7話 魔力とプチダンジョン
ミッキーの過去のことは一旦考えないようにしよう、泥沼にはまりそうだ。
案外、あの説明自体もデタラメかもしれないし、そうであったなら、あの決めセリフを本人の前で読み上げてやろう。
そうしよう。
ほんと、デタラメであってくれ。
友人の悲しい過去を覗き見したような罪悪感に、気持ちはモヤモヤしたまま、スマホをポケットに仕舞った。
すっかりぬるくなってしまったコーヒーを一口飲む。
「ふー」
深く呼吸をすると、俺はベンチに落ちる自分の影を見つめた。
「本当に魔力が戻ってきているのか確かめないと、な」
スッと指先に意識を集中させ、昔使っていた魔法の感覚を呼び起こしてみる。
(――開け)
脳内で念じた瞬間、影がぐにゃりと歪み、小さな闇の穴が穿たれる。
異空間ストレージ。
かつて無数の討ち取った神々の遺物を乱雑に放り込んでいた便利ツールだ。
「……狭いな」
どうやら中身が消失したわけではなく、取り出し口が片手が入る位に狭くなっているだけのようだ。
奥の方には、かつて世界で手に入れた溜め込んだ物騒なあれこれが、そのままの質量でぎっしり詰まっている気配がする。
無理やり指を突っ込んで、一番手前にあった丸いものをどうにか引っ張り出してみた。
「あ、懐かしい」
手の平の上に現れたのは、日の光を受けて虹色に輝く、美しい球体。
かつて仲間と一緒に巨大ダンジョンを攻略した際、最下部で倒したダンジョンマスターから毟り取った『ダンジョンコア』だった。
使えばこの公園に巨大ダンジョンが一瞬にして発生してしまうだろう。
おじさんが平日の公園で缶コーヒー片手に持っていていい代物では断じてない。
あまりの懐かしさに見つめているとコアが明滅を繰り返し始めた。
「――あ」
しまった、魔力に反応して起動しかけている。
慌ててコアをストレージに投げ込んだ。
だが、時すでに遅し。
足元のアスファルトの隙間から生えていた雑草が、ものすごい勢いで急成長したかと思うと、ベンチの脇の地面がメキメキと音を立てて陥没し始めた。
「ヤバい!」
慌てて立ち上がって見下ろすと、そこには直径三十センチほどの穴が開いていた。
見た感じ、野良犬が掘り返した穴と言われればそう見えないこともない。
冷や汗を流しながら周囲をキョロキョロと見回した。
幸い、誰も見ていない。
俺は近くの花壇からスコップ代わりになりそうな平たい石を拾ってくると、必死の形相で土をかき集め、バサバサと砂利混じりの土を放り込んだ。
靴の底でグッと何度も踏みならす。
「……ふぅ、よし。これで大丈夫だろ」
どう見てもちょっと土が盛り上がった地面だ。
「ちょっと焦ったー」
ベンチに座り直して額の汗を拭う。
こうしてみると自分の体に確かに魔力が巡っているのを感じる。
しかし、かつての力は、今やガス切れのカセットコンロのように、指先で小さくゆらゆらと頼りなく揺れるだけだ。
十年も使っていなかったせいか。
それとも歳のせいなのか。
「……ハクションッ」
急に風が冷たく感じられて、俺はくしゃみを一つ漏らした。
そういえば、昨夜から道路の爆発に巻き込まれ、アパートの火事と消火器の粉末を浴び、おまけに橋本さんの放った水まで至近距離で喰らったのだ。
よれたジャケットも、中に着たTシャツも、煤と泥の嫌な匂いがこびりついて、なんだか身体中がベタベタして気持ち悪い。
こんな姿で入店を許してくれた牛丼屋には感謝しかない。
あたりに人がいないことを確認し、ボソボソと小さな声で呪文を唱えた。
「『アビス・オブ・ディスペア』」
一瞬だけ、全身を黒い闇が包み込む。
本来、猛毒の返り血や呪詛を捕食し、アンデッドなどの不死者すら食い殺す闇の霧を発生させる術式は「おじさんの煤汚れを落とす」という極めてニッチな役目を果たした。
ジャケットの泥汚れは消え去り、Tシャツの汗臭さも洗い立てのように無臭だ。
だが、魔法で汚れを落としたところで、精神的なベタつきまではどうにもならない。
「風呂、入りたいな……」
ここから少し歩いたところに、会社指定の割引券が使える銭湯「松の湯」があったはずだ。
そうと決まれば足は早い。
俺はベンチから重い腰を上げ、温かい風呂を求めて歩き出した。
◇
平日の昼下がりということもあって、銭湯は空いていた。
入場券を買い、フロントの爺さんからレンタルタオルセットを受け取る。
脱衣所で衣類を脱ぎ捨て、誰もいない洗面台の鏡を一瞥してから、浴室への引き戸を開けた。
「おお、ほぼ貸し切りだな」
立ち上る白い湯気。高い天井に響く、心地よいお湯の流れる音。
客は俺の他に、お爺さんが遠くのサウナへの出入り口近くに一人いるだけだ。
俺は洗い場の椅子に腰掛け、シャワーの温度を少し高めに調節して頭を洗い始めた。
ポシュポシュとシャンプーのボトルをプッシュする音が、静かな浴室に響く。
その時、浴室の入り口から新しく入ってきた二人組の若い男たちが、大声で笑いながら洗い場に向かって歩いてくるのが見えた。
だが、彼らは俺の姿を視界に入れた瞬間、ピタリと話を止め、気まずそうに顔を見合わせた。
「うわ、すげぇ傷……」
「やば……」
(……?)
突然静かになったことを怪訝に思いながらも、俺は黙々と頭を洗う。
彼らがぎょっとしていたのは、俺の背中から肩、あるいは脇腹にかけて刻まれた、無数の悍ましい傷跡のせいだった。
かつて魔族の神に呪われ、神々の軍勢と死闘を繰り広げた際に刻まれた、抉られたような深い古傷。
見慣れすぎているせいで完全に失念していたが、ただの日本の銭湯において、その身体はタトゥーどころの騒ぎではない迫力を放っていた。
若い客たちが極力俺から離れた一番端の洗い場へと移動したのも気づかず、俺はしっかりと頭と体を洗い流し、大浴槽へと足を向けた。
ザバーーーッ、と溢れるお湯。
「ふぅぅううぅぅ……」
首まで温かいお湯に浸かると、全身の強張っていた筋肉がじわりと弛緩していく。
ゆっくり何も考えず湯を堪能しようとしたが、頭の中に自然といろんなことが浮かび上がってくる。
見事に吹き飛んで夜空が見えるようになってしまった、俺の部屋のこと。
国に雇われた金にがめつい魔法少女のこと。
そして、俺たちがあのソシャゲに登場していること。
「……それにしても」
恐ろしい話だ。
勝手に人のトラウマや過去の傷を抉った上に世界に公開とは。
昔、出会った悪魔に並列世界を覗き込める悪魔がいると聞いたことはあるが、そういうイヤらしい奴が一枚噛んでいるようにしか思えない。
「なんだよ水着バージョンって。俺、あっちで水着なんか着た覚えねえぞ」
ワニ頭が言っていたことを思い出し、湯船に顔を沈めた。
クリエイターどもは、俺らの肖像権をなんだと思っているのか。
ゲームのホーム画面でつつかれているなど、想定外すぎて頭がクラクラしてくる。
「……はぁ」
さらに追い打ちをかけるように、もっと現実的な問題を思い出してしまった。
「アパートの壁をぶち抜いたの、ガス爆発ってことになってるけど……あれ、会社から補修費用とか天引きされたりしないよな?」
もし天引きされたら、せっかくの有休どころか、向こう数ヶ月はもやし生活だ。
「頼むから、穏便に済んでくれよ……」
そんな世知辛い心配をお湯に溶かしながら、俺は天井の白い湯気を見つめ、再び深いため息をついた。




