第24話 老婆の言葉
道典が死んで数日後、ツネさんが来た。
岳人が訪ねたのではない。ツネさんが来た。朝の早い時間に、七海家の戸を叩いた。早苗が開けた。「岳人さんに話がある」とツネさんは言った。
岳人が出ると、ツネさんは縁側に腰を下ろした。いつもの、飄々とした動き方だった。道典が死んだことを知っているはずだが、顔には出ていなかった。岳人は向かいに座った。
「来てくれたんですね」と岳人は言った。
「来る時が来た」とツネさんは言った。「三章2話の朝に、あんたが私の家に来たのと同じだ」
岳人は少し笑った。同じ論理で来た、ということだった。
* * *
「あんたの父親のことを話す」とツネさんは言った。
「知っているんですか」
「知っている。道典さんは間を歩く人間だった」
岳人は「間を歩く」という言葉を受け取った。三章2話でツネさんに「あんたも歩いてる」と言われた言葉と同じ言い方だった。
「それは呪いじゃない」ツネさんは続けた。「ただ、向く先が東でも西でもないだけだ。東の神を守ろうとしながら、間のほうへ向いてしまう。どちらも本当で、どちらも嘘じゃない。そういう人間がいる」
「父はそれで御岳を追われた」
「追われた、というより——間を歩く人間は、東の場所には居続けられない。仕組みがそうなっている。出ていくことになる。それを追われたと呼ぶかどうかは、見方による」
岳人はその言い方を聞いた。一章の道典と典嗣の対立——「棄てていない」「間を見る者に東の神は宿らない」という二つの論理が、ツネさんの言葉では「どちらも本当」として並んでいた。
「そういう人間は、羽鳥に繋がる」とツネさんは言った。
* * *
「羽鳥千鶴という人を知っていますか?」
岳人は言った。父の手帳の一行を、この場に持ち込んだ。
ツネさんは少し間を置いた。
これまでのツネさんの「間」と違った。考えているのではない——何かを決めている間だった。言うか言わないかではなく、どう言うかを決めている感じだった。
「知っている」とツネさんは言った。
岳人は動かなかった。「どこにいるか、分かりますか」
「今はどこにいるか、私にも分からない。羽鳥の家は動く家だ。一つの場所に留まらない——間を守る者は、留まれない」
「来るんですか、この村に」
「来るよ、そのうち」
ツネさんは庭を見ながら言った。「あんたの父親が宮城を選んだのは、早苗さんが選んだからだ。早苗さんがなぜこの村を選んだか、私には分からない。ただ、間を歩いてきた者がこの土地に来ることを、この土地は知っていた。来るべき者が来た、ということを、土地が感じる。千鶴さんもそれを感じる。だから来る」
「いつ」
「それは分からない」ツネさんは言った。「来た時に分かる——前にもそう言ったね」
岳人は「待ちなさい、ということですか」と言った。
「そう」ツネさんは笑った。「でも今回の待ちなさいは、前の待ちなさいと少し違う。前は何を待つか分からなかった。今は分かっている。来るものが分かっている待ちは、違う」
* * *
「ツネさんはなぜそれを知っているんですか」と岳人は聞いた。
これまで聞けなかった問いだった。聞いても答えないと思っていた。ただ今日は——ツネさんが来た日は、何かが違う気がした。
ツネさんは少し黙った。
「この土地に長くいると、分かることがある」とツネさんは言った。「東の神のことも、西の神のことも、間のことも——この村はどちらにも属さない。どちらにも属さない土地には、どちらにも属さない記録が残る。私はその記録の近くに長くいた」
「記録とは」
「文字じゃない」ツネさんは言った。「土地の記憶だ。雪が何を覆うか、川がどちらへ流れるか、誰がどこで死んだか——そういうことが積み重なって、土地は知っていく。私はその知り方を、少し受け取っている。それだけだ」
岳人は庭を見た。冬の終わりの庭だった。雪が残っていた。
「雪は平等だよ」とツネさんは言った。「東も西も同じに覆う。その平等さの中に、間を歩いてきた者が来る。あんたの母親はそれを知っていた。だからこの土地を選んだ」
岳人は早苗のことを思った。「ほら」と言って雪を指した早苗を。「分かった時が来た」とツネさんは言っていた——早苗はずっと前から分かっていた。
* * *
ツネさんが帰り際に言った。「砥石は持っているか?」
「持っています」
「研いでいるか」
岳人は少し考えた。「研いでいません。父が使っていた砥石で、自分が研いでいいか分からなかった」
「使いなさい」ツネさんは言った。「研ぎ続けるために研ぐんじゃない。錆びさせないために研ぐんだ。道典さんはそう言っていたよ——会ったことはないけれど、そういう人だったと分かる」
岳人は砥石のことを思った。「剣は錆びる。使わなくても錆びる」という父の言葉を思った。
ツネさんは来た時と同じ足取りで帰っていった。
岳人はしばらく縁側に座っていた。
来るものが分かっている、という待ちの形が、岳人の中に入ってきた。




