4話 遅い朝食とパチカス
ミッキーの部屋の畳の上でひと眠りし、遅めの朝食を取るために近くの牛丼チェーン店へ来ていた。
午前十時過ぎという絶妙に中途半端な時間。店内のBGMだけがやけに虚しく響く店内は、気まずいほどにガラガラだった。カウンター席に並んで腰掛けた俺とミッキーの前には朝定食が並んでいる。
「……ヤマちゃん、いくら何でも紅生姜のせすぎやろ」
「いいんだよ、これが美味いんだから。それよりミッキー、ここの七味ってさ、なんかあんまり辛くないと思わないか? 風味ばっかりが立ってさ」
「何の話やねん。まぁ、確かにちょっと物足りん気はするけどな」
そんな、世界を揺るがすどころか明日には忘れていそうなほどどうでもいい会話を交わしながら、俺たちは黙々と箸を動かした。
昨夜、自分の住んでいた部屋が跡形もなく木っ端微塵に吹き飛んだ人間の会話とは到底思えないが、あまりの不条理に脳の処理が完全に追いついていないのだから仕方がない。
牛肉と生たまごをご飯にかき込み、熱い味噌汁で流し込む。
「ごちそうさま」の呟きと同時に、プラスチックの湯呑みから温かいお茶をすすると、ようやく胃の奥からじんわりと人心地がついた。
「で、これからどないするん? 部屋」
ミッキーが湯呑みをカウンターに置きながら、神妙な顔つきで聞いてきた。
「橋本さんが動いてくれるとは言ってたけど、寮の空き部屋に入れないか総務に相談してみるよ。まあ、家具も全部買い直しだけどな」
「災難よなぁ。まぁ、居候は何日でも大歓迎やから気ぃ遣わんといてや」
「助かるよ。本当に」
店を出て、小さな公園のベンチへと移動した。
自販機で買った冷えた缶コーヒーのプルタブを引くと、ペコッと乾いた金属音が響く。
「そういやさ、ハッシーのあれ、一体何やったんやろな」
微かに残るコーヒーの苦みを舌で転がしながら、ミッキーが遠い目をしながら呟いた。
「ガス爆発で水道管が同時に破裂、だっけ」
「ごまかし方下手クソすぎて笑うわ! 実は相当テンパってたんか、二階から綺麗なジャンプで着地して消えてったやん! しかも『書類は休み明けでええ』って、派手に部屋ぶっ飛ばしたんはお前やろがい!ってな」
「テンパってたにしてもポンコツすぎたな」
俺たちは顔を見合わせて、思わず吹き出した。
ひとしきり笑い転げた後、手に持った缶コーヒーの表面を見つめたまま、俺は少しだけトーンを落として口を開いた。
「なんか最近、身体の調子が変に良くなってきてる気がするんだよ。二日酔いも全くないし、昨日のあの盾も、別に出そうと思って念じたわけじゃないんだ。関係あるのかね」
「あー、ヤマちゃんも? 実は俺もなんよ。ずっと血圧高くて毎朝頭痛してたのが最近さっぱりないんよ。それに、あの腕、もう十年はピクリとも動かんかったのに、昨日は勝手にガシャコンいうて変形しおってな。何なんやろな、一体」
ミッキーはそれ以上、俺が昔どこで何をしていたのかを追求してはこなかった。
俺だって、ミッキーが過去にどんな世界で修羅場をくぐり抜けてあの力を得たのかなんて聞くつもりはない。
十年間、同じ現場で油と鉄の匂いにまみれて泥臭く働いてきた。それだけで、おじさん同士の信頼関係としては言葉にするまでもなく十分すぎるのだ。
「まぁ、考えてもなるようにしか――ん?」
缶コーヒーを揺らしながらだらだらと喋っていたミッキーが、不意に公園の向かいにある派手なパチンコ屋に目を留めた。ギンギラギンの電飾がギラつく自動ドアを、ちょうど今くぐり抜けていく後ろ姿。
日差しに映える鮮やかな紫色の髪。
そして、見覚えがありすぎる濃紺の芋ジャージ。
「……なぁヤマちゃん。あれ、昨日の魔法少女ちゃんちゃう?」
「マジかよ」
真っ昼間から、芋ジャージ姿でパチンコ屋潜入。
魔法少女ってもっとこう、キラキラして夢見がちでふわふわしたものじゃなかったか。
いや、法律的にアウトでさえなければ魔法少女がパチンコを打ったっていいんだろうけれど。
「ちょっとヤマちゃん、俺タバコ吸いたいからあの店入ろや。喫煙所あるし」
「いや、絶対関わらない方がいいって、おい!」
ミッキーはニヤニヤと意地の悪そうな笑みを浮かべて腰を上げ、すでに歩き出していた。仕方なく俺も溜息をついてその後を追う。
自動ドアが開いた瞬間、ジャラジャラジャラ!!という耳を劈くような玉の音と、重低音のBGMという光と音の濁流が鼓膜を叩いた。店内は平日の昼間にもかかわらずそこそこ混み合っており、独特の熱気が充満している。あの少女の姿を探そうとした、まさにその時だった。
「――っのクソ台がよぉっ!!」
新台入替の島の一角から、周囲の爆音を力ずくで押しつぶすほどの、ドスの利いた怒声が響き渡った。
見れば、あの芋ジャージの紫髪が、液晶画面に向かって渾身の台パンをブチかましている真っ最中だった。
ドゴォン!!と筐体全体が激しく揺れ動く。
気のせいか、彼女の小さな拳の周囲の空間が一瞬、物理的に歪んだように見えた。
魔力を乗せたガチの台パンはさすがにヤバいだろ。台どころか店が壊れる。
「お客様! 困ります! 台を叩かないでください!」
すかさずインカムを装着した若い男性店員が青ざめた顔で飛んできて、必死の形相で彼女を制止しようと手を広げる。
「……あーはいはい、すんませーん。ちょっと手が滑っただけだしー」
紫髪は盛大に舌を鳴らすと、あからさまに不爽な態度で両手を頭の後ろに組んだ。
店員にブツブツと注意されながら「さっさと向こう行けよ」と言わんばかりにフイッと顔を背ける。
そして――最悪なことに。
怠そうに逸らされた彼女の視線の先には、通路の真ん中で間抜け面で立ち尽くす、俺とミッキーの姿があった。
「あ」
少女の動きがピタリと停止する。
騒音の中でそこだけぽっかりと生まれた気まぐれな沈黙の中、ミッキーが「あ、どうも」と言いたげに、手に持った缶コーヒーを小さく掲げて引きつった笑みを浮かべた。
◇
イライラが収まらねぇから、久しぶりに近所のパチ屋へ来てみた。
パチで大勝ちでもすればスカッとするだろーし、打ってる間くらいは余計なこと考えずに済むと思ってた。
――まあ、甘かったんだけどさ。
「……また外れかよクソが!」
今日に限って超高確率の激熱リーチが何度も外れる。設定がゴミなのか、あたしの運が底をついてんのか。
液晶の中じゃ、さも当然みたいに煽るだけ煽っといて、何事もなかったみたいに通常画面へ戻りやがる。
「……っはー!」
腹立ち紛れに台をドカンと叩いた。
……分かってる。台が悪いわけじゃねぇ。
こんなにイラついてんのは、全部昨日の怪人退治のせいだ。
最近、町で被害出しまくってたワニ頭の怪人をようやく追い詰めたと思ったら、泥酔したおっさん二人がいきなり乱入してきた。
最初は焦った。
地面に叩きつけた怪人がおっさん達に直撃しなくて「危ねぇっ……!」って冷や汗かいたけど――落ち着いて考えたら、おかしいだろ。
敵が敵だから、周囲には念入りに『人払いの結界』を張っておいたはずなのだ。普通の人間なら近寄る気すら失せるレベルのやつを。なのに、あのおっさん達は散歩でもするみたいにあっさり入ってきた。
敵の増援かとも疑った。
けど、どう見てもただの酔っぱらい。ふらふら歩いて、こっちの修羅場なんて知ったこっちゃねぇって顔してる。
挙句の果てには――
あの『ナイトメア』が、急に穴から飛び出してきておっさん達に接触しやがった、マジで血の気が引いた。
ナイトメア。
人間の悪夢やら、心の奥底に隠してるドロドロした悪意まで引きずり出して具現化させる最悪の存在。
あいつ嫌い。全部ぶっ壊したい。
人間なら一度くらい考えるような妄想を、ナイトメアは現実にしちまう。しかも「姿形は人間のまま」で、悪意を実行できるだけの異常な力を与えやがるのだ。
昨日まで普通のおっさんだった奴が、突然バケモノ化して平然と人を殺す。そういう胸糞悪い奴を、あたしは何人も見てきた。
だから焦った。よりにもよって正体不明のおっさん二人に接触したんだ。何を引きずり出されるか分かったもんじゃない。なのに――
「……なんでケロッと喋ってんだよ、意味分かんねぇだろ」
何も起きなかった。魅入られるどころか、ナイトメア相手に居酒屋のノリで話しかけてやがる。
あの時点で気づくべきだった。あいつら、絶対人間じゃねぇ。
もう一度おっさん達を注視して――マジで背筋が凍りついた。
特に、さっきからこっちを観察するように見てた冴えない方のおっさん。見た目はどう見ても、ただのくたびれた中年だ。泥酔してるし、服もダサい。
なのに――何も見えない。
魔力も、スキも、底の深さも、何ひとつ伝わってこない。
あたしだって今まで、それなりにヤバい奴らとやり合ってきた。怪人も、化け物も、人間やめたような狂人も。
けど、あんなのは初めてだった。殺気があるわけじゃないのに、脳ミソが勝手に「逃げろ」って大悲鳴をあげてやがる。
しかも、あいつの目。
あたしのことも、追いつめられた怪人のことも、まるで『近所の野良猫の喧嘩』程度にしか見てねぇんだ。
だからこそ、ここで止めなきゃヤバいと思った。何者かは知らねぇけど、あんな規格外を野放しにしたら街が吹き飛ぶ。
そう思って、あたしの出せる最大火力をぶち込んだ。
……結果は、ご覧の有様だよ。
予感は最悪の形で当たりやがった。
ヤバい目をしたおっさんだけじゃなく、もう一人の方も完全な化け物だった。
あたしのフルパワー攻撃なんて、虫刺されにもなってねぇ。
挙げ句の果てに盾が攻撃を喰ってるだと?!
こんなの、あたし一人でどうこうできるレベルじゃねぇ。あたしたち全員で束になって挑んだって、かすり傷ひとつつけられるか怪しいわ!
速攻でハルちゃんにも報告した。
人払いの結界をスルーして、ナイトメアも効かない、あたしの最大火力すら生傷ひとつ負わない『魔王』とか呼ばれてる危険人物が二人いる、って。
なのに、ハルちゃんから返ってきた指示は――
『静観しろ』
それだけ。
……分かってるよ。ハルちゃんがそう言うなら、あたしなんかが手を出したら余計事態が悪化するってことくらい。
分かってる、分かってるけどさぁ!!
「……クソがっ!!」
イラ立ちを抑えきれずに、もう一回台を思いっきり叩いた。
「お客様! 困ります! 台を叩かないでください!」
すぐ近くにいた店員が、引きつった笑顔でスタスタ寄ってくる。
「……あーはいはい、すんませーん。ちょっと手が滑っただけだしー」
チッと小さく舌打ちして、気まずく椅子に座り直した。
最悪だ。今すぐぶっ飛ばさなきゃいけない危険人物が、目の前にいたのに。
結局、苦し紛れの嘘と強がりの捨て台詞吐いて逃げ帰っただけじゃねぇか。
……それが、何より一番ムカつくんだよ!
やってらんねぇ。タバコでも吸って一旦頭冷やそう。
ため息混じりにポケットを探りながら、ふと横を見た。
「あ」
昨日の化け物おっさん二人が、そこにいた。
「…………」
何なんだよ!その顔は!?




