第三章 怨敵の残影③
「……は?」
ザーラは眉をひそめた。
「誰だい? そいつは?」
リノの問いかけに率直な言葉を零した。
本当に、全く心当たりのない名前だったからだ。
「聞いたこともないね。フェイ。あんたは?」
ザーラは博識なフェイに尋ねた。しかし、フェイはかぶりを振って、
「……いや。ないな」そう答える。
「近隣の著名な騎士。裏世界の猛者などの名は網羅しているつもりだが、『コウタ』という人物は聞いたことはない」
フェイはリノに目をやった。
「フルネームを教えていただけないか。《水妖星》殿」
「……『コウタ=ヒラサカ』じゃ」
リノは内心で訝し気ながらもそう告げた。
どうも想定して反応と違うからだ。
(どういうことじゃ? 何故コウタを知らぬ?)
ここまでレオスの縁者が揃っていて、仇であるコウタを知らないなど有り得るのか。
状況に疑問を抱きつつ、リノは慎重に情報を開示する。
「年は十六。エリーズ国の騎士候補生じゃ」
「……はい?」
ザーラはさらに困惑した。
「騎士候補生? なんでそんなひよこの命をあたしが狙わないといけないんだい」
少し呆れた口調で語ってから、ザーラはエリスの方に目をやった。
「エリス。あんたの知り合いかい?」
「知らないわよ。そんな子」
短剣に手を触れた状態で、エリスはかぶりを振った。
「私が学生だったのも昔のことよ。今はそこまで縁はないわ」
「いや。そなたは知っていよう」
リノが言う。ザーラの方にも目をやって、
「そなたもじゃ。魔獣をけしかけられたとコウタが言っておった」
一拍おいて、
「風貌は黒い瞳に黒い髪。リーゼの護衛と勘違いしておったのではないか?」
「――あの子かい!」
ここに来て、ザーラは思い当たった。
リーゼを攫おうとした時に傍にいた怪物じみた少年だ。
その力量に驚愕し、切り札である魔獣に襲わせたのだ。
「つうか、まさかあの子、あの状況から生きて戻ってきたっていうのかい!」流石にザーラも驚愕の表情を見せた。「生身で魔獣に襲われたんだよ!」
「その魔獣なら倒したそうじゃぞ。まあ、それぐらいコウタならば出来て当然じゃ。なにせコウタは、この《水妖星》を《黒陽社》から奪い取って自分の女とし、《金妖星》からは《悪竜顕人》の二つ名を贈られたほどの男なのじゃからな」
こればかりは少し誇らしくリノは語った。
ザーラやエリス、パメラたちも少し困惑した様子だ。
彼女たちは裏側の人間と言っても新参の兵団だ。裏の世界では震え上がるようなビッグネームであっても、どうにもピンと来なかった。
しかし、裏社会に精通するフェイと、生粋の傭兵であるツルギとラック。そして暗殺者であるマイアは顔色を変えた。
「……ザーラ」マイアがザーラに告げる。
「まずい名前を聞いたわ。《金妖星》は知っている。暴虐の魔人の名前だ」
「私もです。ザーラ」ツルギがマイアに続いた。
「ラゴウ=ホオヅキ。金色の鎧機兵を操る悪鬼のような男です」
「……ウチも知ってるっす」ラックも忠告する。
「傭兵の間だと絶対に会いたくないビッグネームっすよ。ウチは二つ名の方を今初めて知ったっすけど」
「あんたらがそんなにビビる相手かい」
ザーラは三人に目をやった後、フェイに視線を向けた。
フェイは「ああ」と頷いた。
「戦闘能力においてはレオス=ボーダーをも凌ぐと言われている怪物だ。そんな怪物が二つ名を与える人物ともなると……」
「まあ、あの坊やは確かに怪物だったね」
ザーラはボリボリと頭を掻いた。
「何となくお姫さんの言いたいことは分かったよ。あの坊やは裏世界だととんでもない有名人ってことかい。その首を狙ってあたしらがってことか」
「……ああ」リノは頷いた。「その通りじゃ」
実際は全く違う。確かにコウタは裏の世界では有名人と呼べるかもしれない。リノの父などコウタを賞金首にしている可能性もある。いずれは暗殺者も来るかもしれない。
しかし、目の前にいるレオスの縁者たちは違う。明らかにレオス関係で現れたと考える方が妥当だった。
リノはあえて嘘をついた。
実に堂々と嘘をつく。表情にも一切出さないところは、流石は傾国の姫君である。
「しかし、どうやら違うようじゃな」
「まあね」ザーラはポリポリと頬を掻いた。
「つうか、色々と計算違いだよ。生身で魔獣を屈服させる男か」
ザーラは瞬時に考える。
リーゼの暴走に巻き込ませて、邪魔な相手を皆殺しにする予定だった。
しかし、その中に本物の魔獣を生身で倒すような怪物がいるのなら話は別だ。
暴走したリーゼさえ屈服させる可能性があった。
リーゼを入手できないのはおしい。『女』としても『兵士』としてもだ。
だが、現状はあまりに不確定要素が多すぎる。
(ここは仕切り直すか)
ザーラは決断した。
「お姫さん」ザーラはにかっと笑った。
「今日はあんたと話せてよかったよ。あたしらは、今夜はお暇するよ。騒がしくしちまって悪かったね」
「……ほう」リノは双眸を細めた。
「結局そなたの目的はなんじゃったのじゃ? わらわだけ話すのは不公平ではないか?」
「ああ~、そこはごめんよ。けどまあ、そこはあたしの乙女日記を勝手に見たことで帳消しにしてくんない?」
「………む」
リノも乙女であるので、その言葉に少し気まずい気持ちになった。
「少なくとも今夜は襲撃なんてしないよ。つうか相手が怪物だと分かったのに、わざわざ挑んだりなんてしないさ」
そう告げて、ザーラは苦笑を浮かべた。
「お姫さん」
そして大仰に一礼して、
「ここは穏便に済ませていただけると嬉しいんだけど、いいかね?」
「……………」
リノは沈黙する。周囲を一瞥した。
一人を残し、女性ばかりの兵団。かなり若い世代ばかりだ。
しかし、なかなかの粒ぞろいのようだ。侮れない相手と見た。
その上、魔獣使役という切り札もある。
(これは互いに仕切り直しか)
リノはそう判断した。
魔獣の使役方法を有する以上、いずれは必ず捕らえる。
だが、ここで拙速に戦うのは悪手だと、リノの直感は告げていた。
「……よかろう」
リノは淡々とした声で応じる。
「わらわの気が変わらぬうちに去るがよい」
「おっ! ありがとさんっ!」
ザーラはリノにチュッと投げキッスをした。
「そんじゃあ撤収だよ!」
パンと手を叩き、ザーラたちは撤退した。
誰一人文句や不満を言わないのは、それだけ彼女のことを信頼している証だった。
(なんとも厄介な)
一人残されたリノは嘆息した。
(はてさて。奴らのこと、コウタにいかように告げればよいのか)
今はそれに頭を悩ませるリノだった。




