第三章6 試練②
平壌。
午前十一時四十二分。
金正温は、立ったまま動かなかった。
目は開いている。
呼吸もしている。
しかし、指一本動かせない。
声も出せない。
目の前には側近たちがいる。
誰も動いていない。
国務委員会の幹部。
軍の最高幹部。
党の中枢。
全員が同じ状態だった。
まるで時間だけが、彼らの周囲から切り離されたようだった。
そして世界中の人間が、その光景を知ることになる。
超越者の声が響いた。
『これが試練である』
それだけだった。
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午後零時
最初に異変に気づいたのは、平壌の下級官僚だった。
「中央から命令が来ない」
「待てば来る」
「いつまで待つ?」
「分からない」
電話は繋がる。
通信も生きている。
電力も供給されている。
しかし、
命令だけが来ない。
軍部でも同じだった。
「次の指示は?」
「司令部に聞け」
「司令部が応答しない」
「ならば総参謀部へ」
「応答なし」
「国防省は?」
「応答なし」
次々と同じ答えが返ってくる。
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午後一時
韓国政府に緊急報告が入った。
「北朝鮮軍の中央指揮系統が機能していません」
大統領は聞き返した。
「機能していないとは?」
「通信設備は生きています。しかし上層部からの命令がありません」
「クーデターか?」
「確認できません」
「金正温は?」
沈黙。
「確認できません」
部屋の空気が変わった。
誰も口にしなかった。
しかし全員が同じことを考えていた。
超越者の試練だ。
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ワシントン
アメリカ大統領にも報告が入った。
「北朝鮮の指導部が動いていません」
「死んだのか?」
「生命反応はあります」
「では?」
「動かない。意思決定もできないようです」
大統領はしばらく黙っていた。
「軍は?」
「中央指揮系統が麻痺しています」
「核関連施設は?」
担当者が答える。
「現在、監視を強化しています」
大統領は深く息を吐いた。
「……誰も北朝鮮を攻撃するな」
「はい」
「今は何よりも、あの国から何かが飛んでこないようにすることだ」
そこで大統領は気づいた。
アメリカが北朝鮮に対して軍事行動を取ることは簡単ではない。
なぜなら、
超越者が何を考えているのか、誰にも分からない。
北朝鮮は試練を受けた。
しかし、
「では北朝鮮を誰が処理するのか?」
については、超越者は一言も言っていない。
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北京
中国指導部では、さらに深刻な問題が起きていた。
「北朝鮮との連絡が取れない」
「国境は?」
「現時点では大きな異常なし」
「軍は?」
「北朝鮮軍の動向を監視しています」
「難民は?」
「まだ大規模な流入は確認されていません」
習平平は黙っていた。
そして、一人の幹部が言った。
「我々は……北朝鮮を助けるべきでしょうか」
誰もすぐには答えなかった。
「人道支援は必要でしょう」
別の幹部が言う。
「しかし、政治的介入は?」
沈黙。
中国にとって北朝鮮は隣国だった。
同時に、
超越者の試練を受けた最初の国
でもあった。
不用意に動けば、
「中国が超越者の試練に介入した」
と解釈される可能性がある。
誰も、そのリスクを正確には測れなかった。
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日本
東京では、別の議論が始まっていた。
「北朝鮮が事実上、機能停止しています」
総理は報告を聞いていた。
「自衛隊は?」
「警戒態勢を維持しています」
「北朝鮮へ入るのか?」
その問いに、誰も即答しなかった。
そして総理は天皇に関する報告書を見る。
今回の攻撃は、
超越者の代行者である天皇への攻撃
として認定された。
しかし、超越者は日本政府に、
「北朝鮮へ進め」
とは言っていない。
むしろ、
『その後の問題は、人類自身が決めなさい』
そう宣言していた。
総理は言った。
「……つまり、我々自身が決めなければならない」
防衛大臣が頷く。
「はい」
「超越者に答えを聞くことは?」
「可能でしょう」
「しかし?」
「それでは、超越者が人類の政治を決めることになります」
総理は黙った。
それは、この世界で初めての重大な問題だった。
超越者に守られていることと、超越者に統治されることは違う。




