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勇者が最後に選んだ聖女  作者: あずきまんま


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4/6

決勝の日

決勝前夜、エレナが治療所を出ようとしたとき、入口でロザリーと鉢合わせた。


「……エレナ様」


ロザリーは目を合わせようとしなかった。


「お帰りですか」


「ええ。あなたは?」


「忘れ物を取りに……」


言いかけて、彼女は口を閉じた。


第二治療所にロザリーの私物があるはずはない。エレナはその矛盾を指摘せず、扉を開けたまま待った。


「何かお話があるなら、聞きますよ」


「……私、何も知りません」


「まだ何も尋ねていません」


ロザリーの目に涙が浮かんだ。


「私は、セレスティア様に逆らえないんです。侯爵家から推薦状をいただいて聖女になりました。家族もお世話になっていて……」


「そうだったんですね」


「私が何か言ったら、父の仕事まで失くなるかもしれない」


エレナはすぐに慰めることができなかった。ロザリーが恐れていることは、単なる思い込みではないのかもしれない。


「でも、治療所の薬がなくなって、困った人がいます」


エレナは静かに言った。


「私たちは患者さんの命を預かっています。あなたが知っていることを黙っていたら、次の患者さんが危険な目に遭うかもしれません」


「……分かっています」


ロザリーは両手を握り締めた。


「だから、苦しいんです」


その声は震えていた。


「エレナ様は、私を許せますか」


「まだ何をしたのか聞いていません。許すかどうかは、その後で考えます」


ロザリーは顔を上げた。


「……正直ですね」


「曖昧な返事をしても、あなたのためにならないでしょう」


エレナは廊下の先を見た。


「聖女長は事実を調べています。あなたが知っていることを話せば、少なくとも誰が何をしたのかはっきりします」


ロザリーは長い間黙っていた。


やがて、小さく頷く。


「……明日、話します」


「分かりました」


エレナは彼女を見送った。


その背中が角を曲がるまで、ロザリーは一度も振り返らなかった。


翌朝、エレナはいつもより早く治療所に入った。


窓の外には、まだ薄い霧が残っている。マルタが湯を沸かし、リディアが寝台を整えていた。


「おはようございます」


「おはよう。昨日の患者さんの様子は?」


「全員、夜間の急変はありませんでした。アーヴィン様も痛みは落ち着いたそうです」


「よかった」


エレナは記録を受け取り、一枚ずつ確認した。


その間にも、昨夜のロザリーの顔が頭から離れなかった。


もし彼女が本当に話すなら、調査は進むだろう。しかし、その証言によって彼女自身も責任を問われる。


エレナは、誰かが罰を受けることを喜びたいわけではなかった。


ただ、薬が消えた理由を知りたかった。患者を守るために必要なことを、きちんと決めたかった。


「エレナ様、何かありましたか?」


リディアが尋ねる。


「少し考え事をしていたの」


「疲れているなら、私が帳簿を整理しますよ」


「ありがとう。では、昨日の補充記録をお願い」


リディアは嬉しそうに帳簿を受け取った。


エレナは彼女の横顔を見た。初日には包帯を巻く手さえ震えていた少女が、今は負傷者の症状を聞き取り、自分で必要な準備を考えられるようになっている。


人を育てることも、聖女の仕事なのだ。


そのことを忘れたくなかった。


昼前、治療所へ一人の老人が訪ねてきた。


「こちらにエレナという聖女様はおられますか」


「私ですが」


老人は帽子を取り、深く頭を下げた。


「初日に助けていただいたダリオの父です」


エレナは思い出した。肩を深く切った若い剣士だ。


「その後、お加減はいかがですか?」


「おかげさまで、すっかり元気です。昨日、家に帰ってきました」


老人は布に包んだ小さな籠を差し出した。


「村の焼き菓子です。たいしたものではありませんが、どうか受け取ってください」


「お気持ちだけで十分ですよ」


「それでは私の気が済みません。あの子は、あんたに助けてもらったと何度も話しておりました」


エレナは少し迷い、籠を受け取った。


「ありがとうございます。皆でいただきますね」


老人は満足そうに頷いた。


「大会では強い人が注目されますが、あんた方のような人がいてくれるから、安心して送り出せるんですな」


その言葉に、エレナは胸が詰まった。


老人が帰ったあと、リディアが籠を覗き込んだ。


「おいしそうです!」


「休憩のときに分けましょう」


エレナは籠を棚に置いた。


闘技場の歓声は、相変わらず大きい。


誰かが勝ち、誰かが負ける。そのたびに怪我をした人が運ばれてくる。


自分たちの仕事は、その人たちが家に帰れるようにすることだ。


それで十分だった。


午後、第一治療所から一人の若い剣士が運ばれてきた。腕の傷は浅かったが、熱を出していた。


「昨日から少し具合が悪かったんです」


剣士は申し訳なさそうに言った。


「でも、試合に出たくて……」


「無理をしたんですね」


「はい」


エレナは体温を確認し、傷口を洗った。


「熱があるときは、傷の治りも遅くなります。今日は休んでください」


「負けたのに、こんなことまで言われるなんて」


剣士は苦笑した。


「負けたことと、体を大事にすることは別です」


「……そうですね」


エレナは彼の手を取った。


「大会に出るために、たくさん練習したのでしょう?」


「はい。三年、ずっと」


「なら、その努力を無駄にしないためにも、今は治しましょう。次に剣を握るとき、痛みが残らないように」


剣士は目を伏せ、やがて頷いた。


「ありがとうございます」


エレナは治癒の光を流した。


白い光が傷を包む。


その光を見つめながら、エレナはふと思った。


勝つことだけが、その人の価値を決めるわけではない。


カイルも、きっと同じように考えているのだろう。


彼が決勝で勝っても負けても、自分が彼を好きだという気持ちは変わらない。


そのことに気づいた瞬間、エレナの心は不思議と落ち着いた。


決勝の開始が近づくと、闘技場には前日以上の観客が詰めかけた。


カイル・レインと、東部辺境伯家のアーヴィン・ベルク。二人が決勝に進むことになった。


アーヴィンは準決勝で負った傷を治し、医師の診察も受けて出場許可を得ている。


どちらが勝つかは分からない。王都の賭け屋では予想が割れ、観客たちも互いに違う名前を叫んでいた。


エレナは第二治療所で最後の準備を進めた。


「今日は備品の確認を二人一組で行います。薬品は封印を確認してから開けてください」


「はい!」


リディアたちが答える。


聖女長は夜間の警備を増やし、治療所の出入りを記録させていた。薬品の補充も、担当者二名の署名がなければ受け渡せない。


朝のうちに薬師から検査結果が届いた。


問題の回復薬には、本来の成分がほとんど含まれていなかった。代わりに、魔力の流れを鈍らせる鎮静薬が混ぜられていたという。


過剰に飲めば、治療を受ける患者だけでなく、服用した聖女自身も危険にさらされる。


「悪質です」


聖女長は報告書を握り締めた。


「犯人が誰であろうと、見逃しません」


エレナは頷いた。


これ以上、誰も傷つけさせない。


決勝前の最終確認が終わる頃、第一治療所からアンナが駆け込んできた。


「エレナ様、少しだけお時間をください」


「どうしました?」


アンナは周囲を見回した。


「セレスティア様のことで、お話があります」


エレナは別室へ案内した。


アンナは震える手を握り合わせていた。


「最初の日、肺を傷つけた方を治療したとき、私があなたを呼びに行きました。それなのに、後からセレスティア様に、エレナ様が勝手に来たと説明するよう言われたんです」


「……そうだったんですね」


「私は断りました。でも、ほかの方には、セレスティア様がそう話していて……」


アンナは涙を拭った。


「昨日、ロザリー様が泣いているのを見ました。薬の受け渡しで嘘をついたって。私、怖くて何も言えませんでした」


「話してくれてありがとうございます」


「遅くなって、ごめんなさい」


「今からでも遅くありません。聖女長に一緒に話しましょう」


エレナが立ち上がると、アンナは深く頷いた。


聖女長は二人の証言を記録し、ロザリーを呼んだ。


ロザリーは最初、何も知らないと言い張った。しかし、アンナが自分の見聞きしたことを話すと、顔を覆って泣き始めた。


「私が……私が伝票を持っていきました」


聖女長は静かに尋ねた。


「誰の指示ですか」


「セレスティア様です。第二治療所の薬を一時的に第一治療所へ移すだけだと……。受領印を押すように言われました」


「薬はどこへ?」


「第一治療所の奥の保管庫です。鍵はセレスティア様が……」


ロザリーは肩を震わせた。


「でも、薬の中身を変えたことは知りません。私がやったのは伝票だけです」


聖女長はすぐに警備責任者を呼んだ。


第一治療所の保管庫を確認するためだった。


その頃、決勝戦が始まった。


カイルとアーヴィンが剣を交える音が、闘技場に響く。


エレナは治療所の窓から一瞬だけ舞台を見た。二人の剣がぶつかり、火花が散っている。


カイルが押し込まれた。


観客席から悲鳴が上がる。


だが彼は踏みとどまり、体勢を立て直した。


エレナは拳を握り締めた。


勝ってほしい。


その気持ちが、いつの間にか胸の中で大きくなっていた。


彼が勝つところを見たい。けれど、それ以上に、無事に戻ってきてほしかった。


彼ともう一度、話がしたい。


そう思ったとき、廊下から足音が近づいてきた。


「エレナ様!」


リディアだった。


「大変です。第一治療所の保管庫で、薬が見つかったそうです!」


エレナは振り返った。


「本当に?」


「はい。それと……セレスティア様が、こちらへ来るそうです」


リディアの顔が強張っていた。

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