第35話 初めての贈り物
リスタット辺境伯家に来て、あっという間に一か月が過ぎた。
マホロフさんが処方した薬と、王都にいた頃では考えられない規則正しい生活のお陰で、生命の危機寸前だった体調が大分改善された。
この調子でいけば、辺境伯家の広大で美しい庭に出られる日も近いとのこと。
はぁ~、早くお庭の様子を直接見たいわ。窓から見るのも全然楽しいのだけど。
屋敷の皆様とも会話することが多くなり、少しずつだけど皆様の人となりを知ることが出来るようになった。
――たまに、名前を呼んだだけで目を潤ませて喜ぶ方もいたけど。
そんな中、自室の二人掛けソファーで、アンナと一緒に刺繍していた私は、手を止めると満面の笑みで完成したものを広げる。
「やった、遂に出来たわ!」
我ながらいい出来じゃない!?
無地の白いハンカチの端に刺繍された赤い盾と双剣を見つめながら、私は笑みを零す。
盾と双剣。
それは、建国時からあらゆる外敵から我が国を守るリスタット辺境伯家を示す由緒ある家紋であり誇り。
強い信念と覚悟を現すそれを、フォール様の瞳と髪の色である赤と黒の糸で丁寧に刺繍出来て嬉しかった。
――ある意味、辺境伯家の婚約者として初めての仕事かもしれないわ。
「おぉ、カーラ様! 遂に完成したのですね!」
「えぇ、見てちょうだい!」
私の隣に座って刺繍をしていたアンナに得意げに見せる。
すると、アンナの目が嬉しそうに輝く。
「凄いです、カーラ様! ちゃんと折り重なっているように縫われていてとても綺麗です!」
「ありがとう。これもアンナの教えが良かったからよ」
「えへへへっ、それほどでも~」
褒められて照れ臭いのか、嬉しそうに笑いながら頭を掻くアンナ。
本当に、この子がいなかったら、こんな綺麗な刺繍は出来なかったわ。
「それにしても、猫なのか犬なのか分からない刺繍をされていたカーラ様が、一ヶ月で剣と盾の刺繍を綺麗に縫うことが出来たなんて! 私、カーラ様の侍女としてこの上なく嬉しいです!」
「アンナ、それ、絶対にフォール様に言っちゃダメだからね!」
「『それ』と言いますと?」
「犬猫のくだりよ!」
いくら学園の授業と王太子妃教育でしかやっていなかったとはいえ、あれはあまりにも酷すぎたわ。
――『学園の授業と王太子妃教育でやっていた』と得意げに言っていたあの時の自分を殴りたいくらいに。
「何が言っちゃダメだって?」
「フォール様!?」
いつの間にか部屋に入ってきたフォール様が、楽しそうな顔で私とアンナを見つめる。
あの顔、絶対私たちの会話を聞いていたわよね?
「坊ちゃま! 実はカーラ様が……!」
「アンナ!」
「は~い、すみませ~ん!」
全く『悪い』と思っていない顔で謝ったアンナは、椅子から立ち上がると『では、お茶の準備をして参ります』と言ってそそくさと部屋を出た。
アンナ、お茶の時間には少し早い気がするのだけど?
「それで、何がダメだったんだ?」
「え、いや、その……」
なんて言えばいいの?
素直に『実は、刺繍を始めた頃、犬なのか猫なのか分からないものを縫いました』っていうの?
いやいや、淑女として恥ずかしすぎるわ!
言い訳を考えながら、こちらに近づいてくるフォール様から視線を逸らす。
「カーラ。婚約者として、隠し事はなるべく無しにした方がいいと思うが?」
「そ、それはそうかもしれませんが……」
で、でも、さすがに恥ずかしすぎるというか……まだ、婚約者だから言わなくてもいいというか……
すると、私の隣に座ったフォール様の視線が私の手元に落ちると、驚いたように目を見開く。
「カーラ、それって……」
「っ!」
もう、こうなったらやるしかないわ!
本当は、もう少し仲良くなってからしたかったけど!
淑女としてあまりにも恥ずかしい話を彼に聞かせたくなくて、私は握っていたハンカチをフォール様に差し出した。
「じ、実はこちらをフォール様にあげたくて!」
「俺に?」
「はい! こちらに来てからフォール様、ずっと私のことを気遣ってくださっていたので、そのお礼に!」
これは、嘘じゃない。
辺境伯領に来てから、フォール様は毎日のように私のことを気遣ってくださっている。
今だって、こうして公務の合間を縫って私に会いに来てくださっている。
「私、フォール様にずっといただいてばかりで……どうしても、お礼がしたくて!」
これも、嘘じゃない。
いただいてばかりのフォール様に、お礼がしたかった。
でも、それは今じゃない。
彼が私からの贈り物を『迷惑だ』と思わないと分かった時にしたかった。
婚約者に物をあげて拒まれるのは、一度だけで十分だから。
――蔑んだ目で突き返されるのは、一度だけで十分。
『お前みたいな地味女より、我が愛しいアリシアから貰った物の方が嬉しいに決まっているから要らん!』
元婚約者の言葉が脳裏を過り、差し出した手が僅かに震える。
もし、フォール様も同じだったら――
いや、彼が元婚約者のようなクズ男じゃないのは分かっている。
それでも……
すると、フォール様の手がハンカチごと私の手を包んだ。
「フォール、様?」
「全く、綺麗で美しい指に小さな傷を作って何をしているかと思えば……このような素敵な物を俺のために作っていたのか」
「えっ?」
美しい? 綺麗? 素敵な物?
婚約者の言葉に俯いていた顔を上げた時、優しく微笑んだフォール様が、私の手からハンカチを受け取ると、刺繍した場所を丁寧に撫でる。
「綺麗だな。カーラが俺のために縫ってくれたと思うと尚更」
嬉しそうな顔で何度も撫でたフォール様は、そのまま刺繍に口づけをした。
「っ!」
なぜかしら、自分がキスされたわけじゃないのに、自分がキスされたみたいで物凄く恥ずかしい。
彼の動きから目が離せず、頬を熱くしていると、ハンカチを丁寧に懐に入れたフォール様が、再び私の手をとる。
「この頑張り屋さんの手が、俺のために刺繍を縫ってくれたのだな」
そう言うと、彼は指に残る無数の小さな傷に一つずつ丁寧にキスを落とす。
まるで、婚約者の頑張りを称賛するように。
婚約者の健気さを愛おしく思うように。
「フォ、フォール様!?」
い、いきなり何を!?
伏し目がちにキスを落とす、紳士な彼から僅かに漏れ出す大人の色気に、声が出ない。
私の口は無音のまま忙しなく動き、顔も、耳も、キスされた指先も、淹れたての紅茶より熱い。
そんな私を見て、甘く笑ったフォール様はゆっくりと顔を上げると、固まって動けない私を優しく抱き寄せる。
「ありがとう、カーラ。このハンカチは、使わずに一生大事にする」
「あ、あの……出来れば使っていただきたいのですが」
正直、一生大事にすると言われた時は嬉しかった。
まるで、刺繍した私まで大事にすると言われているみたいで。
でも、私としては使って欲しい。
お世話になりっぱなしの彼に、少しでも役に立ちたいから。
「アハハッ、そうだな。では、大事に使わせてもらう」
「ヒャッ!」
い、今! 額にキスをしたわよね!?
彼から離れて、咄嗟に額を抑えた私に、クスクスと楽しそうに笑うフォール様。
そんな彼の笑顔に、安堵の笑みが零れる。
良かった、拒否されなくて。
良かった、頑張って刺繍して。
「それで、アンナと何の話をしていたんだ? 俺が部屋に入ってきたとき『ダメ!』って聞こえたが?」
「え、えっと……」
フォール様の笑顔の圧に負けた私は白状した。
――その頃、私から何もかも奪った義妹は、文字通り、順風満帆な生活を送っていた。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!
というわけで、乙女心全開のカーラからの贈り物に、浮かれまくって暴走しるフォールをお届けしました(笑)
いや~、初恋の女の子からの初めての贈り物に、テンションが上がるフォール。
普通に男の子ですね(笑)
ちなみに、指へのキスは「賞賛」「敬意」「愛情」、額へのキスは「愛おしい」「かわいい」「大切にしたい」って意味があるらしいですよ。
フォール、婚約が成立して一ヶ月が経った恋愛初心者のカーラに対して重いって(笑)
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