第29話 感じたことのない温かさ
怯えるアンナに小さくため息をついたフォール様は、少しだけ苦笑すると、彼女を宥めるように耳を疑うようなことを口にした。
「でも良かったな、アンナ。『カーラ専属侍女争奪戦』に勝って、こうしてカーラに気に入られて」
「えっ?」
なに、その『カーラ専属侍女争奪戦』って?
私が辺境伯領に向かっている間に、そのようなことが行われていたの?
表情が固まる私に気づいたフォール様は、笑みを少し潜めると、私が屋敷に来るまでの話をしてくださった。
「実は、カーラが来る前、屋敷にいる者全員にカーラについて、俺から話したんだ」
「っ!」
『坊ちゃまからカーラ様についてのお話を聞いた限り、カーラ様は今まで、一つのことにゆっくり時間をかける機会がなかったのではないかと思いまして!』
そう言えば、一週間前、『やりたいこと』と聞かれた時にアンナがそんなことを言っていたわね。
あの時は特にも止めなかったけど……もしかして、王都で広まっている噂も、知っているということ?
脳裏に過る、ここに来てから出会った人たちの笑顔。
――そして、王都にいた頃に当たり前のように向けられていた周囲の冷たい視線と静かな蔑みの声。
沸き上がってくる恐怖に、顔を俯かせた私は堪えるように両手をギュッと握る。
すると、大きくてごつごつとした手が優しく包み込んだ。
「カーラ」
「フォール様……」
名前を呼ばれてゆっくりと顔を上げると、真剣みを帯びたルビー色の瞳とかち合う。
「今の君が、この話を聞いて恐れるのは無理もない。実際、君に関する悪い噂を耳にしていた者もいて、会ってもいない君を忌避する者もいたし、『俺の婚約者には相応しくない!』と声を上げる者もいた」
「私は違いましたけどね! 噂なんて、誰かが作ったおとぎ話みたいなものですから!」
「アンナ……」
本当、あなたって人は……
フォール様の隣で自信満々に胸を張るアンナを見て笑みが零れる。
確かに、裏表がなくて純粋で真っ直ぐなこの子なら、噂なんて簡単には信じなさそうね。
「話を戻すぞ」
「はい、どうぞ」
「だから俺は、カーラが来る前に皆に話した。君の辛すぎる境遇を。そして、君が第一王子の婚約者として、どれだけ頑張っていたかを……君の婚約者として」
「っ!」
そこまで話してくださったのですね。
前の婚約者だったら、決してしてくださらなかったことを。
婚約者として尽くしてくださっているフォール様の話に、思わず涙ぐみそうになった時、その時のことを思い出したアンナが呆れたようにため息をついて、またもや耳を疑うようなことを告げた。
「まぁ、カーラ様が来るまで毎日二時間、ぶっ通しでカーラ様の良さを力説するのはさすがにやりすぎだと思いますが」
「毎日二時間!?」
私が来るまでに、そんな長い時間、屋敷の皆様に私のことを話されていたのですか!?
「仕方ないだろ。皆に、カーラがどれだけ可愛く、美しく、清らかで、誠実で、健気で、頑張り屋さんかを知って欲しかったから。むしろ、二時間では全然足りない」
「いいえ! 二時間で十分……いえ、やりすぎです! ここ最近は、完全に惚気話になっていたじゃないですか!」
「そうか?」
「そうですよ! 全く、使用人の中には出会いを求めている独身者もいるのですから、少しは考えてください!」
「それは……悪かったと思っている。セバスが止めなかったら、もっと話していたかもしれない」
「でしょうね」
惚気……本当に、何を話されたのかしら?
えっ、ちょっと待って。それじゃあ、この部屋に来た使用人の皆様から向けられた生暖かい目って、まさか……!
2人の会話を聞いて、絶対安静中のことを思い出し、急に恥ずかしくなり、フォール様の手を離すと両手で熱くなった頬を抑える。
「カーラ、どうした?」
「いえ、何でもありません……」
本当に、何でもありませんから。
すると、何かを思い出したアンナが笑みを浮かべる。
「でも、そのお陰で、カーラ様の王都での噂が真っ赤な嘘だって理解しましたし……それに、フォール様の話を聞いてカーラ様の印象を改めたメイド達が『カーラ様の侍女になりたい!』って自ら立候補したんです!」
「えっ?」
「それも、全員です!」
「全員!?」
「まぁ、カーラの人となりを知れば当然のことだろう」
「…………」
フォール様、本当に皆様にどのような話をされたのですか!?
驚いて言葉を失う私に対し、得意げな笑みを浮かべたフォール様は、さらに話を続ける。
「それで、見かねたセバスとレイラが『カーラ専属侍女争奪戦』なんてものを執り行って……」
「熾烈な激闘の末、見事、私が勝ったというわけです!!」
「そう、だったのね……」
でも、少しだけ納得したわ。
どうしてアンナが初対面であんなに距離を縮めてきたのか。
そして、使用人の皆様が活き活きと尽くしてくださったのか。
得意げに胸を張るアンナに、少しだけ圧倒されつつ、これまでのことを振り返り一人納得していると、フォール様から笑みが消える。
「カーラ」
「はい」
「もし良かったら明日、皆に君の紹介をして屋敷の案内した後、俺に少し時間をくれないか?」
「えぇ、別に構いませんが」
「ありがとう。そろそろ、君がここに来るまでの話を聞きたい。場合によっては、公爵家に抗議をしなければならない」
「っ!」
私のために公爵家へ抗議だなんて……!
色々と尽くしてくださるだけで十分なのに!
すると、私の手を握っていたフォール様が、力強く、それでいて優しく握られた。
「カーラ。真面目で心優しい君は、辺境伯家が公爵家に対して抗議をすることを望んでいないだろうし、そのために自らを犠牲にすることを選ぶだろう」
「っ!」
「だが、辺境伯家として公爵家が意図的に婚約者を蔑ろにしたなら、それは決して許せないことだ。これは、賢い君なら分かっているはずだ」
当然よね。婚約者を蔑ろにするということは、その家を見下しているのと同じなのだから。
許せるわけがないわよね。
「何より……俺自身が君を蔑ろにされたことが許せない」
「フォール様……」
「だって、俺の婚約者はカーラ・バリストン……そう、君なのだから」
「っ!」
今まで、あったかしら。
私自身を正面から見てくれたこと。
凍った心を溶かすような、優しい言葉を向けられたこと。
思わず顔を覆いたくなるほど、甘く扱ってくれたこと。
『婚約者として許せない』と怒ってくれたこと。
――いえ、無かったわ。
物心ついた時には、私の周りには、私に厳しく責める人か、嬉々として虐げる人しかいなかったから。
「だから明日、皆を紹介して屋敷を案内した後、聞かせて欲しい。君がここに来るまで、何があったのかを」
「……分かり、ました」
本当に、この人はどこまで私のことを知って、私のことを大事にしてくれるのかしら。
懇願するように握られた手の温かさと、彼の真っ直ぐな瞳に絆され、私は少しだけ迷いながらも静かに頷いた。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!
というわけで、フォールの惚気全開です(笑)
カーラを迎えるために毎日二時間使用人に話をする。
確かに嫌だわ(笑)
でも、それで今のカーラの受け入れ体制が出来たなら少しはいい……かも?(笑)
フォール、どうして君はカーラ絡みになるとポンコツになるんだ(笑)
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