第四章5 日本②
そして、日本側もまた質問を行う日を迎えた。
超越者ノ間は、完成後すでに何度かテストとして使用されていた。
各国との対話も始まり、施設の運用に大きな問題がないことも確認されている。
今度は、日本自身が超越者に質問する番だった。
質問者として選ばれたのは、政府関係者だけではなかった。
外交官。
科学者。
軍事専門家。
そして、超越者の出現以来、その存在について調査を続けてきた者たち。
彼らはすでに多くのことを知っていた。
いや。
正確には――
知っているつもりだった。
超越者が物理的な攻撃を受け付けないこと。
電子機器に干渉できること。
人間の脳へ干渉できること。
世界各地に同時に存在できること。
そして、日本の天皇を代行者として認めていること。
だが、それらはすべて人類側から観測した結果に過ぎない。
本人に確認したわけではない。
だから最初の質問は、極めて単純なものになった。
「あなたは、何者なのですか?」
超越者は答えた。
『観察する者、あなた達の言葉を使うなら超越者』
部屋に微妙な空気が流れた。
質問者の一人が眉をひそめる。
「……それは、我々があなたをそう呼んでいるだけでは?」
『そうです』
「では、あなた自身は自分を何と呼んでいるのですか?」
『回答しません』
「種族名も?」
『回答しません』
『現在のあなたたちが持っていない知識を、私は教えない』
「あなたのような存在は、他にも存在する?」
少しの沈黙。
『回答しません』
『現在のあなたたちが持っていない知識を、私は教えません』
『答えはあなた達が自らの手で導いてください』
もちろん、日本側はその可能性を想定していた。
想定していた回答だが、再確認という意味でも質問は続いた。
「どこから来たのですか?」
『あなたたちの宇宙の外側です』
「宇宙の外側とは?」
『あなたたちが宇宙と定義している領域の外側です』
「我々の宇宙とは別の宇宙?」
『違います』
「では?」
『説明するための言語がありません』
科学者の一人が口を挟む。
「あなたたちには、我々とは異なる物理法則が存在するのですか?」
『物理法則という概念自体は共通しています』
「では、なぜ我々の物理法則では説明できない?」
『前にも言いましたが現在のあなたたちが持っていない科学技術を、私は教えません』
『これ以上はあなた達が自らの手で導いてください』
『あなたたちの文明は、あなたたち自身が作るべきだから』
知りたいことはいくらでもある。
どのように存在しているのか。
なぜ地球へ来たのか。
何を観察しているのか。
どれほどの能力を持っているのか。
人類をどう評価しているのか。
そして――
人類に敵意はあるのか。
質問は次々と続いた。
超越者は、答えられるものには答えた。
答えられないものには、
『回答しません』
『現在のあなたたちが持っていない科学技術を、私は教えない』
『あなたたちの文明は、あなたたち自身が作るべき』
と、ほぼ同じ回答が繰り返された。
嘘をついている様子はない。
だから、ある質問者が尋ねた。
「あなたは、我々に知られたくないことがあるのですか?」
『あります、が私の目的は観察です』
『現在のあなたたちが持っていない知識を私は教えません』
「……なぜ隠すのです?」
『私の目的は観察です』
「我々にとって重要でも?」
『私の目的は観察です』
『あなたたちの文明は、あなたたち自身が作るべき』
あまりにも定型文の回答に、誰も反論できなかった。
超越者は、人類の味方でも敵でもない。
少なくとも、そう振る舞っている。
ただ観察している。
その事実を改めて確認したところで、質問は次の段階へ移った。
「では、あなたは何のために地球へ来たのですか?」
『何度も言いますが観察するためです』
「何を?」
『あなたたちです』
「人類を?」
『はい』
「何を観察しているのです?」
『あなたたちが、これから何をするのかを』
「日本の天皇を代行者として指名したのはなぜですか」
『前にも言いましたが地球上に現在まで続く王統の中で、最も長い歴史を持つ王であるから』
その後も、超越者の回答は変わらなかった。
やがて、一人の男が口を開いた。
「では……」
「未来について質問してもいいですか?」
『はい』
「日本がこれからどうなるのか」
「世界がどうなるのか」
「人類がどうなるのか」
男は続けた。
「あなたは知っているのではありませんか?」
しばらく沈黙。
そして。
『それも回答しません』
『未来について答えることは、観察ではなく介入になるからです』
『私は政治には介入しません』
『あなたたちの未来を決定することもしません』
『それは、あなたたちが判断することです』
超越者は、そこだけは明確に線を引いた。
未来については答えない。
未来を知っていたとしても、それを語ることは介入になる。
ならば――
過去はどうなのか。
男が手元の質問票をめくる。
次の項目には、こう書かれていた。
――過去について。
――日本経済について。
――いわゆる「失われた30年」について。
この質問を用意したのは、単なる経済対策のためではなかった。
日本政府は、長年にわたって一つの疑問を抱えていた。
なぜ、日本は停滞したのか。
専門家も、政治家も、経済学者も、それぞれの答えを示してきた。
しかし、議論が終わることはなかった。
その答えを、客観的な立場から聞きたかった。
男は質問票に目を落とした。
「では、次の質問です」
「過去について聞くことはできますか?」
『はい』
即答だった。
男は続ける。
「日本には、いわゆる『失われた30年』があります」
男は超越者を見た。
「なぜですか?」
「日本は、なぜ30年間経済成長できなかったのでしょうか?」
部屋に沈黙が落ちた。
そして、超越者が答えた。
『それを説明するには、バブル崩壊以前まで遡る必要があります』
男は僅かに目を細めた。
「……お願いします」
『はい』
超越者は、それ以上何も言わなかった。
男は次の資料を手に取った。
そこには、バブル崩壊以前の日本経済について、膨大な資料が並べられていた。
その日、日本側が用意した質問は、まだ始まったばかりだった。




