に置く。

 これだけでもう、僕の部屋はいっぱいいっぱいだ。

「……そうだなあ……暇だし、賭けでもしようか」

 賭け?

 僕が台の上に乗せたコップをどかして、床に転がっていたトランプを拾う。しづるさんはそれを数回、ほとんど混ざっていない程度に切ってから僕に渡してきた。

「好きなのを引いて。それを私と君が交互に予想する。当たったらその時点でその人の勝ちだ」

 本当に、暇なときにしかやらなさそうな賭けだ。しかし、ここで断ったところで、結局はむりにやらせるんだろう。僕は溜息をついて、真ん中からカードを一枚引く。それをちゃぶ台の中央に置いてから、どうぞとしづるさんを促した。

「スペードの2」

 トランプを見ることもなく、あっさりとしづるさんが告げる。僕も同じようにして、ダイヤの3だとにべもなく答えた。僕がそれをひっくり返すと、そのトランプはスペードの2だった。……こんな簡単に、当たるものなのか?

 思わず見入っていると、しづるさんはつまらなさそうに息を吹いて、手を差し出してきた。

「はい」

 なにが「はい」なんだ。

 僕の視線に気づいたのか、しづるさんは「負けたでしょう」とガソリン代を要求してきた。賭けとは聞いたが、賭けの対象は聞いてない。

 慌ててそれを拒否すると、しづるさんは不機嫌そうに僕を見た。それから、意地の悪い笑みを浮かべる。

「イイコトを思いついた。もう一回、賭けをしよう」

 僕の目をまっすぐに覗き込みながら唇を歪める。……最悪だ。

 断ろうとした僕に、しづるさんはおもむろに取り出したナイフを見せた。――バタフライナイフ。握りが開いて刃を収めるといった、おもしろい形状のナイフだ。

 呆然と見ている僕の目の前で、それを手の上でくるくると、器用に回す。目を細めて、僕へその切っ先を向けた。

「逃げたらどうなるか、知らないぞ」

 言って、ナイフをちゃぶ台の中央に突き刺す。大きな音がして、部屋の壁が震えた。

 それから黙りこくってしまった僕に構わず、しづるさんはトランプを配り始めた。僕としづるさんの分を均等に配り分ける。……なにをするつもりなんだろう。目を向けると、しづるさんは顔を上げることもなく、自分の手札を整理しながら呟いた。

「ダウトだ」

 ダウト。確か、1の数字からプレイヤーが交互に、順番に並べていき、その数字ではないと思ったときにコールするといった内容だ。コールが正解なら、相手がいままで出したカードを、不正解ならコールしたプレイヤーがそれを手札にする、といったルールだ。

 僕は聞きたくなかったが、手札を並べながらしづるさんに聞いた。賭けはなににするのか、と。

 ここで、しづるさんは顔を上げた。その顔は、てっきり笑っていると思ったが、全く笑っていない。無表情、というわけではなかった。さきほどの賭けのような、つまらなさそうな顔で、一言。

「命」

 自分の手札を並べるしづるさんを呆然として見ながら、僕は喉を鳴らした。

 僕もしづるさんも手札を並べ終えて、いよいよ始めようかというときに、僕はしづるさんに声をかけた。ダウトは二人でやるようなゲームじゃあないからだ。いくらなんでも手札が多すぎるだろうと思って、僕はしづるさんに声をかけたのだ。

 これじゃあ、終わらないかもしれない。

 そんな僕の心配、いや、一縷の望みを、しづるさんは首をかしげてから、少しの間を置いて言った。

「なら、コールにリスクをかけよう」

 コールにリスク? それは手札が増えるだけではないのか。嫌な予感を覚えながら、しづるさんの次の言葉を待つ。

「コールを失敗したら、手首に刃物を1ミリ食い込ませる」

 ――この馬鹿女。当たり前だが、そんなことは絶対に嫌だ。僕が顔をしかめていると、しづるさんは「間違えなければいいんだ」と言って、キュ、と笑う。――気分が悪い。

 だが、考えてみればできないわけじゃない。手札をもっているのは僕たちだけであり、僕のもっていない手札をしづるさんが、しづるさんがもっていない手札を僕が持っているのだ。

 そう気づいた瞬間、なんだか気分が楽になった。ならばこれはコール合戦になるだけで、終わりはない。時間が過ぎれば、しづるさんも飽きて帰るだろう。僕はそう考えて承諾した。

 僕が頷くのと、しづるさんが意地の悪い笑みを浮かべるのは同時だった。

「ジョーカーは、好きなカードに化けることができるというルールを追加しよう」

 しづるさんの目の中に、僕がいた。しづるさんの目の中にいる僕は、冷や汗を流しながら、震える手で手札をまとめていた。

 ――ジョーカーなんて、僕の手札にはなかったんだ。



 僕としづるさんは、左手の手首の上に包丁を乗せている。その手はガムテープで固定されて、動かせない。自由な右手だけでこのゲームをやるために、僕ら互いに仕切りをして、自分の陣地の中を相手に覗かせないようにして、畳の上に手札を並べていた。

 はっきり言って、怖い。しづるさんはジョーカーを二枚持っている。なぜだ、僕に運がなかったのか。それともしづるさんが仕組んだのか。あの女がジョーカーを持っていると言うことは、あの女はなんの躊躇いもなく僕にコールできるということだ。……僕と、違って。

 意外と重く、そして冷たい、僕の手に乗る刃。それは僕の手首の上にあり、脈を圧迫している。お陰で血流が痛いほどにわかった。――もう、泣きそう、だ。

 俺は息を止めた。仕切りのせいでしづるさんの顔は見えない。それは相手も同じ。トランプを出す場所は、仕切りがあってもちゃんと見えるように、僕から見て右手に置いてもらうことにした。――この人はイカサマはしないと思うが、念には念を入れねばならない。

 僕は持ち札を見た。しかけるのは、Qだ。胸中で呟く。僕のQはダイヤとスペードの二枚。最初の1は、しづるさんから始まることになっている。一巡したら、次は僕からだ。こうやって交互にトランプを出していくんだけれど、これでは偶数の手札をもつ僕が、さきにQが切れる。しづるさんのほうも奇数でさきに切れるのがいくつかあるが、僕は後半となるQに罠をしかけるのだ。

 三巡目のQを別の持ち札に変える。こうして五巡目にあの女のコールを誘う。そうすればしづるさんは、場に出たカードを持ち札に加えて振り出し、うまくいけば僕が勝つ。……絶対に裏をかく。これを成功させるためには、僕としづるさんがペナルティを受けないとできない状態だ。まるで不確定だ、けれど、絶対に――成功させる。

 ここまで考えて、僕は自分の浅はかさに気づいた。この程度の策はしづるさんだって仕掛けるはずだ。――いや、ここはあえて僕の罠にかかるまでコールはするべきじゃない? ……どっちにしろ、こんな手があるんなら、最初から承諾しなければよかった。この手が使えるなら、ジョーカーなどあってもなくても意味を成さないではないか。

「……じゃあ、そろそろ始めるよ」

 仕切りから、顔が覗いた。嬉々として瞳を輝かせるその顔に、僕は恐怖で心臓が押し潰されそうになった。結局、有効な策なんて打ち立てられちゃいないんだ。

 しづるさんが、最初の一枚を出した。最初の一枚、つまり1。1は――全て僕の手札にある。ここは――コールするべきだ。僕も、普通のトランプゲームならそうする。そう、これが「普通」のならね。

 ……もし、これがジョーカーだったら。最初の一回目からジョーカーを切るような奴がいるのか。いや、可能性がないわけじゃない。僕はコールしなかった。

 チャンスなら、まだあるんだ。時間だって、たっぷりかけてもいい。これは、遊びじゃなく――真剣勝負だ。

 僕の頭からは、いつの間にか「しづるさんが飽きるだろう」という考えはなくなっていた。とにかく、このゲームに勝たなければ、あの女の裏をかかねばという気分で一杯になっていた。

 僕の心情をよそに、淡々と、このゲームは進行していった。

 罠をかける。まずは1を入れ替える。1をQと入れ替える。――これしか、頭には入れていない。コールは1のときにやる、それだけだ。

 必要最低限の行動を頭にセットしたまま、一巡が終わった。僕の番だ。この回は僕が奇数。けれど、素直に1は置かない。僕は2を置いた。――大丈夫だ、大丈夫。

 そう、自分に言い聞かせながら、仕切りの中へ頭を戻そうとしたときに、しづるさんと目が合った。目を片方だけ覗かせて、哂っている。

「ダウト〜」

 ……、なんでだよ!

 なんで、どうして……。僕は場に出されていたトランプを、無言で回収した。僕はなにかアクションを起こしたのか。いや、そんなはずはない。なら、目を見て僕が嘘をついているとわかったのか。――いや、あれは最初からコールする気で哂っていたんだ。

 まずい、駄目だ――混乱しちゃあ、駄目だ。気持ちを切り替えて落ち着けないと。これでいいんだ、五巡目へ行くには、これが絶対条件のはずだ。

 深呼吸を繰り返す。けど、これは――きつい。もし僕が、それっぽい動きをしたんなら、自分でも気づくぐらいの動きをしたのなら、納得できる。でも、なぜしづるさんは気づいた? こういうことがないように、ずっとうつ伏せでカードを出してきたのに――出す順番として持ち札を並べていたのに、なのになぜ!

 …………。

 仕切りの向こうにいるしづるさんを睨みつける。絶対に五巡目に行かせる、絶対だ。

 ――整理して新たに加わった持ち札の中に、ジョーカーはない。なら、次で、次の1でコールしてやる。僕がトランプを置こうとすると、しづるさんが呼び止めた。しづるさんは、仕切りの向こうから声をかけてくる。

「次もコールかけるけど、大丈夫?」

 ……落ち着け、あれは揺さぶってるだけだ、本当にする気なんてない。

 僕は2を置いた。それに対して、あの女は再びコールした。

 ……なんなんだこの女は! 予知能力でもあると言うのか。混乱する僕の頭に、最初の賭けで造作もなくトランプのマークと数字を当てたしづるさんの姿が呼び起こされた。あのときはしづるさんがマークも言ったため、自分も適当にマークと数字を組み合わせたが――マークと数字を揃えて当てることができるほど、この女は勘がいいのか。異常だろう。

 静かに、1を置く。しづるさんはなんの気負いもなく、トランプを僕の1の上に重ねた。――僕が苦心して出した一枚の上に。

 それからは結局、僕らはなにも言わずに、ただトランプを重ねた。

 そして三巡目。しづるさんが1を出す――いや、1はないから、1ではないなにか、だ。どちらにしろただそれが「アウト」なのか、「セーフ」なのか。それがわからない。――そして。僕は安易にこの1を三巡目に回したことを後悔した。

 僕は決めれなかった。いつまでたっても、「コール」するのか、「札を重ねる」か。びくり、と左手が震える。手の平を上に向けた僕の手が、震えている。包丁が、急に重くなった気がして、息を呑んだ。

 ――安心するんだ、気を落ち着けろ。なにをしているんだ、これは1じゃない。1じゃあないんだ。さっきは1を出さなかったじゃないか。

 ――今度はジョーカーかもしれない。

 集中するんだ。例え失敗しても、刃物が少し、食い込むだけだ。血が少し、流れるだけだろう。

 ――けど、それは止まらないかも知れない。この勝負は、いつまで続くかわからない。

 生唾を飲む。僕はふと、1ミリがどれだけの深さなのかわからなくなった。どれだけ、この包丁が僕の手首を切る? いや、そもそも1ミリという単位で傷つけることなどできるのか?

 乾いた唇は、開かない。その中で、喉だけが発音する準備を整えて、熱い息を歯に当てる。――僕は……。

 僕は。

 コールすることができなかった。



 淡々と、積み重なっていく札。

 それを虚ろな目で見ながら、僕はすでに抜け殻のようになっていた。この女には、勝てない。漠然とした考えが、僕の中での答えとしてできあがろうとしていた。

 しづるさんがJを出す。それが本物かどうかはわからなかったが、すでに僕は、それがコールすべき対象であるかと考えることさえ億劫になっていた。手首に乗った包丁が、僕へ死を、柔らかく――認識させるからだ。

 僕はQを乗せようとして、手を止める。なにか、考えていたはずだ。なにか――そう、仕掛けるんだ。罠だ。別の札を置くんだ。計画じゃあ、1を。しかし、置いたところでばれるんじゃあないか。なにせ相手は、あの女だ。それどころか、今、僕の手元のQは三枚。すでに五巡目にあの女がコールをかける確立は、とても低い。

 …………。

 ――、なにを、考えているんだ、僕は? 負けを自覚していた自分に、僕は改めて気合を入れた。勘が異常に鋭い? 予知できる? そんなことはない、あの女はなにも考えていない。ただ、「コールしたいからコールしているだけ」だ。それ以上の考えを、あの女は持っていない。

 あの女は予知能力者でも、ましてや霊能力者でもない。ただの人間だ。

 ――いいや、あれは怖い者だ。

 集中しようとして固定した視界が、揺らぐ。駄目だ、考えをまとめろ――意見を増やすな、僕は一人だろう。ふたつも意見は必要ないんだ。

 僕はQと1を取ると、仕切りの外に出してしづるさんを呼んだ。そして問う。次はコールするのか、しないのか。

「するよ、コール」

 しづるさんは意地の悪い笑みを浮かべて、素っ気なく言った。

 ――なら、1を置くべきだ。

 ――これは罠だろう。Qを置くべきだ。

 同時に、僕の中でふたつの言葉が浮かぶ。……駄目だ、違う。それは答えじゃない。

 僕はその二枚を軽く混ぜて、一枚を引いて場に出した。

「――ダウト」

 キュ、と人形のような笑みを浮かべるしづるさん。僕も、それに合わせて笑った。そのとき僕がどんな表情だったかわからないが、しづるさんはいつもの笑みを、より深くした。

 ――僕は、トランプを、表にする。





 受験勉強に励みながら、時計を見た。すでに午前の三時を回っている。しかし、明日は休みだからとくに問題はない。休みの朝は遅くまでゆっくりと眠るのが、僕の習慣のようなものだった。

 ふと、刺すような痛みを感じて首筋に手を回す。手を見ると、赤く濡れて、蚊の潰れた跡があった。相当、血を吸っていたようだ。

 血が吸われた場所を指でなぞると、まだ腫れてはいなかったが、代わりにへこんでいる部分を指が見つけた。同時に、左手の手首を誰かに掴まれたような気がして、鳥肌がたつ。

 左手に巻いたリストバンドを下ろすと、手首には消えかかった細長い傷跡が残っていた。

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