第95話 前国王陛下
「遅かったですね。兄上」
「お兄様……」
ということは、この御仁は……もしかしなくても、前国王陛下!?
「すまない。部下からの報告を聞いていて遅れていた」
「そうでしたか」
朗らかに笑うお義祖父さまをよそに、前国王陛下の登場に思わず目を見開いた私は、フォール様と共に二人掛けのソファーから立ち上がると、深々と頭を下げる。
「ご無沙汰しております。大伯父上」
「うむ、息災で何よりだ、フォール。そして……」
――きた。
頭を上げなくても、前国王陛下の視線が私に移ったのが嫌でも分かった。
「お初にお目にかかります。フォール・リスタット様の婚約者、カーラ・バリストンと申します」
「あぁ、君のことはもちろん知っている」
「っ!」
――一体、前国王陛下は私の何を知っているのかしら?
冷たい汗が背中を伝った時、前国王陛下の視線がお義祖父母に向けられた。
「それが、本物の『聖女の力』か」
「は、はい! そうです!」
そう言えば、お義祖父母に聖女の力をかけたままだったわ。
慌てて顔を上げた私は、義祖父母に視線を戻した時、前国王陛下が笑みを零した。
「とても、綺麗だ。王都で見た光よりも美しく……温かい」
温かな声で紡がれた前国王陛下の言葉に引き寄せられ、そっと視線を移すと、『聖女の力』に包まれたお二人を優しそうに見つめる前国王陛下がいた。
その表情に、不意に胸が締め付けられた。
この方は、王都でアリシアの放つ光を見ているはず。
なのに、私の光を見て、『綺麗で温かい』って……。
強張っていた肩の力が抜け、お義祖父さまとお義祖母さまを包んでいた光のヴェールが、ゆっくりと消えていった。
すると、視線を私に戻した前国王陛下が、笑みを潜めると私の前に立ち……
深々と頭を下げた。
「カーラ嬢、今更だと思うが、私が不甲斐ないばかりに、君の大事な母親を奪った挙句、君の人生を滅茶苦茶にしてしまい、本当に申し訳なかった」
「へ、陛下! 頭をお上げください!」
元とはいえ、一国の主に頭を下げられるなんてあまりにも申し訳ないわ!
「いや、謝らせてくれ。元はと言えば、一人息子の願いを叶えてしまったのが悪いのだから」
「っ!」
「本当に……すまなかった」
現国王の父であるこの方からの、心からの謝罪に言葉が詰まる。
確かに、現国王の願いを……『公爵を宰相にして欲しい』という願いをこの方が叶えなければ、お母様が亡くなることも、私が聖女の力を奪われることもなかったかもしれない。
でも……
「陛下、どうか頭をお上げください」
ゆっくりと顔を上げた前国王陛下に、フォール様達を一瞥した私は素直な思いを伝える。
「恐れ多くも、私はあなた様に対し、全く恨んでいないと言えば嘘になります」
多分、この方を一生許すことは出来ない。
――私の人生を壊した人のことなんて。
「そうだろう。君の母親が亡くなった時、そこにいる弟と酷く悔やみ、甥からは殴られただのだから。『あなた達のせいで、大事な姉を亡くした!』と激怒されて」
「父が怒ったのですか?」
これは、さすがのフォール様もご存じなかったらしい。
私には信じられなかった。
寡黙ながらも息子の未来の妻である私に気遣ってくださる方が、激高して叔父を……前国王陛下に対して手を上げるなんて。
「あぁ、それだけ姉のことを……カーラ嬢の母親のことを慕っていたということだ」
そう言って、苦笑いした前国王陛下の瞳には、深い後悔の色がにじみ出ていた。
この方は、今でも後悔している。
そのことだけは、痛いほど伝わってきた。
だからこそ……
小さく息を吐いた私は話を戻す。
「ですが、今の私は素晴らしい縁に巡り合い、これ以上ない幸せを掴むことが出来ました」
王都で過ごした地獄の日々を忘れることなんて出来ない。
でも、その経験が、この出会いを一生大切にしたいと思える縁へと繋いでくれた。
そして、フォール様と共にこの国を導く覚悟を後押ししてくれた。
そのことには感謝しないといけないわ。
表情を和らげて答えると、驚いたように目を見開いた前国王陛下は、僅かに目を潤ませると深々と頭を下げる。
「ありがとう。君にそう言ってもらえて、私はようやく赦せる気がする」
誰も言葉を発しなかった。
応接間には、重くも穏やかな空気だけが流れていた。
かつて『賢王』と呼ばれ、国民から絶大な信頼を寄せられていた男は、前国王陛下というには、あまりにも人間的だったから。
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