第90話 姉の決意、弟の後悔
「……なるほど、カーラさんもアリシア嬢もフォールから色々と話を聞いたというわけか」
「そうだな」
屋敷のテラスに移動してすぐ、フォール様は、私とアリシアに明かした真実を、ご家族にも簡潔に説明した。
お母様のことや、あの男が『婚約者交換』を企てた思惑、そして『聖女の力』の本当の持ち主について。
一通り聞き終えたお義父さまは、険しい表情を浮かべるとフォール様の隣に座っている私を見た。
「カーラさん、フォールから君の母親のことや父親の思惑を聞いてどう思った?」
「そう、ですね」
ティーカップに注がれた琥珀色の液体に視線を落とした私は、フォール様から話を聞いた時に思ったことを素直に言葉にした。
「……正直、驚きました。私は、お母様のことを何も知りませんでしたから」
お母様は、あの男との結婚が政略結婚だったこと以外、自分のことをほとんど話さなかった。
実は国防を担う辺境伯家の令嬢だったことも、この結婚が国のためであったことも。
素直な気持ちを吐露した私に、小さくため息をついたお義父さまは、お母様の昔話をしてくれた。
――それは、私の知っているお母様とは正反対の人の話だった。
「姉は……とても豪傑で横暴な人で、いつも弟の私や幼馴染だった妻を振り回していた」
「えっ?」
いつも淑女としてお淑やかだったお母様が、豪傑で横暴!?
そして、お義母さまがお母様の幼馴染だったの!?
驚いて顔を上げた私は、少しだけ照れくさそうに笑う義母に視線を向ける。
「そうよ、あなたのお母様って本当に男勝りで正義感が強くて……でも、とても愛情深くて優しい人だったの。そんな人だったから、私はあなたのお母様の『妹分』として一緒にいて楽しかったの」
「そう……だったのですね。私の知っているお母様とは少し違うといいますか……私の知っているお母様は、まさに淑女の鑑といえるような方でしたから」
『カーラ。淑女たる者、常に凛としていなさい』
ベッドの上にいても、常に背筋を伸ばし、嫋やかに微笑む。
それが、私の知っているお母様であり、私の憧れた淑女だった。
私の話を聞いて、驚いたように顔を見合わせたご夫妻が私に視線を戻す。
そして、何かを思い出したように表情を曇らせたお義父さまは、そっと窓の外の庭に目をやった。
「だから、公爵家との縁談が来た時、姉は『辺境伯家令嬢として、務めを果たします』と言って、婚約に猛反対する父を毎日のように説得していた」
「父さんに家督を譲った今も、辺境の未来を第一に考えているあの爺さんが、縁談に反対したのか!?」
「そうですよ。辺境の端にある別邸に行くたびに、兄上や僕に辺境の未来について話されるお祖父さまが、この縁談に猛反対なさるなんて到底考えられません」
意外そうな表情で声を上げるフォール様とアラン様。
そんな息子たちの言葉を聞いたお義父さまは困ったように笑った。
「あの人は、この地が……私たち貴族と領民が明るく幸せに暮らすこの辺境の地が大好きなんだ。だから、私やお前達にいつもあのような話をしている」
すると、お義父さまの表情から静かに笑みが消える。
「あの人は、現公爵の学園での噂も、前公爵の思惑も知っていた。そして……このまま嫁げば、姉は一生、夫から見放された冷たい結婚生活を送ることも分かっていた」
「「「っ!」」」
フォール様やアラン様と共に言葉を失う私の脳裏に、幼い頃の記憶が蘇った。
『あの人とまともに顔を合わせたのは、結婚式の時だけだったわね』
辺境伯領で療養して数日が経ったある日、ふとしたきっかけでお母様が話してくれたあの人との関係。
公爵家に嫁いでから、お母様が幸せだったのかは、今となっては分からない。
けれど――
テーブルの下で静かに拳を握る私に、お義父さまが優しく微笑んだ。
「確かに、父の思い描いた幸せな結婚生活ではなかったと思う。けれど、少なくとも、私はカーラさんが生まれてから姉は幸せだったと思う」
「っ!」
『カーラ、愛しているわ』
お母様。私、あなたの娘に生まれて幸せですわ。
その時、隣から大きな手が伸びてきて、そのまま私の手を優しく包み込んだ。
「フォール様……」
「カーラ、俺も父さんと同じで、カーラが生まれてから、伯母上は幸せだったと思う」
優しく微笑むフォール様に、思わず涙がこみ上げる。
そんな温かな余韻が残る中、お義父さまは静かに表情を引き締め、話を続けた。
「とはいえ、政略結婚だからといって、娘が不幸になると分かっていて送り出すことは、さすがの父にも承服できなかった。だからこそ父は縁談に猛反対し、姉は辺境伯家令嬢としての務めを果たすため、そんな父を説得し続けた」
「そんなにも娘を想ってくださる方だったのですね」
話を聞く限り、政略よりも家族の幸せを大切にする、とても情の深い方のようだわ。
――実の父親より、遥かに。
「あぁ、家族も、この地に暮らす者たちも、分け隔てなく大切にする人だ。今度、フォールと一緒に会いに行くといい」
「そうさせていただきます。ご挨拶もまだでしたし」
苦笑したお義父さまの後を継ぐように、お義母さまが口を開いた。
「でも、当時王太子だった現国王がどうしても公爵を宰相にしたいと言い出したのがとどめになってしまってね。お義父さんと前国王陛下が話し合った末、フィオナ姉さまとバリストン公爵が政略結婚をすることになったの」
「王族が身内に甘いのも悪いが、公爵も男爵令嬢を諦め、姉を妻として愛してくれていたら、姉やカーラさんの状況が少しは変わったのかもしれないな」
「それは……無いと思います」
――なにせ、愛する庶子のために、実の娘の力を『交換』した人なのだから。
「そうだな。すまない、気分を害した」
「いえ、分かりきったことですから」
「そうか」
深いため息をついたお義父さまは、悲しそうな目で私に視線を戻した。
「姉と公爵の結婚式はそれなりに盛大だった。しかし、姉が亡くなったという知らせが届き、葬儀に参列した時には、公爵家の葬儀とは思えないほど簡素なものだった。それは、カーラさんも覚えているな?」
「もちろんです」
王都の端の小さな神殿で、ごく少人数の参列者でのささやかな見送りだった。
そこには、喪主であるあの男はいたけど、終わってすぐにどこかへ消えていってしまったわ。
『おかあさま! おかあさま~!!』
降りしきる雨の中、神殿裏の貴族用の墓地に埋葬されたお母様の墓前で、私はひたすら泣いた。
……声が枯れるくらい、たくさん泣いた。
「姉は、とても活発で病気知らずの人だった。だが、王都の空気がよほど合わなかったのか、公爵家で酷い嫌がらせを受けたのか、みるみるうちに病弱になっていった」
「…………」
酷い嫌がらせ。それは多分、屋敷にいる母子を一切見向きもしなかったあの男のせいね。
使用人たちは、お母様には優しかったから。
「私は……」
お義父さまは苦しそうに目を細めた。
「君の叔父として、君が生まれてきてくれたことを嬉しく思う。そして義父として、こうして私たちのもとへ来て、家族として過ごしてくれていることも、本当に嬉しい」
「はい」
「だが……君の母親の弟として、あの男と結婚して欲しくなかったと心底後悔している」
「…………」
この方は、実の姉を亡くし、その人生までもがあの男の策略に利用されていたと知って、どれだけ悔しい思いをしたのかしら。
お義父さまのサファイアの瞳から滲み出る、底知れない悲しみと後悔と怒りを目の当たりにして胸が痛み、そっと膝の上で手を握り締めた。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!
というわけで、結婚を巡っての姉フィオナと弟オーロンのお話でした。
温かくカーラを迎えたフォールの父、オーロンでしたが、その裏には複雑な気持ちを抱えていたのですね。
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