第17話 私の、侍女?
『カーラ』
お母様。
どこまでも広がる真っ白な空間で、優しく微笑みかけたお母様が、ゆっくりと背中を向けると静かに離れていく。
『待って、お母様! 行かないで!』
私を置いていかないで!
搾取されるばかりの世界に置いていかないで!
お母様と離れたくなくて必死に叫んで追いかけても、お母様との距離は縮まらない。
切なる声は届かない。
待って、お母様!!
「お母様!!」
目を開けると、見知らぬ天井に手を伸ばしていた。
あぁ、やっぱり夢だったのね。
ゆっくりと手を下ろした私は、荒くなった息を整える。
お母様が亡くなってしばらくの間、何度も見ていた夢。
あの二人が来てからは、仕事に追われて見ることもなくなっていたけど……久しぶりに見たわ。
でも、お陰で少しだけ眠れた気がするわ。
実家にいた頃は、夜明け前に起きて夜遅くまで王太子妃教育に殿下の仕事の手伝い、父の仕事代理や学園の復習をしていたから。
――それに、少しでも寝坊すれば、使用人たちから容赦ない嫌がらせを受けたし。
「それにしても、ここはどこかしら?」
ベッドも別邸に暮らしていた頃に毎日寝起きしていた薄く硬いベッドに比べれば、遥かに寝心地が良いわ。
寝起きスプリングの効いた寝心地が最高のベッドから起きて周囲を見回す。
別邸にいた頃は執務用の簡素な机と、辛うじてドレスが2着入る小さなクローゼットと、淑女教育で使っていた教材がびっしり入った本棚があった。
でも、ここには白と淡い色を基調とした貴族令嬢らしい綺麗で可愛い調度品が完璧な位置で置かれているわ。
――まるで、アリシアが来る前の私室みたい。
「ドレスも色褪せた時代遅れのドレスではなく、アリシアが着ていそうな真っ白で可愛らしいナイトドレスに変わっているし……そういえば私、どうして寝ているのかしら?」
確か昨日、やっとの思いでリスタット辺境伯家の屋敷を訪れ、そこでフォール様やセバスと対面して、それから話して――
「っ!」
そうよ。
私、長旅の疲れが出てその場で倒れたんだったわ!
「私、初日から何をしているのよ……!」
初対面の人達の前で倒れるなんて、貴族令嬢として恥ずかしすぎる!
昨日の失態を思い出し、恥ずかしさのあまり両手で顔を覆っていると、部屋のドアがノックされた。
「はい」
「失礼致します、カーラ様」
音を立てることもなくドアを開けて入ってきたのは、燕尾服に身を包んだ初老の男性セバスさんだった。
「おはようございます、カーラ様」
「おはようございます、セバスさん」
すると、僅かに眉を顰めたセバスさんが笑みを深める。
「カーラ様。私のことは、どうぞ『セバス』とお呼びください」
「あ、分かりました……セバス」
「はい。それと、敬語もお止めくださいね」
「うっ、ごめんなさい」
フィリップ殿下の婚約者だった頃、周囲はアリシア信者ばかりだったから、使用人相手でも敬語を使わなければ、まともに話を聞いてもらえなかったのよね。
王都で身についた悪い癖を指摘され、思わず苦い顔をした時、セバスが静かに閉めた扉が勢いよく開かれる。
「おはようございます、カーラ様!」
扉を開けて太陽みたいに眩しい笑顔を浮かべたアクアマリン色の瞳の可愛らしい少女は、元気いっぱいに挨拶すると、琥珀色のおさげ髪を揺らしながらベッド脇に駆け寄ってきた。
その勢いに言葉を失っていると、少女の後に入ってきた、黒髪を纏めてハシバミ色の瞳で眼鏡をかけた恰幅の良い女性が、彼女の首根っこを掴んだ。
「こら、アンナ! カーラ様に失礼でしょう!」
「ご、ごめんなさい……」
「えっと……?」
この二人、どなたかしら?
メイド服を着ているから、この屋敷の使用人なのは間違いないのでしょうけど。
すると、二人の背後に立っていたセバスがコホンと咳払いをした。
「コホン。アンナ、ご挨拶を」
「は、はい!」
セバスに怒られた少女は慌てて姿勢を正すと、深々と頭を下げる。
「本日からカーラ様の侍女として仕えさせていただきます、アンナと申します!」
「私の、侍女?」
「はい! 誠心誠意お仕え致しますので、よろしくお願いいたします!」
「は、はぁ……」
私の、侍女……
はきはきとした声で自己紹介をしたアンナの後ろで、小さくため息をついた恰幅の良い女性は、私に向き直ると深々と一礼する。
「初めまして、カーラ様。私はこの屋敷でメイド長を務めております、レイラと申します」
「メイド長……」
「はい。何かございましたら、いつでもお申し付けください。特にアンナのことでしたら、なんでも受け付けますので」
「メイド長!」
レイラの言葉に、顔を上げたアンナがむっと頬を膨らませて睨みつける。
この二人、仲が良いのね。
まるで、昨日のフォール様とセバスみたい。
仲のいい二人を見てふっと笑みを零すと、私の顔を見たアンナが酷く心配そうな顔で見つめた。
「カーラ様、何か悪夢を見られたのですか?」
「えっ?」
「だって、顔が濡れております」
アンナに言われ、私はそっと自分の頬に触れる。
確かに、頬は濡れていた。
悪夢……確かに、悪い夢だったのかもしれないわね。
すると、アンナが懐からハンカチを取り出す。
「カーラ様、こちらをお使いください」
「え、でも、こんな綺麗なハンカチ……」
「大丈夫ですから! お使いください!」
「わ、分かったわ……ありがとう」
勢いに負けた私は、彼女からハンカチを受け取ると濡れた目元と頬を優しく拭った。
使用人から優しくされるなんて、随分と久しぶりだわ。
アリシアが来てからは、使用人たちは『公爵家の使える道具でありお荷物』である私をいつも邪険に扱っていたから。
公爵家での日々を思い出し、綺麗なハンカチをギュッと握りしめた時、アンナがベッド脇に跪くと私の手を両手で優しく包み込んだ。
「カーラ様! どんな些細なことでも何かありましたら、このアンナをいつでもお呼びください! お話相手でも、遊び相手でも、何でもしますから!」
「っ!」
『これからは、自分のことは自分でしてください。私たちはアリシア様のことで忙しいですので』
別邸に住処を無理やり移された頃に、冷たく言われた元侍女の言葉が脳裏に蘇る。
どんな些細なことでも笑顔で対応してくれた使用人たちは、アリシアと継母が来て、悪い噂が広まってから『悪女』である私を足蹴にした。
頼ることを『悪』と決め、私を拒絶した。
――だから、頼ることを諦めた。頼っても無駄だと悟ったから。
「本当に、良いの?」
使用人たちに軽んじられていた私が、あなたを頼っても?
「もちろんです! 私は、あなた様の侍女ですから!」
「っ!」
『侍女だから』
目を潤ませながら真剣に訴えるアンナの言葉に、思わず涙が込み上げそうになったその時、私の新しい婚約者が部屋に入ってきた。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!
というわけで、ようやくカーラが目が覚めました。
倒れてしまったことを恥と思ったり、使用人に対して『さん』付けだったりと彼女の自己肯定感の低さが明らかになりましたね。
新キャラも出てきました!
底抜けに明るいアンナと、彼女を静かに静止させるレイラ。
この二人が今からどう関わってくるのか!
是非ともお楽しみに!
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