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勇者が最後に選んだ聖女  作者: あずきまんま


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2/6

消えた薬

大会四日目の朝、第二治療所に届けられるはずの魔力回復薬が来なかった。


「昨日の午後の追加分も、半分しか届いていません」


マルタが在庫表を差し出す。


「残りは?」


「七本です」


エレナは眉を寄せた。七本では、重傷者が続いた場合に足りない。


「薬品係に確認してきます」


倉庫へ行くと、係員は困惑した顔をした。


「第二治療所の分なら、昨日のうちに渡しましたよ」


「受領した記録がありません」


「そんなはずは。ほら、ここに」


差し出された伝票には、確かに『第二治療所受領』の印が押されていた。


しかし、受領者の署名欄にはエレナの名前が書かれている。筆跡が違った。


「これは私の字ではありません」


「えっ」


「昨日の午後はずっと治療所にいました。こちらへ来ていません」


係員は伝票を見つめた。


「誰かが代わりに受け取ったんでしょうか」


「確認をお願いします。今すぐ必要な分は、予備から出せますか?」


「聖女長の許可があれば」


エレナは聖女長のもとへ急いだ。


事情を聞いた聖女長は即座に予備薬の払い出しを命じ、伝票の保管を指示した。


「署名の件はこちらで調べます。あなたは治療に戻りなさい」


「ありがとうございます」


戻ったとき、第二治療所にはすでに三人の負傷者が運ばれていた。


エレナは息を整え、仕事に取りかかった。


昼過ぎ、リディアが泣きそうな顔で近づいてきた。


「エレナ様、私のせいかもしれません」


「何が?」


「昨日、第一治療所の方から『追加の薬を受け取ったら、聖女長に確認するから渡して』って言われたんです。私、そういう決まりがあるのかと思って……」


「誰に言われたの?」


「ロザリー様です。セレスティア様の補助をしている方です」


「実際に薬を渡した?」


「いいえ。まだ届いていないと答えました。でも、第二治療所の受領印がどこにあるか聞かれて、机の引き出しだと……」


リディアはうつむいた。


「勝手に教えてしまいました」


「教えたことはよくなかったわ。でも、あなたが薬を持ち出したわけではないでしょう」


「はい……」


「なら、事実をそのまま聖女長に話して。隠すほうが問題になるわ」


リディアは涙を拭って頷いた。


エレナは印章の入った引き出しを確認した。鍵はかかっている。だが、昨日は午後の混雑で何度も開け閉めしていた。誰かが触れる機会はあっただろう。


これだけでロザリーが持ち出したと決めつけることはできない。


それでも、偶然にしては妙だった。


その夕方、カイルが治療所へ来た。


「今日は怪我をしていませんね」


エレナが言うと、彼は両腕を広げてみせた。


「約束を守った」


「そんな約束をしましたっけ」


「怪我をする前に避けろって言っただろ」


「それは助言です」


「俺には約束に聞こえた」


カイルは笑ったが、すぐに表情を改めた。


「顔色が悪い。何かあったのか」


「少し忙しかっただけです」


「それだけじゃない顔だ」


エレナは答えに迷った。調査中のことを選手に話すべきではない。


「仕事の問題です。聖女長に相談していますから、大丈夫です」


「そうか。なら、俺が聞き出すことじゃないな」


それ以上踏み込まないことに、エレナはほっとした。


「今日はどうしてこちらへ?」


「礼を言いに来た。明日は準々決勝だ」


「おめでとうございます」


「まだ何も成し遂げてない」


「ここまで勝ち進んだのは、十分すごいことだと思います」


カイルは少し驚いた顔をした。


「そう言ってもらえると、嬉しいな」


夕陽が窓を赤く染めていた。


「エレナは、試合を見たことがあるか?」


「今年はまだ。治療所を離れられなくて」


「そうか」


彼は何かを考えるように黙った。


「もし時間が取れたら、明日、見に来てくれないか」


「私が?」


「ああ。勝つところを見てほしい」


胸が不意に跳ねた。


「……交代できれば」


「それでいい」


カイルは嬉しそうに笑い、扉へ向かった。


「じゃあ、また」


その背中を見送ってから、エレナは自分の頬が熱いことに気づいた。


準々決勝の日、第二治療所は午前中だけで十人の負傷者を受け入れた。


エレナは治療を終えた患者の記録を整理しながら、闘技場の歓声に耳を澄ませた。


「行ってきてください」


マルタが言った。


「え?」


「カイルさんの試合でしょう。リディアから聞きましたよ」


「リディア……」


隣で薬を並べていた少女が肩をすくめる。


「だって、エレナ様、昨日から何度も試合の時間を確認しているんですもの」


「仕事の予定を見ていただけよ」


「そういうことにしておきます」


マルタが楽しそうに笑った。


「今は落ち着いています。三十分くらいなら私たちで対応できますよ」


エレナは少し迷った末、白衣を整えた。


「では、お言葉に甘えます。何かあればすぐ戻りますから」


闘技場の通路を抜けると、観客席から熱気が押し寄せてきた。


砂の敷かれた中央の舞台に、二人の剣士が立っている。


一人はカイル。もう一人は、巨大な両手剣を持つ騎士だった。


開始の鐘が鳴る。


騎士の剣が風を裂き、カイルは身を低くしてかわした。砂が跳ねる。重い一撃を避けながら、彼は相手の足運びを見ていた。


エレナには剣術の細かな駆け引きは分からない。ただ、カイルが一歩も気を抜いていないことは分かった。


騎士が踏み込む。カイルは剣を受け流し、相手の懐へ入った。


短い金属音。


次の瞬間、騎士の剣が地面に落ちた。


観客席が沸き立つ。


「勝者、カイル・レイン!」


エレナも思わず立ち上がった。


カイルがこちらを見た。大勢の観客の中で、彼の視線が自分に向いた気がした。


彼は剣を掲げる代わりに、ほんの少しだけ手を上げた。


エレナも小さく手を振り返した。


胸が温かかった。


試合後、通路でカイルに会った。


「見てくれたんだな」


「はい。お見事でした」


「ありがとう」


彼はいつになく照れくさそうだった。


「怪我は?」


「ない。ちゃんと避けた」


「それは何よりです」


「エレナが見てると思ったら、余計に気をつけた」


「私が見ていると違うんですか?」


「……違うな」


カイルが真っ直ぐに見つめてくる。エレナは視線を逸らせなくなった。


そのとき、背後から華やかな声がした。


「カイル様!」


セレスティアが駆け寄ってきた。


「素晴らしい試合でしたわ! 私、ずっと応援しておりましたの」


「ありがとう」


「お疲れでしょう。第一治療所でお茶をご用意しています。どうぞこちらへ」


「いや、休むなら控室へ戻る」


「そんな、少しくらい……」


セレスティアはエレナに気づき、目を細めた。


「エレナ。あなた、勤務中ではなくて?」


「交代の休憩時間です」


「責任者なのに、試合を見に来る余裕があるのね」


「今はマルタさんが担当しています」


「そう。随分と気楽なお仕事なのね」


カイルが眉を寄せた。


「俺が誘ったんだ」


「え?」


「彼女に試合を見に来てほしいと頼んだ。責めるなら俺にしてくれ」


「カイル様は何も悪くありませんわ!」


セレスティアは慌てて笑みを作った。


「ただ、聖女としての自覚が足りないのではと心配しただけです」


「交代を組んで休むのは、どこの治療所でも同じだろう」


カイルの声は穏やかだったが、譲る気配はなかった。


セレスティアは言葉を失い、エレナは居心地の悪さに身じろぎした。


「私は戻ります。カイルさん、次の試合も頑張ってください」


「ああ。ありがとう」


彼はエレナに笑いかけた。


その笑顔を見たセレスティアの指が、扇の柄を強く握り締めた。


翌朝、第二治療所の掲示板に一枚の紙が貼られていた。


『第二治療所責任者エレナ・リーヴェルトによる薬品の不適切管理について、調査中につき注意を要する』


署名も公印もない文書だった。


通りかかった選手たちが足を止め、ひそひそと話している。


エレナは紙を剥がし、聖女長へ持参した。


「これは私が出したものではありません」


聖女長は顔を険しくした。


「誰かが勝手に掲示したのですね」


「はい。薬の件と関係があるかもしれません」


「調べます。あなたはこれまでどおり勤務してください」


聖女長は文書を封筒に入れた。


「もう一つ。倉庫の伝票は、あなたの署名を模したものと確認できました。受領印も、第二治療所のものが無断で使われた疑いがあります」


「薬は見つかったんですか?」


「まだです。ただ、受け取りを担当した係員が、伝票を持ってきた女性の特徴を覚えています」


「誰だったのでしょう」


「今は断定できません。本人に確認する前に、噂を広めないでください」


「分かりました」


エレナは頷いた。


真相が近づいている。そう感じる一方で、胸の奥には別の不安があった。


薬を隠した人物がいるなら、次は何をするのだろう。

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