選ぶ人、選ばれる人
セレスティアは警備員を伴って第二治療所に現れた。
いつもの微笑みはなかった。
「エレナ。あなた、私を陥れようとしているのでしょう」
エレナは治療台の前に立った。
「何のことでしょうか」
「薬を隠しただなんて、言いがかりよ!」
「私はそのようなことを申し上げていません」
「ロザリーが勝手にしたのよ! 私の名前を出せば助かると思ったのでしょう!」
背後から聖女長が入ってきた。
「セレスティア。あなたには、正式に事情を聞く必要があります」
「聖女長まで、私を疑うのですか!」
「疑いを晴らすためにも、事実を確認します」
セレスティアはエレナを睨んだ。
「全部あなたのせいよ。あの日、第一治療所に来なければ……!」
エレナは静かに答えた。
「あの日、患者さんは助けを必要としていました」
「私が治せたわ!」
「では、なぜアンナさんが応援を求めたのですか」
「アンナが勝手に――」
「セレスティア」
聖女長が遮った。
「ここは治療所です。話は別室で聞きます」
セレスティアは唇を噛んだ。
そのとき、闘技場から鐘の音が響いた。
決勝戦の終わりを告げる鐘だった。
エレナは思わず窓の外を見た。
舞台の中央で、二人の剣士が立っている。
一人が剣を下ろし、もう一人が膝をついた。
「勝者――カイル・レイン!」
歓声が爆発した。
エレナの胸が熱くなる。
カイルが勝った。
彼が勇者の称号を手にするのだ。
その瞬間、セレスティアの表情が変わった。
「……カイル様が」
彼女は窓に駆け寄った。
「私、行かなければ。勇者になられる方にご挨拶を――」
「待ちなさい」
聖女長が告げた。
「あなたは現在、調査対象です。許可なくここを離れることはできません」
「そんな!」
セレスティアの声が裏返った。
「今日がどれほど大切な日か、お分かりにならないのですか!」
「分かっています。だからこそ、治療所の不正を放置できません」
セレスティアはエレナを睨みつけた。
「あなたさえいなければ……!」
警備員が一歩前へ出た。
セレスティアは言葉を飲み込んだ。
調査はその日のうちに大きく進んだ。
第一治療所の保管庫から、第二治療所に渡されるはずだった薬品が発見された。箱には元の配送札が残っていた。さらに、別の棚から封を切った薬瓶と、鎮静薬の粉末が見つかった。
薬師の検査によって、粉末は問題の回復薬に混ぜられていたものと同じ種類だと判明した。
セレスティアは最初、保管庫の鍵を誰かに盗まれたと主張した。
しかし警備責任者は、保管庫の出入り記録を示した。大会期間中、セレスティアが一人で入った時刻が複数残っていた。
ロザリーも、伝票の偽造を命じられたことを改めて証言した。
それでもセレスティアは認めなかった。
「私がそんなことをする理由がないでしょう!」
聖女長は机に別の紙を置いた。
「これは何ですか」
それは第二治療所の掲示板に貼られていた、署名のない告発文だった。
「あなたの控室から、同じ文章の下書きが見つかりました」
「……!」
「薬品の管理不備をエレナに押しつけるため、虚偽の文書を作成したのですね」
「違うわ!」
「では、なぜ同じ文章があなたの机に?」
セレスティアは答えなかった。
聖女長はさらに続けた。
「昨夜、ロザリーとは別の補助聖女から、あなたが第二治療所の布を濡らすよう命じたと証言がありました。彼女は拒否しましたが、別の者が行った可能性があります」
「証拠もないのに!」
「その件は引き続き調べます。ただし、薬品の無断移動と偽造伝票については、すでに複数の証言と物証があります」
セレスティアは椅子に崩れ落ちた。
「……だって」
かすれた声が漏れた。
「あの女が、私の邪魔をするから……」
聖女長は顔を上げた。
「邪魔とは?」
「カイル様は、私にこそ相応しいのよ。侯爵家の娘で、聖女としての品格もある私に。なのに、あの女ばかり……!」
部屋が静まり返った。
聖女長は深く息を吐いた。
「あなたは、自分の恋心のために治療所を危険にさらしたのですか」
「……」
「患者の命を守るための薬を奪い、聖女の仕事を妨害した。あなたがしたことは、単なる恋敵への嫌がらせではありません」
セレスティアは顔を伏せた。
その場にいた誰も、彼女を慰めなかった。
決勝戦が終わった夕方、王宮の大広間では勇者叙任式が行われた。
カイルは式典用の礼装を着せられ、落ち着かない様子で立っていた。
「肩が凝るな」
隣にいたアーヴィンが笑う。
「似合っているぞ、勇者殿」
「やめてくれ。まだ慣れない」
「優勝したんだから胸を張れ。俺は負けたが、悔いはない」
アーヴィンは右手を差し出した。
カイルはその手を強く握った。
「いい試合だった」
「ああ。また剣を交えよう」
二人は笑い合った。
やがて王太子が現れ、カイルに勇者の称号を授けた。広間に拍手が響く。
式典が終わると、貴族たちが次々と祝福に訪れた。
カイルは礼を返しながら、ある人物を探していた。
茶色い髪、灰色の瞳。白衣姿の聖女。
しかし、エレナの姿は見えなかった。
「探し物か?」
アーヴィンが尋ねた。
「人を探してる」
「聖女か?」
カイルは驚いた。
「なぜ分かった」
「お前、試合の後でずっと治療所の方を見ていたからな」
アーヴィンは楽しそうに笑った。
「第二治療所のエレナ殿だろう。俺も世話になった。腕のいい聖女だ」
「……ああ」
「だったら、早く行け。式典は終わったぞ」
カイルは礼を言い、広間を出た。
第二治療所では、エレナが最後の患者を見送っていた。
治療台を拭き、薬品を数え、翌日の引き継ぎを整える。大会は終わっても、負傷者の経過観察は続く。
「エレナ様」
リディアが入口を見た。
「お客様です」
振り返ると、礼装姿のカイルが立っていた。
「……カイルさん」
「約束を覚えているか」
「はい。試合が終わったら、お話をするって」
カイルは微笑んだ。
「少し歩けるか?」
エレナはマルタを見た。
「行ってらっしゃい」
マルタは笑顔で頷いた。
エレナは白衣を脱ぎ、カイルと並んで外へ出た。
王都の通りは祭りの灯りで満ちていた。屋台から焼き菓子の甘い香りが漂い、子どもたちが木剣を振り回している。
「おめでとうございます」
エレナが言った。
「勇者の称号を得たんですね」
「ああ。まだ実感がない」
「でも、立派でした。決勝の最後だけ、少し見えました」
「見てくれたのか」
「はい。勝った瞬間も」
カイルは嬉しそうに笑った。
「よかった」
二人は噴水広場の端で足を止めた。
カイルが真剣な顔になった。
「エレナ。今日は、もう一つ決めたいことがある」
「何でしょう」
「勇者になった俺が、誰と一緒に歩いていきたいか」
エレナの胸が跳ねた。
王国では、新たに勇者の称号を得た者が、望む聖女に同行を申し込む慣習があった。聖女が承諾すれば、勇者の旅や活動を支える伴侶となる。必ず選ばなければならない制度ではなく、聖女にも断る自由がある。
その話はエレナも知っていた。
だが、まさか自分がその言葉を向けられるとは思っていなかった。
「俺は、エレナと一緒にいたい」
カイルははっきりと言った。
「怪我を治してもらったからだけじゃない。患者を一人の人間として見て、誰が相手でも態度を変えない。疲れていても、自分の仕事から逃げない。そんなあんたを好きになった」
「……カイルさん」
「俺は剣を振るうことしか得意じゃない。勇者になったからって、何でもできるわけじゃない。それでも、隣にエレナがいてくれたら、もっと強くなれる気がする」
エレナは言葉を探した。
心臓の音がうるさい。
「私、華やかな聖女ではありませんよ」
「知ってる」
「侯爵家の娘でもありません」
「それも知ってる」
「仕事ばかりで、きっと面白みもないです」
「それは違うな」
カイルが笑った。
「俺はあんたと話すのが好きだ」
エレナは顔を伏せた。
嬉しかった。こんなふうに、誰かに必要だと言われたことはなかった。
けれど、勇者の隣に立つということは、今までと同じ生活ではなくなる。
「……少し、怖いです」
「何が?」
「私は今の仕事が好きです。治療所で患者さんを診ることも、後輩を育てることも。勇者の伴侶になったら、全部やめなければいけないのでしょうか」
カイルは首を振った。
「そんなことを頼むつもりはない」
「本当に?」
「ああ。俺が好きになったのは、今のエレナだ。俺のために別人になってほしいわけじゃない」
彼は一歩近づいた。
「一緒に考えよう。俺がどこへ行くかも、あんたがどこで働くかも。勝手に決めない」
エレナの目に涙が浮かんだ。
「……ずるいですね」
「そうか?」
「そんなふうに言われたら、断れなくなります」
「断ってもいいんだぞ」
「いいえ」
エレナは顔を上げた。
「私も、カイルさんが好きです」
カイルの表情が変わった。
「……本当か」
「はい。怪我をしてばかりで、少し困った人だと思っていましたけど」
「そこは否定できないな」
「でも、誰の努力も軽く見ないところが好きです。私の話を、最後まで聞いてくれるところも」
カイルはゆっくりと手を差し出した。
「じゃあ、俺の聖女になってくれるか」
エレナはその手を取った。
「はい。私でよければ」
「エレナがいい」
その言葉とともに、カイルは彼女をそっと抱き寄せた。
祭りの音が遠くなる。
エレナは彼の胸元に額を寄せ、静かに目を閉じた。




