第四章7 日本④
「その仕組みを直すのは、誰なのでしょうか?」
超越者は、すぐには答えなかった。
やがて。
『あなたたち自身です』
男は眉を動かした。
「……それは、当然の話では?」
『はい』
「では、なぜ直らなかったのでしょうか」
超越者は答えない。
男は質問票を見る。
選挙。
国会。
政権交代。
政策変更。
責任追及。
どれも、日本には存在している。
それでも。
十年が二十年になった。
二十年が三十年になった。
男は、ゆっくりと口を開いた。
「……民主主義には、自分たちの失敗を修正する能力がある」
「そう考えていいのでしょうか」
『あります』
即答だった。
男の表情が変わる。
「では、その能力には限界がある?」
『あります』
部屋の空気が変わった。
「どのような?」
『それを説明することは、あなたたちの政治への介入になります』
男は黙った。
超越者は続ける。
『あなたたちには、選択する仕組みがあります』
『しかし、選択できることと、正しい選択ができることは同じではありません』
男は資料に目を落とした。
選挙。世論。政党。官僚。企業。メディア。有権者。
様々なものが絡み合っている。
誰か一人が決めているわけではない。
だからこそ、誰か一人の判断だけで変えることもできない。
「……なるほど」
男は呟いた。
「民主主義は、間違いを防ぐ仕組みではない」
誰も口を挟まない。
「間違えたときに、やり直すための仕組みなんですね」
『その通りです』
「でも……」
男はそこで言葉を止めた。
「やり直すためには、まず自分たちが間違えたと認めなければならない」
超越者は答えない。
「そして、間違いを認めても」
「その原因が複雑なら、誰の責任なのか分からない」
男は資料をめくった。
十年前の政策。二十年前の政策。三十年前の政策。
それぞれに、その時代なりの理由がある。
その時点では正しかった判断もある。
間違っていた判断もある。
そして、後から見れば明らかな失敗であっても、そのときには誰も未来を知らない。
「……難しい」
男は呟いた。
「失敗だったと分かってからなら、直すことはできる」
「でも、直そうとすれば、今度は別の問題が出てくる」
税制。社会保障。雇用。財政。
どれも、一つを変えれば済む話ではない。
「だから、判断が遅れる」
「失敗だと分かっていても、簡単には動かせない」
そこで、男の手が止まった。
「……でも」
顔を上げる。
「それだけなのか?」
三十年間。
問題は何度も指摘されてきた。
政策も変わった。政権も変わった。
それでも。十年が二十年になり。二十年が三十年になった。
男は資料を閉じた。
「失敗したことより……」
一度、言葉を止める。
「失敗したあとも、変わらなかったことの方が問題なんじゃないか...?」
超越者は答えない。
男は、その沈黙を見つめた。
「問題があることは分かっていた」
「直す必要があることも、分かっていた」
「それでも、直しきれなかった」
男は自分の言葉を確かめるように呟いた。
「……なぜ?」
その問いだけが、部屋に残った。
超越者は何も答えなかった。
男も、それ以上は尋ねなかった。
ただ。
先ほどまで見ていた三十年分の資料が、少し違って見えていた。
問題そのものではない。
失敗した政策でもない。
その後に、何が起きたのか。
男はそこに、これまで見落としていたものがあるような気がした。
日本の失われた30年。
それは、日本人が何も考えなかった30年ではない。
何度も問題を指摘し。何度も政策を変え。政権を選び直してもした。
それでも、問題は残った。十年が二十年になり。二十年が三十年になった。
男は、ふと最初の質問を思い出した。
――なぜ、日本は停滞したのか。
もしかすると。
問いそのものが、少し違っていたのかもしれない。
「……なぜ失敗したのか、だけではない」
男は誰に言うでもなく呟いた。
「なぜ、失敗を修正できなかったのか」
その答えは、まだ分からない。
だが。
少なくとも今までとは違う場所に、問いがあることだけは分かった。
男は再び質問票を手に取った。
まだ、質問は残っている。
そして次の項目には――
日本政府が、本当に聞きたかった質問が記されていた。




