第五章 その心は⑤
深夜の廊下。空気が張り詰める。
マイアは重心を低くして、ナイフを構え直した。
(殺すのは悪手。けど……)
双眸を細める。
この少年は間違いなく強い。
殺さずに撤退は難しいと感じていた。
(だったら即座に殺して死体を遺棄するのが次善案ね)
そう判断した。
戦闘の痕跡を残すのも厄介だ。
最速で暗殺する。マイアは音もなく動いた。
そして驚くべきことに廊下に並ぶ大きな窓を駆け上った。この勢いで人の体重が乗れば本来ならガラスは砕ける。自重を極限にまで殺すことで出来る技だった。
そして少年の後ろに回り込んで着地。
影のように少年の後ろに回り込んで、喉元にナイフを当てた。
そのまま喉を掻っ切ろうとするが、
(――な)
マイアは目を見張った。
ナイフが動かない。刃を少年が指で押さえていた。たった三本の指に過ぎないのに動かすことが出来ない。
さらに後ろ手にマイアの腹部に少年の手が添えられた。
マイアがギョッとしていると、
――ズンッ!
腹部に衝撃が奔る!
マイアは「ごふッ!」と息を吐き、吹き飛ばされた。
ナイフも握ってはいられない。彼女は廊下をゴロゴロと転がった。
しかし、すぐに立ち上がる。
呼気を激しく乱しながらも、予備のナイフを取り出した。
(あ、あんな無理な体勢でどうやってこんな打撃を……)
困惑するが、戦闘はまだ続いている。
少年がゆっくりと振り返る。マイアは急ぎ呼気を整えてナイフを構えた。
その表情に余裕はない。
ナイフを投擲する。それは真っ直ぐ少年の眉間へと飛んだ。
しかし、そのナイフは少年の手で掴まれた。しかも二本だ。一投目の直後に同じ軌道で投げた影刃も簡単に防がれてしまった。
(――く)
マイアはまたナイフを取り出した。
少年は掴んだ二本のナイフを捨てつつ、少し驚いた顔をする。
「それで四本目か。凄いな。いくつ隠し持っているんだ?」
そんなことを言う。
マイアはギリと歯を軋ませた。
「私を舐めるな!」
そう言って、マイアは駆けだした。
そうして――……。
「……本当に凄かったな」
廊下にて、コウタは驚きの声を零した。
その腕の中にはマイアがいた。コウタの肩に倒れ込んだ姿でピクリとも動かない。
だが、息はしている。どうしようもなく追い込まれて自害しようとしたところを、コウタが気絶させて止めたのである。
「全部で何本あった?」
コウタがそう尋ねると、
「……ウム」
ガシュン、ガシュンという足音が近づいてくる。零号の足音だ。少し離れた場所にはサザンXの姿もある。
「……コッチハ、十五本ダ」
「……アニジャ。コッチハ、ハチホンダ」
と、サザンXもコウタの方に近づいてくる。二機とも両手にナイフの束を抱えていた。コウタが遠話で零号を呼んできてもらったのだ。
「どこにこんなに隠し持ってたんだろ?」
と、コウタは首を傾げて疑問に思う。ジェシカの時もそうだったが、暗殺者はどうも不可解な一芸を持っている印象だった。
ともあれ、コウタは少女の腰を抱き寄せて、その顔を改めて見やる。
短い灰色の髪の少女である。綺麗な顔立ちをしているが、それだけに右頬に深い傷が印象的だった。マフラーはこれを隠すためだったのだろうか。
「……零号。マフラーも拾ってきてくれる?」
「……ウム。マカセロ」
零号は頷いて、廊下に落ちているマフラーを拾いにいった。
一方、コウタは少女の顔を再び見やる。
(……この容姿。リノが言ってた一人か)
身長や灰色の短い髪が一致する。
ザーラと名乗る盗賊団の女頭目と一緒にいたという兵団員の一人だ。このタイミングでサザン伯爵の館に現れたのだ。その可能性は心のどこかで考えてはいた。
(……レオス=ボーダーの弟子の一味か)
コウタは双眸を細めた。流石に心がざわついてくる。
けれど、リッカは暴走しないと言った自分の言葉を信じて、今は安堵して眠っているのだ。その約束を違える気はなかった。
コウタはかぶりを振って小さく息を吐いた。
(いずれにせよ、まずは確認か)
コウタはサザンXに目をやった。
「サザンX。ジェイクを起こしといてくれないかな。これから行くって」
「……ウム。ワカッタ」
ナイフの束を抱えたまま、サザンXは頷くが、
「……ヒメタチハ、オコサナクテ、イイノカ?」
「リノたちの方は明日の朝にするよ。今みんなを起こすと、リッカも起こさないといけないだろうし」
明日の朝、リノたちには色々と怒られてしまかもしれないが、今夜だけはリッカを休ませてあげたかった。
「……ウム。リョウカイダ」
サザンXは頷き、ガシュン、ガシュンと歩き出した。
コウタは気絶した少女を抱き上げた。
それから零号の元に近づくと、零号は自分の口元にマフラーを巻いていた。
「……似合ウカ? コウタ」
「うん。似合ってるけど、それこの子のだからね」
コウタは苦笑を浮かべた。
「とりあえず、この子には色々と白状してもらおうと思う。リノの言っていた女の一派なのか。あまり手荒な真似はしたくないけど洗いざらいにね」
「……ム? 拷問ヲ、スルノカ?」
「いや、しないから」コウタは渋面を浮かべた。
「ちゃんと騎士法に則った尋問だよ」
「……ソウカ? リノヤ、アヤメハ、容赦シナイ気ガスルゾ」
「……う。それを考えると、今夜中に白状してくれる方がいいのかな?」
苛烈な性格をしている二人を思い浮かべて、コウタは何とも言えない顔をした。
あの二人は捕虜に対して一切手加減をしない気がする。
「ともあれだよ」
コウタは双眸を細める。
「これは僥倖と思うべきかな。あっちは所在不明の兵団だ。上手くすればこれでこっちが先手を取れるかもしれない」
そう呟いて、眠れる暗殺者を抱きつつ、夜の廊下を歩き出すコウタだった。




