第五章 その心は④
(さて)
深夜。音もなく、彼女は館の中に忍び込んだ。
黒いマフラーで口元を隠し、黒装束を纏ったマイアである。
気配を消し、足音もたてずに廊下を進む。
この館はサザン伯爵邸だった。
(もし白金仮面にパトロン的な裏があるなら)
この館の主人――サザン伯爵こそが最も疑わしい。
そう考えて、マイアは探りをいれることにしたのだ。
(まずは執務室。何かあるとしたらその部屋の可能性が高いわ)
かなり広い屋敷だ。しかし、貴族の館は同じような造りが多い。執務室の場所はおおよそ予測できた。窓から月明かりが差す廊下を無音で疾走する。
(警備兵に見つかると面倒だわ)
長くは滞在しない。
何かしらの繋がりがあるのが分かれば今日のところは充分だ。
マイアはさらに加速する。まるで影が動いているかのようだった。
ややあって、執務室を見つける。
ドアに鍵は掛かっていたが、ピッキングで簡単に解除した。まるでコソ泥のようだが、暗殺者の必須技術でもある。
マイアは部屋の中に侵入した。
執務席に入り、引き出しを開けた。書類があった。この部屋にも届く月明かりと鍛えた夜目で読むことは可能だ。
(普通の書類ね)
主にこの街に関わる報告書のようだ。
他にも目を通すが、特に怪しい書類はない。
(残念。せめて裏金疑惑でもあれば面白いのに)
そんなことを思う。
名高い領主だからこそ、裏があることを期待している自分がいた。
(私もひねくれているわ)
マフラーの下で皮肉気に口角を上げつつ、別の引き出しを開けた。
と、そこには鍵が入っていた。白金色の鍵だ。その色に興味を抱く。
(これは怪しいわね)
鍵を手に取った。室内を見渡して鍵穴を探す。
すると、クローゼットの一角に目がいった。直感が働く。
マイアは鍵穴に鍵をはめ込んだ。ガチャリと音が鳴る。大当たりのようだ。
それから閉じられていたクローゼットを開いた。
そして、
(……まさかね)
マイアは苦笑を零した。
どうやらこれも大当たりのようだ。
そこには、白金仮面の装備一式が鎮座していた。
サザン伯爵が白金仮面の熱烈なファンで、レプリカを保管している。
そうとも考えられるが、甲冑には使い込まれている小さな傷などもあった。
白金仮面のパトロンが伯爵だとしても装備一式を執務室に置く理由などない。
考えられるのは一つだけだ。
(アロンのお伽噺。まさかそれを伯爵さま自らしているとは思わなかったわ)
何とも酔狂な伯爵さまだ。
いずれにせよ、正体看破の目途は立った。
(今日はこれぐらいが引き際ね。後は伯爵を監視して証拠を掴めばいい)
マイアは侵入の痕跡を一切消すと、執務室を後にした。
扉を背に、後は脱出するだけだと考えた、その時だった。
「……探し物は見つかったかい?」
不意に声を掛けられた。
マイアは隠し持っていたナイフを逆手に構えて大きく間合いを取った。
声は廊下の奥からした。
窓から月明かりの差すその廊下には一人の少年がいた。
騎士服――いや、騎士学校の制服を着た黒髪の少年だった。
「気配を感じたから来てみたけど、物盗りか?」
そんなことを尋ねてくる。
マイアはナイフを構えたまま、表情を険しくした。
(こいつ、私の気配に気づいたの?)
こんな失態は初めてだった。ザーラですら、目の前に姿を見せるまで完全に気配を察することは出来ないというのに。
「物盗りなら立場的に見過ごす訳にはいかないけど」
そう告げて、少年は無造作に近づいてくる。
運悪く見つかってしまったが、所詮は子供だと思った。
(まずこいつを無力化する。殺したら厄介だけど、まだ顔までは見られていない。気絶させて逃げれば物盗りと勘違いさせたままでいけるはず――)
と、算段をつけていた。
そうして少年がナイフの届くまでの距離に近づいた時。
「……女性だったのか」
少年がそう呟いた。
その手には、いつの間にかマフラーが握られていた。
(……え)
マイアは目を見開いて顔に触れた。そこにはマフラーがなかった。
(え? 奪われた? いつ?)
困惑する。まるで動きが見えなかったのだ。
正確には初動が認識できなかったのだが、マイアには分からない。
少年は素顔になったマイアを見据える。
「かなり若いな。ボクとあまり変わらない年齢か。ナイフの構えも堂に入っている。物盗りなんかじゃない。伯爵を狙った暗殺者か?」
少年はそう尋ねてきた。
マイアは後方に跳躍し、間合いを取り直した。
双眸を細める。危機感を最大にした。
(……こいつ。只者じゃない)
認識を改める。油断ももうしない。
ここから逃走するにはこの男を殺すしかない。
「……冷たい殺気だ」少年は双眸を細めた。
「本気になったね。これは断界の剣を持ってくるべきだったかな? けど、あんな安らかな寝顔のリッカは起こしたくないし……」
少年は腰に差した短剣の柄に手を添えるが、すぐに離した。
「そもそも伯爵の館で刃傷沙汰もよくないか。君は捕らえることにするよ」
「……簡単に言うわね」
マイアが不快そうに口を開いた。
「私は強いわよ」
「それは分かるよ」少年は頷く。
「ボクも起きていなかったら君の侵入に気付かなかったと思う。暗殺者としての力量はジェシカさんよりも上かもしれない。けど」
そこで黒い双眸を細めた。
「彼女はやっと長い悪夢から解放されて眠っているんだ。今日は安らかな夜であるべきなんだ。殺意と刃を持った暗殺者を放置なんて出来ない」
「…………」
無言のマイアに、少年はコツコツと足音を立てて近づいてくる。
「悪いけど」
そうして少年はこう告げるのであった。
「騒ぎも起こしたくないんだ。君は迅速に無力化させてもらうよ」




