子供と大人では住んでいる世界が違う。
「いい天気……空は快晴、風も心地良し」
僕のそばに座っていたしづるさんは、大きく伸びをして、そのまま仰向けに転がった。僕はそれとは逆に立ち上がると、ズボンについていた砂を払う。
気持ち良さそうにしているしづるさんを見下ろして、僕は再度聞いてみた。
さんさんと照りつくように輝く太陽。
熱い砂浜、爽やかな潮風。
水着姿にサーフボードなど、様々な人が行きかうこの場所、ビーチ。
なぜ、僕はこんなところにいるのでしょう。
そもそもの発端は、ラジオだった。
この休日の日、受験生の僕を、たまには労ってやるとばかりにしづるさんは僕を外食に誘った。
とても珍しい、というか初めてのことだったのだけれど、後から聞いた話ではその帰り道に心霊スポットがあったらしい。……まあ、そんなものだろうけど。
とにかく僕は、しづるさんにいつものように、むりやり連れ出された。けど、目的のレストランへ向かう途中で流れたラジオは、海を背景に取り上げたビールの宣伝だった。そこからなにを思い立ったのか、しづるさんは次の信号でUターンしてしまった。回頭禁止どころか、道路も直進であったため、多量のクラクションを受けた。
そうして着いたのが、この白い砂浜だった。
「別に、息抜きも必要でしょう? 食事は適当にそこらで、でも」
しづるさんは、堂々と砂の上で大の字になった。服が汚れるとか考えてないようで、目を瞑る。……駄目だ、このままでは寝られてしまう。
そう直感した僕は、慌ててしづるさんを起こした。しづるさんは迷惑そうな顔をして、「そこらで遊んで来い、私は寝る」と言い放った。
毎度のことだが、この女の考えていることがわからない。
僕の存在を意識的に消すように、しづるさんは横を向いた。こんな場所で眠ろうって言うのか。
僕は1人、場違いな格好でこの砂浜をうろつくはめになってしまった。当たり前だけど、僕は外食に行くと言われて、むりやり連れ出された。水着なんてありもしないし、代えの服だって、ない。
突拍子もないしづるさんの行動に振り回されて、僕は今、いや、いつものように苦痛を感じている。
「……あれ?」
ふと、発せられた声に、僕は思わず振り返った。人がやたらといるけれど、なぜかその声が、僕を呼んでいると感じたからだ。
振り向いたさきには、少女が立っていた。それも、面識のある――芥 利恵だった。僕と同学年で、クラスメイト。クラスの委員長を勤めていて、僕とは違い、推薦でなく立候補するタイプの女子だった。
そんな彼女のつり気味の目が、大きく開かれている。
「なぁに? そんな格好で……そっちも、息抜きに来たの?」
彼女の言葉に、僕は口ごもった。芥は、普段の硬い印象とは違ってビキニを着ていた。僕よりは海に似合う格好、というわけだけど、彼女にしては大胆な気がした。
口ごもってそっぽを向く僕に、彼女はむっとしたようだった。僕を睨みつけて、それから思い直したように口を開く。
「……もしかして、まだ怒ってる? この前のこと」
――むしろ、そのことは忘れてほしい。
うつむいた僕を図星だとでも思ったのか、芥は溜息をついた。自分も悪かったが、そっちも悪のりするからだと咎められる。
なんでもいいけれど。
僕は思わず口を開いた。芥の目を見据えながら、この近くに売店がないかと聞いてみた。実は、さっきからお腹が空いていたんだ。
芥は僕の言葉に、大げさに溜息を漏らした。強引に話題を変えられたとでも思っているんだろう。……まあ、そういう意味もあったけど。
「向こうにヤキソバ売ってる店があるよ。まあ、口に合うかは保障しないけど」
三つ編みされた後ろ髪をいじりながら、あまり興味なさそうに言った。僕は彼女にお礼を言ってその場を離れようとしたけど、すぐ芥に呼び止められてしまった。
「――あんたさ、怖いモノってないの?」
芥の言葉。たぶん、僕は目を丸くしていただろう。唐突な質問に、なにを言われているか理解できなかったぐらいだからだ。そしてその質問が、あの夜の肝試しに繋がるものだと考えて、顔をしかめた。
不愉快な話だ。まるで、僕が――、いや、違う。怖いもの知らずで思い浮かんだのがしづるさんだったが、彼女はそんな意味で言ったわけじゃないだろう。
……僕が怖いのは人間だよ。溜息交じりに芥の質問に答えてやる。
あの女みたいな、そんな人間が怖い。
ちらと、しづるさんが寝ているであろう場所に目をやった。人だかりができているように見えるが、それは気のせいということにしておいた。
しばらく歩いたけど、なんとか露店を見つけ出した僕はヤキソバを注文した。白い煙にまみれた料理場から頭にバンダナを巻いた男が顔を出す。
「あー、ごめん。ちょっと在庫切れでさ。今、材料運んでもらってるから少し時間かかるけど、いいかな?」
男の返答に疲れを禁じえずに、いったい、いかほどの時間を要するのか聞いてみた。男の答えは僕の予想とは違い、5分か10分そこらだと返してきた。
それくらいなら十分に待てる。
露店の前に置かれていたベンチに座り込むと、思わず空を見上げた。ぎらつく太陽を直視して、目が痛みを訴える。瞼は閉じたけど、顔を下げる気はしない。流れ出る汗を手の甲で拭って一息つく。
そうして暑さと戦っていると、いきなりベンチが傾いた。驚いて隣を見ると、手を扇のように振っている芥がいた。一言、「あっつい」と言った。
慌てて彼女から離れてスペースを置いた僕に、芥は不愉快そうな目で睨んできた。
芥の肌も、髪も、全て濡れている。海に入ったんだろうけど――、思わず喉を鳴らして、顔をそらす。……聞かれてなかっただろうか。
横目で見ると、芥はつまらなさそうに足をぶらぶらさせていた。
思わず、その体の曲線を目でなぞっていた自分に気がついて、顔を紅潮させる。周りが余計暑くなった気さえした。
そんな僕と芥の間に、ヤキソバの盛られた皿が差し出された。なぜか、その皿には割り箸と包みがふたつある。
無言でそれを受け取った僕に、バンダナを巻いた男の人は馴れ馴れしく肩に手を置いて笑うと、店へと戻っていった。その姿を思わず目で追い、そのまま顔を皿へと移そうとしたところで芥さんと目が合ってしまった。
「なんだろね……あの人」
さあ。
そう答えるのが精一杯で、皿を膝の上に置いて割り箸を割いていると、芥が申し訳なさそうな顔をして口を開いた。どことなく頬も赤く、目すら合わせようとしてくれなかったけれど。
「あ、あのさあ……私ね」
「おぉ? オイシソウなものを食べてるねぇ」
後ろから、いきなりしなだれかかれてぎくりとする。――しづるさんだ。
しづるさんは僕の上から、断りもなしに皿を奪い取ると、隣に座って麺をつまみ始める。……なにしてんだよ、あんた。
「なんだか周りが急にうるさくなって、寝れなくなってさあ。お腹も空いたし、ちょうどよかったかな」
麺を頭の上に持っていき、下から口で食む。なんとも行儀の悪い格好のしづるさんから皿を奪い取ろうとしたが、僕の顔を掴んでのけられた。……こういう時だけは、なにか部活をしていればよかったと思う。
「……ん?」
僕のヤキソバをさも美味そうに食していたしづるさんは、いまさら気がついたとばかりに芥へ目を向けた。無感動な、どんよりと濁ったような目が急に、おもしろそうな笑みへと変わる。
対する芥は、外見との印象の差に驚いたのか固まってしまっている。しづるさんの挨拶にも、生返事を返すのがやっとのようだった。
「……ねぇ、こういう人だったの?」
芥が顔を寄せる。やはり、彼女もしづるさんが気になっていたのだろうか。顔を寄せられたおかげで濡れて固まった髪が、僕の頬をひっかいてむず痒い。
僕はそれから離れるようにして頷くと、芥は「へえ」と興味深そうに、僕越しにあの女を覗いた。同時にびくり、と体を震わせて目をそらす。気になって振り返ると、しづるさんが芥を見ていた。例のごとく、キュ、と唇をあげて、人形のような笑みを顔にはりつけている。
「君、コレと仲がよさそうだねえ」
これ扱いか。いや、それよりも、急になにを言い出すんだ。
芥のほうも戸惑っているみたいで、間の抜けた返事を返している。それを聞いて満足そうに頷くと、僕にヤキソバがぐちゃぐちゃに荒らされた皿を返してきた。……もう、食欲などない。
しづるさんが「友達になろう」と右腕を差し出す。ヤキソバのソースまみれだったけれど、芥は素直にその手を握った。……けれど、頬はひきつっている。
「ん、握手したから、もう友達だね。メルアド交換しない?」
「え、は、はい……」
人形のような笑顔を芥に近づける。僕は心の中でやめるように説得したけれど、そんなものが通用するはずもなく、勢いに押されるように芥はヤキソバの露店へ向かった。……そういえば、芥は1人なのだろうか。
露店の男がバンダナを取り、手袋のようにして小さな鞄を芥へ渡した。なるほど、芥と露店主はどうやら顔見知りのようだ。イトコか、はたまた恋人か、といったところだろう。
「あの子、いいね……ヘタすると、君の幼馴染くんよりもおもしろいかも知れない」
こちらへ戻ってくる芥から、しづるさんへ目を移す。意地の悪い笑みを浮かべて彼女を見ていた。……引き合いにあいつを出さないでくれ。
気分を悪くした僕に気づいたのか、芥は戸惑っているようだったが、それはいつものように、しづるさんは気にせず携帯電話を取り上げた。唖然とする芥の目の前で、勝手にアドレスの交換を始めている。
こういう女なんだと芥に言うと、気味悪そうにしづるさんを見ていた。とりあえずこれで、勘違いをしていたクラスメイトたちも彼女の口から真実を知るに違いないと、僕は勝手に満足していたわけだけど。
芥としづるさんに挟まれて、僕は居心地悪くベンチに座り続けた。もう、帰りたい。一方的に話しかけるしづるさんに、あいまいな返事を返す僕と芥。この状況じゃあ、そういう考えしか浮かばなくても普通だと思う。
クラスメイトの女子高生と美人な大学生。ある意味、シチュエーション的には素晴らしいことこの上ないと、思うんだけれどな……。
「……ねえ、利恵ちゃん」
僕の溜息を頃合とばかりに、慣れていた僕もぎょっとするような猫なで声を出した。まだ話して間もない芥ならなおさらで、目を大きく見開いてしづるさんへ視線を送っていた。
「私、ユーレイとかに興味あるんだぁ。君はそういう体験とか、ないの?」
唐突すぎるだろ。
芥も、この女がどんな人間かわかったのか、顔を青ざめさせている。ヘンな人に捕まってしまった、まさにそういう表情だった。そんな芥に、しづるさんは僕の体の上に身を乗り出しながら、言葉を続ける。
「君さ、なんかおもしろいんだよねえ。気が強そうなのにさ、むりして強がってるって感じがしてさ……コレから聞いたよ、この前の話」
「え……?」
驚いたように僕を見る芥。……嘘だよ。この女は、現場にいたから知ってるだけだ。……いや、それとも少し事情が違うかもしれないけれど。
どちらにせよ、説明できないし、あの日のことはもう、忘れたい。気まずくて目をそらすと、しづるさんは含み笑いをして言った。
「聞かせてよ、君の霊体験をさ」
しづるさんの言葉に、芥はきっ、とその顔を睨みつけた。あれは、敵視した人間に対する、芥の最大の表現と言っても過言じゃない。
「幽霊なんて、見たことありません。影すら、見たことないです」
きっぱりと言い放つ。しかし、しづるさんは一向に怯むでもなく、「ホントにぃ?」と僕が倒れそうになるほど身を乗り出して聞いてきた。……もう、キスするぐらいに顔が近かったと、思う。
けど、芥のほうも睨みつけながら、一歩も引かずに「本当です」と答えた。それを聞いて、しづるさんは詰まらなさそうにベンチへ座りなおした。……首が、ちょっと痛い。
「それじゃあ、代わりに私がおもしろい話をしてあげる」
しづるさんは、意地の悪い笑みを芥へ向けてから、足元の砂浜を歩くヤドカリへ目を落とした。
その日は、風が強く、海が荒れていた。夜、臨海学校に参加していたまだ小学生のAは、波浪警報のためにお目当ての海を泳ぐこともできずに苛立っていた。海も泳げず、ただむし暑い部屋の中、友達4人でひとつの扇風機を奪い合う。
そんな部屋だ、ひとつしかない窓は全開にし、虫も入り放題だったが、そこは元気な男子4人、まるで気にはしていなかった。他の3人はこの暑さからか、むりに寝入ったが、Aだけは1人、天井を睨みつけていた。
なにをするでもなく、呆けていたAは、体を涼めようと窓に立った。まだ海は荒れていて、強い波の音が聞こえた。そこでふと、Aは波間に揺れる白いものを見つけた。なんだろうと思っていると、そこがぴかりと光る。少年は不思議に思いながらも、便を催し、トイレへと部屋を出た。
しばしして部屋に戻ったAは、幾分か涼しくなった部屋に満足して眠ろうとした。……が、さきほど目にした光るものが気になり、再び窓に立った。波間には、もうなにもない。
そりゃあそうだろうと、Aが諦めて眠ろうとしたとき、不意に気づいた。砂浜を誰かが歩いている。時計を見れは午前2時。
こんな夜中に――、と歩いている人間を凝視していると、不意にそれがぴかりと光った。Aはそれが、さっきのやつだ! と驚いた。そして同時に、それがここへ向かって歩いているのだと気づく。
どうしよう、どうしよう。
Aは敷いてあったタオルケットの中に潜り込んだ。そこに丸くなって、がたがたと震える。
あれはなんだ? なんだったんだ?
そんな疑問、もちろん解けるはずがない。しかし、異常なまでに張り詰めていた緊張は、そう長くはもたなかった。
ひょっとして、さっきのは臨海学校の関係者じゃないだろうか? 若い教師もいる、みんなで遊んでいただけかもしれない。夜遊びすることだって、ありえない話じゃあない。
おそるおそる、タオルの下から顔を覗かせる。目の前には友人の寝顔。ゆっくりと顔を巡らせるが、なんら変わったことはなかった。溜息をついてタオルの下から抜け出る。ひどく汗をかいていた。
あれだけ怖がっていた自分を笑っていると、波の音にまじってなにか音がする。聞き耳をたてると、それがなにかの軋む音だとわかった。そしてそれは、少年の覗いていた窓のほうから――
誰かが外のパイプを伝って上ってきてるんだ!
それに気づいた少年は石のように固まって動けなくなってしまった。ただ、ギシ、ギシという音がこの部屋、少年Aの目線のさきにある窓へ近づくのを見守るだけだった。
瞬きすらできないこの異様な状況の中、急に部屋の外が慌しくなっているのに気がついた。顔が勝手にドアへ向けられた。
助かった、誰かがこの部屋に来る!
そう少年は思い、思わず安堵の笑みを浮かべる。そして、軋んだ音がないことに気がついた。なんだか、部屋が暑くなった気がする。風が入ってこない。
ゆうっくりと、窓に向けて首を回すと、そこには窓から身を乗り出すようにして、女が――
「――笑っていたわけ、こおんな感じでね」
キュ、と人形のような笑みを浮かべる。じっとりとかいた汗を拭いながら、僕は溜息をついた。なぜこんな場所で、海に入るでもなく怪談話を聞かなければならないんだろう。
「本当におもしろかったわ、あれ、小便漏らしちゃったしね」
「……え、お知り合いの方のお話――?」
あからさまに驚いている芥に、違うと僕は首を振った。この話、たぶん――と、言葉を続けようとしたところを、しづるさんに止められる。
「一昨日ね、この浜辺で車を止めて、夜になるまで寝てたの。そうしたら月もキレイだし、泳ごうと思ってね」
「は、はあ……」
「海水に浸かってたら、ホラ、向こうにある建物からガキがこっちを見ていたの」
しづるさんの指差す方向には、旅泊施設があった。芥もしづるさんの言おうとしていることに気がついたのか、思わず頬を緩めながら頷いた。
――そう、その少年Aとやらを驚かしたのは、強風が吹き荒び、波浪警報のまっただ中、真夜中に海水に浸っていたこのしづるさんというわけである。パイプまでのぼったのだというから驚きだ。
ちょうど、話の最中に僕の視界に入ったことと、しづるさんの笑みとで気づいたわけだけど――
でも、ひとつ釈然としないことがある。それは、話に出てきた明かりのことだった。一体、なんのことなのだろう。
「――ああ、懐中電灯よ」
僕の疑問に気づいたのか、こともなげにしづるさんは答えて、すっかり冷たくなったヤキソバに手を伸ばす。……まだ食うか。
しかし、心霊スポット巡りでも明かりの類をまるで使わないしづるさんが、なぜそんなものを……。しづるさんは、麺を持ち上げ、下から食べながら、僕を見て、意地の悪い、にやりとした笑みを浮かべる。
「……ん、ふう。さすがに、海に潜るんだから、明かりが必要でしょう」
……意味がわからない。
目を瞬いていると、しづるさんは鼻の頭をかきながら説明してくれた。なんでも、海に入ったのはただ泳ぎたかったわけではなく、素潜りの真似事をしたかったらしい。そこで視線を感じて懐中電灯の明かりを向けて、少年を見つけたと。
……改めて思う。なんなんだ、この女。視線だって?
「まあ、そんなわけでイタズラを考えたわけだけれど、パイプを上っているところを他の人に見られていたらしくてね。ガキが小便漏らすのと同時に、保護者っぽいがたいの男が部屋に転がり込んできてさ、大声で怒られて。
しかたないから、お詫びに捕まえた魚を放り込んで逃げてきた」
とんだ嫌がらせだ。
げんなりとした僕の隣で、芥が笑った。こらえきれない、とでもいうような笑いで、小さかったが、僕は笑う芥に意外そうな目を向けてしまった。
道徳感の強そうな、いや、実際に強い芥だけに、このことに対して怒りこそすれ、笑うとは思わなかったのだ。
「――あ、ごめん」
なぜか謝る。それからすぐに、なんだか恥ずかしそうにしながら、口を開く。
「なんだか、その子と大人の対応の違いがおかしくて」
……そういうものなのか。子供は驚いて、大人は怒る。普通の対応だと思うんだけれど。
しかし、芥の言葉に意外にも共感を示したのはしづるさんだった。「それだけ、子供が純粋なんだ」と言うと、芥も、「妖精は子供しか見れないって言いますからね」と返事を返す。
なんだか、打ち解けているようにも見えた。
「――それは……ちょっと違うかな」
しかし、ここでしづるさんは芥の言葉を否定した。思わずしづるさんのほうを見ると、例のごとく意地の悪い笑みを浮かべて、目の前に広がる海を凝視していた。
「なんで、大人になるとティンカーベルは見えなくなると思う?」
……なぜ、ティンカーベル。
それはともかく、僕なりに考えてみた。芥を放ってオカルトの話をするのも、気が引けたけれど。
僕は、人間には元々、霊力が備わっているんだと思っている。死んだ人間が幽霊になる――というのが、オカルト道の人たちの、大元の考えではないだろうか。肉体が滅んでも、幽霊として「生きている」、「生きられる」ということは、肉体が滅んでもなお、存在し続けるという能力が備わっているに他ならない。そして、それが霊力であるとこの頃の僕は考えていた。
しかし、そんな霊力も、大人になるにつれてどうなるか――、大人の世界、というか、成長していくにつれて広がる視野の中にあるものは、全て物欲からなるものだ。だから、それに応じて霊力というものが汚れてしまっているのではないか、と。
まあ、この考えも、「死んだ人間が幽霊になる」という考えから出した、僕なりの答えなんだけど。
しづるさんは、あっさりと僕の考えを否定した。
「なかなかおもしろい考えだったけど少し、違う。
……欲が出て霊力が汚れたんではなく、欲が出て、その欲の対象であるものが散らばる現世に視点が固定、つまり仮想や空想の世界が現実から見てありえないものとなってしまう」
……それって、つまり、どういうことだろうか。
僕が固まっていると、しづるさんはこちらへ視線を向けてきた。
「なんで、空は飛べないんだろうねえ」
そういう風に、人間の体ができていないからだと思うけど。
僕の言葉にしづるさんは満足そうに頷いて、「けど、子供の頃は、鳥が飛べるのだから人間も飛べるだろうと考えたはずだ」と指摘した。ここまできて、ようやっと、しづるさんの言いたいことがわかった気がした。
人が知りたいという欲を持ち、あるいは、こういうことをしたい、という欲を持ち、研究などでこれはできない、これはできるなどと線引きされた大人の世界。その世界に来てしまってから、その大人の知識を得てしまってから、子供へ帰ることはむりだと、そう言いたいんじゃないか、と。
「子供と大人では住んでいる世界が違う。だから、見えないものだって見えるし、聞こえるんだ。それは至って自然なことで、不自然なんかではないんだ」
そう言って。
しづるさんは僕から芥へ視線を移した。僕も同じように視線をやると、芥はうつむいていた。
なんともいえない、気まずい雰囲気の中で、会話もなく、海の向こうへ沈み始めた陽を見る。もうしばらくすれば、ここらも真っ暗になるんだろう。そんな僕の肩を、露店をしていた男の人が叩いてきた。
「ごめんね、お兄ちゃん。もう店じまいだから、ベンチからどいてくれる?」
催促されて、慌ててどくと、しづるさんは不機嫌そうに溜息をついて、たっぷり5秒かけて立ち上がった。男の人は呆れたように苦笑して、芥に「もう行くぞ」と声をかけた。……やっぱり、知り合いだ。
「……また、学校でね」
僕に向かって言うと、続いてしづるさんを見る。戸惑ったような視線を向けてから、僕らに背をみせて後片付けの始まった露店へ走り出した。
……そういえば、ずうっとベンチを独占しちゃってたな。悪いことをしてしまった。
そんな僕の小さな罪悪感を知るはずもなく、しづるさんはのんびりと背伸びをして、「帰ろうか」と言った。笑みすらない。
僕はやっと、居心地の悪い空間から出れたように、大きな溜息をひとつ。しづるさんはすでに、1人で車に向かっている。僕も、なにも言わずにそれに続いた。……視線って、ホントに感じるものなんだと実感しながら。
なんともすっきりとしない一日だった。けれど、それからの残り僅かな高校生活で少し変わったことがある。
それは芥が僕とすれ違うときや、目が合ったときなどに、それなりの反応をしてくれるようになったこと。廊下ですれ違えば挨拶するように頭をかたむけてくれるし、登下校中に会おうものなら、ちゃんとした挨拶をしてくれる。
けれど、僕らがまともな会話をしたのは、高校生活ではこの海の日が最後だった。
ちなみにこの日の帰り道、またまたラジオの放送を聞いたしづるさんに、僕は廃墟へと連れていかれることになってしまった。そのときはレストランの宣伝だったため、今日、行く予定の場所を思い出したのだ。
そこで僕らは、ある人と顔見知りになったのだが――それはまた、別の話。
忘れていたので、不必要かもしれませんが書き足しておきます。
これは創作、フィクションであり、実在する人名とはなんの関係もありません。




