9話 チンピラと女
(バン! バン! バン! )
音のする洗面所に戻ると、風呂場の引き戸が外側から叩かれ震えている。
「うわ……これ、壊れないよな?」
あちら側から叩かれても引き戸は壊れそうに無かったので、放置して戻ろうとすると、磨りガラスの向こう側に影が映り、ズリ……と生々しい赤黒い血の手形がべったりと擦り付けられた。
ガラスを伝って滴り落ちる血の雫。
「……たす……あけ……」
向こう側から微かに聞こえてくる悲痛な声。
明らかに向こうで良くない何かが起きている。
その光景は昔、救えなかった人を一瞬フラッシュバックさせ、脳裏を焼き、耳には聞こえないはずの叫び声や怨嗟の声まで聞こえ、吐き気を催す。
同時に俺の頭と心が急速に冷えていき、それとは裏腹に身体が熱を持ち始めるのを感じた。
(――来い)
自分の影の中に手を突っ込んだ。
ズズ……と黒い霧を纏いながら引っ張り出したのは、先日部屋の火事を起こした相棒。
手に伝わるズシリとした金属の質感と、脈打つような魔力の鼓動。
剣を握るのは十年振りだというのに、まるで自分の腕が延びたような感覚は当時のままだ。
「はぁ……頼むからまた部屋を焼かないでくれよ」
「わん!(まかせて!)」
剣の返事に若干不安を感じながらも、低く息を吐き出すと、勢いよく風呂場の引き戸を蹴り開けた。
「きゃあああああっ!?」
扉が開いた瞬間、もつれるように室内へと倒れ込んできたのは、派手なネオンカラーの髪をした一人の女だった。
体にフィットしたサイバーウェアはズタズタに引き裂かれ、右脚は金属とケーブルが剥き出しになっており、手で抑えられた腹部からは、大量の血が溢れ出している。
「逃がすか、情報屋!!」
雨の降る薄暗い路地裏から、全身をサイバーウェアで強化した三人の男たちが躍り出てきた。
先頭の男が持っていた小銃の銃口をこちらへ向け、容赦なく引き金を引く。
ババババババンッ!!
「チッ……!」
倒れた女の襟首を掴んで強引に部屋へ引きずり込むと、靴下のまま路地裏へと躍り出た。
「なっ、なんだこのおっさんは――どこから出てきやがった!」
「邪魔だ!!どけっ!!」
革ジャンの男は驚く仲間を押しのけ、右腕の装甲をギャリギャリと激しい金属音と共に展開した。
肘から先が高速回転する巨大なチェーンソーへと変貌し、俺の首元を狙って振り下ろされる。
手首を軽く返し、剣の腹でチェーンソーの刃を刷り上げ、返す刀で体勢を崩した男の肩を目掛けて斬りつけた。
キィィィンッ! と一瞬、火花が路地裏に散る。
既に身体には黒い軌跡が走っていた。
「ガっ……!?」
男の左肩から右脇腹にかけて、斜めに刀身が通り抜けた。
剣が放つ超高温によって切り口が一瞬で焼け焦げ、血の一滴すら流れることなく、男の半身がゆっくりとずり落ちてゆく。
「ヒッ……!? こ、こいつ、一瞬で……!」
先程、俺の出現に驚いた男が恐怖に顔を歪めながら、左腕に持った銃らしき武器をこちらへ向けた。
カバーが開き、小型の誘導ミサイルが三発、白煙を噴き上げて放たれる。
「死ねぇぇぇ!!」
空を切り裂き、至近距離から剥き出しの殺気が迫る。
俺は剣を構えたまま、左手の指先で静かに念じた。
(――朽ちよ)
無詠唱で放った腐敗魔法。
迫っていた三発のミサイルが、俺の目の前数十センチの空間で突如として化学反応と金属疲労を極限まで起こし――ボソボソッ、と瞬時に赤錆を全体に浮かばせたかと思うと崩れ、ただの赤黒い粉末となって俺の身体を撫でた。
「な……!? ミ、ミサイルが……!?」
男が不可思議な現象に絶句した瞬間、背後から急接近する不穏な気配と風切り音。
「死ねぇっ!!」
上半身を軽くひねり、耳障りな高い音を出しながら迫る刃をかわす。
上段から振り抜かれた刃は、俺の後ろにあった鉄の柵を易々と切り裂いた。
刃をかわされた男は常人では考えられない跳躍力で飛び、俺から距離をとる。
「何モンだ、テメー」
よく見れば最初の二人とは違い、全身に生身の部分が見られないほど機械化されており、まるで鎧を着込んでいるようにも見える。
次の瞬間、コマ落ちしたような挙動で、男が突然目の前に現れると俺の視界に入らないよう、下段から刀を切り上げた。
カキッ!!
迫る剣先を指でガッチリと受け止める。
激しい振動が手首に伝わってくるが、俺の腕はピクリとも動かない。
「なっ……反応した上に超振動を指で受け止めるだと……!?」
相手は大げさに驚いているが、大したことはしていない。
空気の動きを読めばいいだけだから、この手の相手をするのは楽でいい。
「立派な鎧だが、中身はどうかな」
剣を地面に突き刺し、空いた右手をそっと男の腹へと当てた。
(――閃き、裂けろ)
バリバリバリバリッ!!!
手のひらから漆黒の雷撃が男の内部へと爆発的に解き放たれる。魔力と高圧の電流が男の全身の回路を駆け巡り、内部の重要機関を一瞬で焼き切っていく。
ドカンッ!! という内部爆発の重低音と共に、全身機械化された男の上半分が吹き飛び、下半身はそのまま路地裏に立っていた。
「ヒイイィィィッ!? 化け物……化け物だぁぁぁっ!!」
残された男は、仲間が一瞬で沈んだ光景に戦意すら失って一目散に街の方へと逃げ出していった。
「やっちまった……」
魔力が戻ってきてからというもの、明らかに自分の箍が外れやすくなっている。
放っておけばよかったのに自ら戦いを挑むなんて。
「平穏無事に過ごしたいだけなんだけどなぁ……」
開けっ放しだった入り口を潜り、とりあえず風呂の引き戸を閉めた。
◇
「おい、大丈夫か?」
床に倒れ込んでいる女に近寄る。
彼女の腹部からはドクドクと結構な勢いで血が溢れ出ており、呼吸は浅く、視線もうつろだ。
よく見ると、右脚の付け根から下が金属の義肢になっているがひしゃげてしまって機能を停止しているようだ。他は生身の人間のようだが、この出血量では数分も持たないだろう。
「あ……あぐ……っ」
女は血のついた手で俺の服の裾を掴み、消え入りそうな声で囁いた。
「お……おねがい……っ。私の脳の……データを……代わりに……ミリシアへ……届けて……っ」
「やだ」
「えっ」
「ミリシアなんて知らないし、何より俺は機械に詳しくない」
影のストレージの狭い穴に無理やり指を突っ込み、奥の方に引っかかっていた小さな親指サイズのガラス瓶を引っ張り出した。
当時、健康ドリンク感覚で飲んでいた、作った奴が言うには最上位の回復薬――エリクサーもどき。
栓を親指で弾き飛ばし、瀕死の女の顎を掴んで強引に口の中へ瓶の中身を全部流し込んだ。
「んぐっ!? な、なにこれ……甘っ……苦っ!?」
コクン、と喉が鳴り、薬液が体内に飲み込まれた瞬間――
シュウゥゥゥ……!
女の全身から目に見えるほどの白い蒸気が立ち上った。
腹部の凄惨な裂傷が、まるで時間を巻き戻すかのように一瞬で塞がり、失われた大量の血液が体内で爆発的に再生成されていく。顔に急速に血色が戻ってきた。
「えっ……? 痛くない!? 傷が……塞がってる!?」
女が自分の腹部を触りながら目を丸くする。
だが、異変はそれだけでは終わらない。
メキッ!! と嫌な金属的な破壊音が響く。
「ひやぁっ!?」
彼女の右脚に装着されていた壊れた義肢が、内側からの狂暴な圧力に耐えかねて、パーツを飛び散らせながら木っ端微塵に弾け飛んだのだ。
そして、砕け散った金属くずの中から現れたのは――
ニョキニョキと細胞が超高速で再構築され、あっという間に復元された、傷一つない滑らかで艶めかしい生身の脚だった。
「「…………」」
一瞬の静寂。
「な、なになになになになにー!!???」
女が自分の右脚を抱え込み、近所迷惑レベルの大悲鳴を上げた。
「私の脚が生えてきてんの!!?? キモいキモいキモい!!」
俺に対してキモいと言われているようでなんか嫌。
「脚が治ってよかったね」
警戒されないように、にっこりと笑ってみせると女は怯えた猫の様に部屋の壁際にひっついた。
「意味わかんないわよ!! あんた何者なのよぉぉぉっ!!」
怪我は完全に治ったものの、右脚が生えてパニックになる女と、それに必死で説明を考える俺。
狭い部屋に、何とも言えない怒号と悲鳴が響き渡った。




