私の勇者、あなたの聖女
翌日、聖女庁は大会期間中の不正について正式な調査結果を発表した。
セレスティア・ヴァレンシュタインは、第二治療所への薬品配送を妨害し、受領記録を偽造させ、薬品の一部を無断で保管庫へ移したことを認めた。回復薬への鎮静薬の混入についても、保管庫に残された薬剤と出入り記録、本人の供述によって関与が確認された。
第二治療所の布を汚した件は、補助聖女への命令を拒否された後、セレスティア自身が夜間に侵入して行ったと判明した。見回りの係員が、白衣の裾に特徴的な刺繍のある女性を見たと証言し、保管庫の鍵と同じ鍵束に第二治療所の予備鍵があったことも確認された。
聖女庁は、彼女の聖女資格を取り消し、今後の治療活動への従事を禁じた。さらに、薬品の改変によって負傷者の治療を危険にさらした件は、王都の司法機関へ送致された。
侯爵家にも正式な通知が届いた。
セレスティアの父であるヴァレンシュタイン侯爵は、娘の行為を知ると顔を青ざめさせた。
「お前は何をしたのか、分かっているのか」
「私は……ただ、エレナに思い知らせたかっただけです」
「思い知らせるために、患者の薬を奪ったのか!」
侯爵の怒声に、セレスティアは肩を震わせた。
「でも、お父様。私はカイル様のために……」
「カイル殿が何を望んでいるか、お前は聞いたのか」
セレスティアは答えられなかった。
「人の心は、家柄で買えるものではない。まして、他人を傷つけて得られるものでもない」
侯爵は深く息を吐いた。
「お前が自分の行為に責任を取るまで、侯爵家は庇わない。被害を受けた治療所と患者には、私からも謝罪する」
「お父様……!」
「まずは、自分がしたことを認めなさい」
セレスティアは泣き崩れた。
けれど、その涙で失われた信用が戻ることはなかった。
王都の裁判では、証人として聖女長、薬師、倉庫係員、ロザリー、アンナ、エレナが呼ばれた。
ロザリーは伝票の偽造に加担した責任を認め、聖女としての業務を一定期間停止された。彼女は命令を受けたことを理由にすべてを免責されるわけではなかったが、調査への協力は考慮された。
セレスティアは薬品の改変と治療妨害について有罪とされ、一定期間の拘禁と被害者への賠償を命じられた。侯爵家の名を利用して責任を逃れることも認められなかった。
判決を聞いたセレスティアは、しばらく立ち上がれなかった。
傍聴席にカイルの姿はなかった。
彼が自分を迎えに来ることはない。
その事実を、ようやく理解したのかもしれなかった。
裁判の後、エレナは治療所へ戻った。
リディアが駆け寄ってくる。
「エレナ様、お疲れさまでした!」
「ありがとう」
「これで、もう嫌がらせされませんね」
「そうだといいわね」
エレナは微笑んだ。
判決が出たからといって、嫌な記憶が消えるわけではない。治療の途中で薬が足りなくなった不安も、患者の命を守れないかもしれないと感じた恐怖も、すぐには忘れられないだろう。
けれど、事実は明らかになった。
自分たちの仕事を守るために声を上げたことは、無駄ではなかった。
「エレナ様」
リディアが少し照れくさそうに言った。
「私、これからもっと勉強します。いつかエレナ様みたいな聖女になりたいです」
「私みたいに?」
「はい。患者さんのために、ちゃんと考えて動ける聖女に」
エレナは胸がいっぱいになった。
「ありがとう。でも、リディアはリディアの聖女になってね」
「……はい!」
少女は笑顔で頷いた。
判決から数日後、エレナは聖女長に呼ばれた。
「第二治療所の責任者を、引き続き任せたいと思っています」
聖女長は机の上に新しい任命書を置いた。
「大会期間中だけではなく、常設の治療所でも後輩の指導をお願いしたいのです」
「私が、ですか」
「ええ。今回の件で、治療の技術だけではなく、記録の重要さも改めて分かりました。あなたの経験を若い聖女たちに伝えてほしい」
エレナは任命書を見つめた。
責任は重くなる。患者を診る時間も減るかもしれない。
だが、これまで自分が学んできたことを、誰かに引き継げるなら。
「一つ、お願いがあります」
「何でしょう」
「新人の聖女が、困ったときに相談できる仕組みを作りたいんです。治療が難しいとき、先輩に助けを求めることを恥ずかしいと思わなくて済むように」
聖女長は微笑んだ。
「それは良い考えです。具体的な案をまとめてください」
「はい」
エレナは任命書を受け取った。
廊下へ出ると、リディアが待っていた。
「どうでした?」
「今度から、新人の指導も担当することになったわ」
「本当ですか! じゃあ、私も教えてもらえますね!」
「もちろん。でも、覚えることは増えるわよ」
「望むところです!」
リディアは胸を張った。
その姿に、エレナは笑った。
一方、カイルは勇者として最初の正式な依頼を受けていた。
北の街道で魔物が増え、商隊が通れなくなっているという。
出発の前日、彼は治療所を訪ねてきた。
「三日ほど留守にする」
「気をつけてくださいね」
「分かってる。怪我はしないようにする」
「それは毎回聞いています」
「毎回守ろうとはしてる」
カイルは笑った。
エレナは鞄から小さな包みを取り出した。
「これを持っていってください」
「何だ?」
「止血用の布と、簡単な薬です。使い方を書いてあります」
カイルは包みを受け取った。
「ありがとう。大事に使う」
「使わずに帰ってきてください」
「それもそうだな」
二人はしばらく笑い合った。
やがて、カイルが真面目な顔になった。
「エレナ」
「はい」
「俺が勇者になったことで、あんたの仕事まで変わる必要はない。今回の遠征も、無理について来なくていい」
「分かっています」
「でも、帰ってきたら会いたい」
「もちろんです」
エレナは微笑んだ。
「お帰りなさいと言わせてください」
カイルは彼女の手を握った。
「約束する」
三日後、カイルは約束どおり戻ってきた。
大きな怪我はなかったが、腕には小さな擦り傷があった。
「……またですか」
エレナが呆れると、彼は申し訳なさそうに笑った。
「木の枝に引っかけた」
「勇者様が木の枝に負けたんですか」
「そういう言い方をするな」
エレナは笑いながら、傷を洗った。
「痛みますか?」
「少し」
「では、すぐ終わりますよ」
指先から柔らかな光が広がった。
カイルは治療の様子を眺めていた。
「不思議だな」
「何がですか?」
「大会のときも、こうして治してもらった。あのときは、まさか今みたいになるとは思ってなかった」
「私もです」
「最初に会ったとき、俺のことを知っていたか?」
「名前は知っていました。有力選手だと聞いていましたから」
「それだけ?」
「はい。怪我をした人だと思いました」
カイルは声を立てて笑った。
「そうだろうな」
「何がおかしいんですか」
「いや。それが嬉しいんだ」
エレナは首を傾げた。
カイルは彼女の手を取った。
「勇者の称号がなくても、俺を見てくれる人がいる。それがどれだけ心強いか、あんたには分からないかもしれない」
「……少しは分かるつもりです」
エレナは彼の手を握り返した。
「私も、聖女の肩書きがなくても、カイルさんに好きでいてほしいですから」
「当たり前だ」
彼は迷いなく答えた。
「俺が好きなのは、エレナだ」
エレナは頬を赤らめた。
「……そういうことを、急に言わないでください」
「本当のことだからな」
「もう」
カイルは笑い、エレナもつられて笑った。
窓の外では、子どもたちが木剣を振り回している。
来年の大会を夢見ているのだろう。
誰が勝つのか、誰が勇者になるのか、今は誰にも分からない。
けれど、負傷した人を治す聖女の仕事は、これからも変わらない。
エレナはその仕事を続けながら、カイルと歩いていくつもりだった。
誰かに選ばれたからではない。
自分で選んだ未来だからだ。
大会からひと月後、王都には穏やかな秋が訪れていた。
エレナは引き続き治療所で働いていた。カイルは勇者として各地から届く依頼の中身を確認し、必要なものだけを引き受けている。
二人は忙しい合間を縫って会い、時には一緒に食事をし、時には仕事の話をした。
カイルが遠征に出るときは、エレナが同行することもあった。ただし、彼女が治療所を離れられないときは、ほかの聖女が同行した。
勇者と聖女だからといって、四六時中一緒にいる必要はない。
二人で話し合い、互いの仕事を尊重する。それが、二人の選んだ形だった。
ある夕方、カイルが治療所を訪れた。
「エレナ、仕事は終わったか?」
「あと少しです。待っていてください」
「分かった」
彼は長椅子に座り、壁に掛けられた大会の記念絵を眺めた。
そこには、決勝戦で剣を交える二人の姿が描かれている。
「懐かしいですね」
エレナが隣に座った。
「まだひと月しか経ってないぞ」
「でも、随分昔のことみたいです」
「そうだな」
カイルは絵を見つめた。
「俺はあの日、勝てるかどうか分からなかった」
「そうでしょうね。アーヴィン様も強かったですから」
「ああ。最後まで、どっちが勝ってもおかしくなかった」
彼はエレナの手を取った。
「でも、一つだけ決めていたことがある」
「何ですか?」
「勝っても負けても、エレナに気持ちを伝えるってことだ」
エレナは決勝前夜の約束を思い出した。
「だから、勝っても負けても話をしてほしいと言ったんですね」
「ああ。勇者になれなかったら、ただの冒険者の俺として告白するつもりだった」
「どうして、あの夜にそう言ってくれなかったんですか」
「格好つけたかったからな」
カイルは照れくさそうに笑った。
「勇者になって、堂々と迎えに行きたかった」
エレナも笑った。
「十分、格好よかったですよ」
「本当か?」
「はい。でも、私は勇者になれなかったカイルさんでも、同じ返事をしたと思います」
カイルの表情が柔らかくなった。
「……それは嬉しいな」
彼はエレナの手を握り直した。
「これからも、よろしく頼む」
「こちらこそ」
窓の外では、夕陽が王都の屋根を金色に染めていた。
来年も勇者選定大会は開かれる。
新しい剣士たちが集まり、新しい勝者が生まれるだろう。
そのときも、聖女たちは治療所で負傷者を待つ。
華やかな舞台の裏側で、誰かの命を守るために。
エレナはその仕事を、これからも続けていく。
そして、仕事を終えて帰る先には、彼がいる。
「エレナ」
「はい?」
「今日は怪我をしてないぞ」
カイルが得意げに両腕を広げた。
エレナは吹き出した。
「それは、褒めてもらうことではありません」
「厳しいな、俺の聖女は」
「当たり前です。勇者様には、長生きしていただかないと」
「分かった。努力する」
カイルは笑い、彼女の手を引いて立ち上がった。
外では秋風が落ち葉を舞い上げていた。
二人は肩を並べて歩き出す。
勇者が最後に選んだのは、誰よりも美しい聖女でも、最も高い身分の聖女でもなかった。
彼が選んだのは、傷ついた人を見捨てず、自分の仕事を愛する、一人の女性だった。
そしてエレナもまた、称号ではなく、一人の男性としてカイルを選んだのだった。




