1 旅立ち その②
タルタラ村の静かな環境こそ、見世物小屋で疲弊したガジュが求めていた環境だった。次第にガジュは、健康を取り戻していった。
やがて、村に幸運が舞い込むようになる。
土壌が豊かになり、作物が豊作となった。湖の水が澄み、高値で取引できる魚が棲むようになった。
ガジュが村に来るまでは、若者は寂れていく村に見切りをつけて、村を去っていた。しかし、ガジュが村に来てからは、若者が村に留まるようになった。それどころか、高い収入を得られる仕事を求めて、新たな移住者まで現れるようになった。
幸運はガジュが村に来てから続いていた。子供の頃に親しんだおとぎ話によって、幸運を呼ぶ精霊人の話は、みなが知っている。
ガジュの長い耳、ガジュが村に来てから続く幸運。
ガジュは精霊人なのではないのか?
誰が最初に言い始めたのかは不明だが、そんな噂が流れた。
人間とは恐ろしい。おとぎ話の精霊人を信じて、ガジュを逃がさぬために檻を作り、檻の中にガジュを閉じ込めた。
村人たちもガジュを檻の中に閉じ込めたときには、申し訳ないと、ガジュに頭を下げていた。
それから少しすると、村の繁栄のためにガジュを逃がすわけにはいかないんだと、言い訳ばかりを口にするようになった。
そして今では、仕方ないと割り切ってしまったようで、言い訳もしなくなった。
非情だと思うし、たくましいとも思う。生きていくために、ある程度の非情さは必要だ。ガジュだって生きていくために命を食している。
村人の豊かな生活のために、僕は檻に閉じ込められたが、命までは奪われていない。僕はまだマシなほうだ。
ガジュは小さく笑う。
自分を誤魔化すのが上手くなった。これも生きていくために必要なことなのだろうか?
まだ思い悩んでいるウルワシカに、ガジュは最近、本から得た知識を披露する。
「それに籠の中の鳥は、もう飛べないって言うだろ?」
「籠の中の鳥?」
聞き返したウルワシカに、ガジュは自虐的な笑みを向ける。
「ずっと籠の中にいる鳥は、飛び方を忘れて飛べなくなる。やがて、外に出るのも恐がるようになって、籠から出しても、自分で籠の中に戻っちゃうだってさ」
「なんかそれって恐いよ」
「僕も似たようなものだ。そのうち、この檻の外では暮らせなくなって、檻の外が恐くなる。それで――」
「ガジュはそんなことにならないから!」
ウルワシカが感情的に叫んだ。
だがガジュは、ウルワシカとはまったく逆の考えを持っていた。
いや、そうなったほうがいいんだよ。そうなったら、僕は檻の外に出たいと思わなくなる。もう檻の外の世界に憧れなくなって、自由を奪われたこの苦しみから解放されるんだ。
「ウルワシカさん、ここにいらっしゃったんですか」
ウルワシカの名を呼んだのは、ウルワシカとそう年も違わぬ青年だ。彼はタルタラ村にとって、最重要人物の息子でもある。
ガジュが囚われの身となってから、目覚ましい復興を遂げたタルタラ村だが、真っ先にタルタラ村に目をつけたのは、パンル国だった。パンル国の援助がなければ、ここまでの目覚ましい復興はなかっただろう。
タルタラ村にとっては、丁重にもてなすべき客人なのだが、ガジュにとっては面白い相手ではない。
パンル国の国王が目をつけたのはタルタラ村だ。そして、その息子であるコリンが目をつけたのはウルワシカだった。
忌まわしいことに、ウルワシカとコリンは美男美女でお似合いだと、村人たちは囁き合っている。
「コリンさん、いらしてたんですね。すいません。父から話を聞いていなくて、お出迎えできませんでした」
村長の娘であるウルワシカは、コリンが村を訪れる際には、いつも村の入り口で、村長と共にコリンを出迎えていた。
もちろん、それに深い意味などない。ウルワシカがコリンを出迎えるのは、ウルワシカが村長の娘であるからだ。ウルワシカはコリンに思いを寄せてなどいない。
「いえ、お気になさらずに。実はそれには事情がありまして……」
いつも明快なコリンが、今日は妙に歯切れが悪い。ちらりとガジュを横目で伺った後、コリンは視線をウルワシカに戻す。
「あちらでお話しできませんか?」
僕の前では話せないってことか。なんだか気分が悪い。
ウルワシカは困惑するような視線をガジュに寄越した。ガジュは顎を上げて、行ってこいと合図を送る。
ガジュの了承を得てから行くあたり、ウルワシカの優先順位は自分のほうが上らしい。かろうじてガジュは矜持を保てた。
そのとき、なんの前触れもなく大地が揺れた。
倒れそうになったウルワシカの腰に手を回し、コリンがウルワシカの体を支えた。
「大丈夫ですか?」
「すいません。もうだいじょうぶですから」
頬を赤く染めるウルワシカに、ガジュは苛立ちを募らせる。
なに赤くなってるんだよ? コリンが勘違いするぞ!
ウルワシカは気まずさを誤魔化すように話を変える。
「最近は地震が多いですね」
「地震以外にも、災害が増えているらしいですよ」
「そうなんですか?」
「水の都と呼ばれていたブルスロが、海に沈んだそうです。ブッカ島は火山の噴火で消滅したそうですし――」
二人は仲良く話しながら、丘を降りて行った。
たしかに、このところ地震が多かった。それだけでなく、異常気象もひどい。夏なのに真冬のように寒く、雪の降る日があった。
なにか異変が起きている。それはこの檻の中にいても感じていた。
だが、それがなんだ? コリンのヤツ、ウルワシカの体に触りやがって!




