1 旅立ち その①
山間にタルタラ村と呼ばれる小さな村があった。
村の中心にある小高い丘の上には、のどかな村の雰囲気にそぐわぬ巨大な檻がある。その檻の中に、家が一軒建っていた。
家の外壁に背を預けて、格子越しに、村人を眺めている青年がいた。青年の名はガジュという。
タルタラ村の朝は早い。日の出と共に、村人たちの一日が始まる。そっくりな見た目をした親子が、仲睦まじげに肩を寄せあって歩く姿を見ていると、ガジュの胸は疼いた。
僕の両親は元気だろうか? 僕の両親も、僕と同じような見た目をしているのだろうか?
ガジュには両親の記憶がなかった。記憶すらない幼い時分に、見世物小屋に売られたからだ。
ガジュは髪も瞳も唇も真っ白で、耳が長く尖っていた。整った容姿も相まって、まるで彫像のようだ。
そんなガジュを一目見ようと、見世物小屋の前には、連日のごとく長蛇の列ができた。
見世物小屋の出演者は、体が毛で覆われた大男や、身長が80センチにも満たない大人など、風変りな見た目の者ばかりだ。そういった異様な風体の出演者の中で、ガジュの神秘的な美しさは、さらに際立った。
容赦のない好奇の目が、ガジュの体を嫌らしく舐めた。夢の中にまで目は現れ、物言わぬ目に、何度もうなされて飛び起きた。
儲けを優先した見世物小屋の支配人は、出演者に劣悪な生活環境しか用意しなかった。幼いガジュの精神は、すぐに病んでいく。
そんなガジュを看病したのは、同じ見世物小屋の出演者である仲間だった。
寝小便をして汚れた下着を、仲間は洗ってくれた。菓子を食べたことのないガジュのために、クッキーを焼いてくれた。
奇異な容姿ゆえに、さんざん辛酸を舐めてきた仲間は、だからこそ優しさを知っていた。両親はいなかったが、仲間から優しさを学んだ。
あの頃の仲間は、今も元気だろうか? こうして檻の中にいる今の僕を見たら、どんな目をするだろう?
両親への思いは、いつの間にか仲間の回想へと変わっていた。それもいつものことだった。
思い出と戯れている内に、太陽は高い位置に昇っていた。
昼食をとるために家へ戻る村人たちが、ガジュに向けて手を振る。ガジュも同様の挨拶を返した。
そんなガジュのもとへ、一人の少女――ウルワシカが丘を登って駆けてくる。
「今日とれたトウモロコシだよ。ほら、お供え」
格子越しに差しだされたトウモロコシを、ガジュは受けとる。お供えとは、まるで神様のような扱いだが、実際のところ、ガジュの村での役割は神様と大差ない。
「ありがとう。今日もいい野菜がとれたみたいだね」
「うん。ガジュ様のお陰だよ」
様、ね。
ちっとも嬉しくなかった。どれだけ村人から感謝されようとも、ここはガジュの望んだ場所ではない。本当は檻の外で生活したかった。
「そいつはよかった」
笑顔で応えるガジュだが、旧知の仲であるウルワシカは、ガジュの内心を見抜いていた。
ウルワシカは表情を曇らせる。
「ごめんね。本当はこんなところにいたくないよね」
「そんなことはないさ。ここにいれば働かなくても、タダでご飯が食べられる。怠け者の僕には、ピッタリの場所だ」
ガジュがおどけても、ウルワシカの表情は依然として暗い。
「私たちって、ひどいよね。自分たちの幸せのために、ガジュを檻に閉じ込めるなんて」
その謝罪は誰のために行われているのか?
何度もウルワシカの謝罪を聞いてきたガジュは、とっくの昔に気づいていた。
謝ることでウルワシカの心は軽くなり、平静を保てる。
ウルワシカ本人は気づいていないようだが、この謝罪はガジュのためではなく、ウルワシカ自身のために行われていた。
「仕方ないよ。僕がいるだけで、この村は豊かになるんだ。そりゃあ、逃げないように閉じ込めておきたくもなるさ」
長く尖った耳を持つ精霊人いるところに、精霊の加護あり。
この世界に古くからある言い伝えだ。子供向けに作られた創作の類を見れば、その作品の多くに精霊人が登場する。
精霊人なんていない。あれはただのおとぎ話だ。ガジュの耳? なにかの病気だろ。
大人なら、みなそう考える。タルタラ村の村長も、ガジュを助けた際は、そんなおとぎ話があったことさえ、忘れていたに違いない。
ガジュがこの村に来たのは、今からおよそ10年前になる。
当時まだ5歳だったガジュは、見世物小屋の巡業で、タルタラ村の近くにある町を訪れていた。仲間の介抱もあって、なんとか舞台に立ち続けていたガジュだが、とうとう限界を迎えた。
使い物にならなくなったガジュを、見世物小屋の支配人は、タバコの吸い殻でも捨てるように、路上に捨てた。
たまたま通りかかったのが、町に買い物に来ていたタルタラ村の村長と、その娘であるウルワシカだ。
やせ衰えて骨と皮だけになったガジュは、路上に寝そべって糞尿を垂れ流していた。
健康なときには、長い耳と白い瞳は、神秘的な美しさを放っていた。しかし、健康を失えば、なにか得体のしれない病魔に侵されているようにも見えた。
街行く人々は感染を恐れて、ガジュに近寄ろうとしない。ただ一人、ウルワシカだけが、ガジュのもとへ駆けつけた。
「お父さん、この子、死にかけてるよ。助けてあげなきゃ」
村長はウルワシカの手を引いた。
「近寄るんじゃない。この子供は、きっとなにかの病気だ」
しかし、ウルワシカは幼い力で必死に抵抗した。
「だったら、なんで助けてあげないの? 病気の子供を、お父さんは見殺しにするの?」
村長は娘に嫌われたくなかった。だから、ガジュを村に連れ帰って、嫌々ながらも看病した。




