第四章8 日本⑤
男は、しばらく質問票を見つめていた。
――なぜ、失敗を修正できなかったのか。
その問いが、頭から離れない。
「……修正する仕組みは、ある」
選挙がある。国会がある。政権交代もある。
問題を指摘する人間もいる。
それでも、三十年が過ぎた。
男は、超越者に再度質問した。
「現状のままなら30年でなく50年になる可能性が高い」
『はい』
男は椅子に座ったまま、考え続けていた。
もし、本当に仕組みが機能しているのなら。
なぜ、これほど長く問題が残ったのか。
「……制度がなかったわけじゃない」
呟く。
「制度があっても、直らなかった」
そこで、男は言葉を止めた。
「いや……」
もう一度、考える。
「直らなかったんじゃない」
「直せなかった?」
その違いは大きかった。
誰かが悪かった。誰かが怠った。誰かが間違えた。
それだけなら、その誰かを変えればいい。
だが。
政治家が変わっても。政党が変わっても。政策が変わっても。
問題が残るなら。
「……人が変わるだけでは、駄目なのか」
男は資料をめくった。
そこには、何度も繰り返された議論が並んでいる。
改革。反対。修正。妥協。
そして、また問題が起きる。
「そうか……」
男は小さく呟いた。
誰か一人が日本を動かしているわけではない。
政治家だけでもない。
官僚だけでもない。
企業だけでもない。
国民だけでもない。
それぞれが、それぞれの立場から判断している。
だからこそ。
一人を替えただけでは、全体は変わらない。
男は、ふと選挙について考えた。
選挙では、政治家を選ぶ。
政党を選ぶ。
政権を選ぶ。
だが。
一つの政策だけを選ぶことはできない。
まして。
十年前に決められた政策について、
「この判断についてだけ責任を取らせる」
などということも難しい。
結果が出た頃には、政治家が変わっているかもしれない。
政党が変わっているかもしれない。
担当者が退職しているかもしれない。
それに十年前の判断を。二十年前の判断を。三十年前の判断を。
今の基準で裁くことに、どこまで意味があるのか。
その時には、その時の事情があった。その時には、知り得なかった情報もある。
感情論として遡及自体には効果あるだろうが。
制度として本当に効果あるかは、それを実際に行った隣国が示している。
後から結果を知った人間が
「なぜ分からなかった」と問うことは簡単だ。
「……それじゃ、遡って責任を取らせればいい、という話でもない」
「政治家や官僚がエリを正せば良いって話ではないのか」
男は眉を寄せた。
「……責任が、消えていく」
「……何も残らない」
誰かが悪い。しかし、責任が、消えていく。
誰か一人に決定を帰することもできない。
政治家だけでもない。官僚だけでもない。国会だけでもない。その時々の社会状況もある。
だから、責任を追及しようとすればするほど、責任の所在が曖昧になる。
そして。
誰も責任を負わなければ。是正もない。
次に同じことが起きても、何も変わらない。何も残らない。
男は、そこで手を止めた。
「……これか」
日本政府が欲しかった回答の一端。
失敗そのものではない。
失敗したあとに、何が残るのか。
そこに問題がある。
男はゆっくりと顔を上げた。
「政治には、失敗を修正する仕組みがある」
「仕組み自体を変える必要が出てきた場合...」
一つずつ考えた。
「政治家を選ぶ仕組みを変えるのも政治」
「政治家の責任を問う仕組みを作るのも政治」
「行政を監視する仕組みを強くするのも政治」
「そして、政治家自身の権限を制限するのも……政治」
そこまで言って、男は黙った。
奇妙な話だった。
問題を直すためには、制度を変えなければならない。
だが制度を変える権限を持っているのは、その制度の中にいる権限を持った人間だ。
男は椅子の背にもたれた。
「何の利益もなしに、自分で自分を縛る奴いるのか」
苦笑した。
「そりゃ、簡単じゃない」
もちろん、政治家に悪意があるという話ではない。
善意で改革する者もいる。
本気で国を変えようとする者もいる。
男は、ふと。
「……民主主義って」
言葉を選ぶ。
「自分たちで間違いを直せる仕組み……なんですよね」
『はい』
「でも」
男は続けた。
「自分たちで作った仕組みそのものが、間違っていたら?」
超越者は答えない。
男は、しばらく待った。
やがて、ゆっくりと目を伏せる。
「……そこまで自分たちで直せる仕組みなのですか?」
答えはない。
だが。
その沈黙が、妙に重かった。
男は三十年分の資料を見た。
日本は、何度も選んできた。
何度も議論した。何度も修正した。
それでも、変わらなかったものがある。
ならば。
問題は、政治家の能力だけではない。
国民の意識だけでもない。
政策の正しさだけでもない。
もっと根の深いところにある。
「……民主主義に限界がある」
その言葉を口にした瞬間。
男自身が、その重さに気づいた。
民主主義を否定したいわけではない。
むしろ逆だった。
これまで日本を支えてきたのも民主主義だ。
だからこそ。
その限界を認めなければ、その先には進めない。
男は、しばらく黙っていた。
そして。
一つの考えが、頭をよぎった。
――では。
――その限界を、どうやって越える?
男は顔を上げた。
その視線の先には。
超越者がいた。




