第107話 最初で最後の親子喧嘩
「カーラ……」
あの男に対する怒りのあまり、感情のまま言葉をぶつけてしまった私を、フォール様が悲しそうな目で見つめている。
きっと、この方は――あの男から理不尽に罵倒される私が、傷つくことが嫌なのだろう。
――本当に、優しい人だわ。
不安げに見つめる彼を安心させようと、私は柔らかく笑みを浮かべた。
「フォール様、ご心配いただきありがとうございます。でも大丈夫ですわ」
「しかし、あのような罵倒はあまりにも……!」
「あの男が私の話を聞いて言い返す。それに対して、私も反論する。これだけで、奇跡ですわ」
あの屋敷にいた頃、私たちは滅多に顔を合わせなかった。
たとえ顔を合わせたとしても、妻と義妹を溺愛するあの男は、私の話など聞こうともせず、ただ仕事を押し付け、理不尽な罵倒を浴びせた。
そんな男に、恐怖と諦めに縛られ、ただ黙って、あの男の機嫌を損ねないように振る舞うしか出来なかった私は、言い返すことなどできなかった。
そんな私たちが今、こうしてまともに会話している。
あの男に言い返せている。
それだけで――奇跡なのだ。
「確かに、君にとってはそうかもしれない。だが……!」
悔しそうに顔を歪めるフォール様を見て、私は笑みを潜めると小声で問いかけた。
「ところで、フォール様」
「なんだ?」
「『聖女の力』で、魔法そのものを一時的に封じることはできるでしょうか?」
そう言って、私はあの男の隣に立つ黒ローブの男を睨みつける。
――あの男こそ、私とアリシアに禁呪を施した張本人。
そして、保身に余念のないお父様は、万が一に備えて、禁呪を使うための魔道具を懐に隠し持っている。
大神官様たち曰く、私の聖女の力は、アリシアが持っていた頃よりも圧倒的に強いらしい。
それなら――聖女の清らかな力で、邪悪な魔法そのものを封じることができるかもしれない。
例えば、光の縄で相手を拘束し、ほんの僅かな時間だけ魔法を使えなくするとか。
『聖女の力』でほんの少しでも隙が出来れば、フォール様たちが黒ローブの男を取り押さえてくれるはず。
少しだけ考えたフォール様が、小声で答える。
「分からない。だが……やってみる価値はある」
「そうですか」
なら、やってみるしかないわね。
「では、私が『聖女の力』で魔法を封じたら、その隙に全員を取り押さえてもらってもいいですか?」
「……分かった」
……でも、その前に。
「おい! 何をこそこそ話している!」
声を荒らげるあの男に、視線を戻した私は笑みを浮かべまま一歩前へ出た。
「カーラ、それ以上は……!」
「大丈夫ですから――私を、信じて」
優しく微笑んだ私を見て、大きく目を見開いたフォール様は小さく口角を上げる。
「もちろん、信じている。だが、無理だけはするな」
「はい」
視線を前に戻した私は、顔を真っ赤にしているお父様に静かに投げかける。
――家族ならば答えられる、ごく当たり前の質問を。
「お父様。私の名前を言ってください」
「は?」
これは、最終確認。
私と血の繋がった父親を――完全に見限るための。
「おや、忘れましたか? 十年以上も同じ屋敷で暮らしていた娘の名前を」
この男の性格は、嫌というほど知っている。
自分にとって利益になる者の名前しか覚える気がないことも。
――そして、自分の手足として使っている者の名前など、覚えようともしないことも。
だから、きっと……。
すると、お父様はニヤリと笑った。
「さぁ、アリシアの『繋ぎ役』の名前なんざ、公爵家を追い出した瞬間に忘れた」
「「「「っ!」」」」
得意げに笑うお父様の返事に、フォール様を含めた周囲の人たちが一斉に顔色を失う中、私は小さく息を吐いた。
「……そうですか」
――やっぱり、そんなことだろうと思ったわ。
『カーラ、お前は今すぐリスタット辺境伯家へ行け』
――公爵家を追い出される時は、ちゃんと名前を呼んでくれたのに。
でも……安心したわ。
これで、決して相容れなかった父と娘の、最初で最後の親子喧嘩が出来るのだから。
僅かな痛みを胸に、クスリと笑った私は、目の前の男にある提案をする。
「では、賭けをしましょう」
「賭けだと?」
眉をひそめるお父様とアリシアに、私は笑みを深める。
「ええ。そこにいる魔法師らしき方が禁呪を使うのと同時に、私は聖女の力を使い、その魔法師の動きと禁呪が込められた魔道具を封じます」
「ほう。アリシアから奪った力で、魔法師と魔道具を封じると?」
「まだ、そのようなことをおっしゃいますか? 『聖女の力』が本来、私のものであることは、あなたが一番よく知っているはずです」
「違う! その美しい力は、美しいアリシアにこそ相応しい力だ!」
「お父様……」
潤んだ目で父親を見つめていたアリシアが、ほんの一瞬、私を見た。
その口角が、ほんの僅かに吊り上がった。
私とアリシアの人生が、一人の男によって捻じ曲げられていたと知り、絶望したあの子の表情を見て、少しだけ同情してもいいと思っていた。
けれど――もういいわ。
血の繋がった父親も、継母も、義妹も、この先どうなろうと知ったことではない。
私は、神様から与えられたこの力で、私の大切なものを守る。
――もう二度と、誰にも奪わせない。
「私が勝てば、そこにいる魔法師だけでなく、あなたが今、隠し持っている禁呪の魔道具も、すべて使い物にならなくなります」
「では、私たちが勝てば、貴様が奪った力はアリシアのもとへ戻り、お前たちは処刑台行きということだな?」
「そうですね」
ニヤリと笑うお父様に、静かに頷いた私は、お父様を見据えた。
「ですが、私はあなたに負けるつもりは一切ありません」
そう。
負けるつもりなど、一切ない。
私の背後に。
私の隣に。
私を信じてくれる人たちがいる限り。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!
というわけで、父と娘の最初で最後の親子喧嘩が勃発!
第一章ではまともに会話出来なかった二人の戦いの行方は……!?
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