第14話 道中の宿場
道中の記憶は、御岳の記憶より鮮明だ。
不思議なことだと岳人は思う。御岳にいた頃のことは霧の中なのに、御岳を出てからの道のことははっきり見える。石畳ではない道。木の根が出た坂道。夜明け前に発って、日が暮れる前に宿を探す。そういう日が何日続いたか。六歳の子どもの足では、一日に歩ける距離が限られていた。父が時々岳人を背負った。背中の高さから見た道の景色が、今もはっきり残っている。
なぜ御岳の記憶だけが霧の中なのか——それを考えるたびに、岳人は宿場の場面を思い出す。
* * *
ある宿場だった。
北へ向かう街道沿いの、こぢんまりした宿だった。夕方に着いて、一部屋だけ借りた。宿の主人は愛想のいい男で、三人を見るなり「どちらからおいでですか」と言った。旅人に聞く、当たり前の問いだった。
父が答えた。「山のほうから」
それだけだった。主人は「ああ、山のほうですか」と言って部屋に案内した。特に不思議そうな顔もしなかった。「山のほう」というのは、問いを閉じる答えだ。それ以上聞くことがない答えだ。父はそれを知っていて使っていた。
岳人はその夜まで、「御岳」という言葉を父が使わないことに気づいていなかった。
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気づいたのは、翌朝だった。
宿を出る前に、宿の子どもと少し話した。岳人より少し年上の、やせた男の子だった。「どこから来たの」と聞かれた。
岳人は答えようとした。御岳から——と言おうとした。
言いかけて、止まった。止めたのは岳人自身だ。早苗に止められたのではない。ただ、言いかけた瞬間に——父が昨晩「山のほうから」と言ったことが頭に来た。父は御岳と言わなかった。母も言わなかった。では自分も言ってはいけないのかもしれない。その判断が、六歳の子どもの頭の中で一瞬で動いた。
「山のほうから」と岳人は言った。
男の子は「ふうん」と言った。それだけだった。
岳人はそれから部屋に戻った。早苗がいた。荷物をまとめていた。岳人が入ってきたのを見て、早苗は何も言わずに岳人の手を握った。
「大丈夫」という意味の握り方だった——と岳人は後に思う。その時点では意味を読めていなかった。ただ、温かかった。昨日の父の手は冷えていたが、母の手は温かかった。
* * *
あの握り方を、岳人は今も時々思い出す。
制止ではなかった。「それを言ってはいけない」という意味ではなかった。早苗は岳人が何を言いかけたかを知っていた——あるいは知らなくても、岳人が何かを堪えて戻ってきたことは分かっていた。大体のことは分かります、という人だったから。
「大丈夫」が何の大丈夫なのか、その時の岳人には分からなかった。
後になって、少しずつ分かった。
名乗れない、ということは、どういうことか。御岳から来た、と言えないのは、御岳という名前を使えないからではない——御岳という名前を使えば、七海という家の名前につながる。七海という名前が、朝比奈家の記録から消えている。消えた家の名前を旅の途中で言えば、何かが確定する。何が確定するのかは分からないが、何かが変わる。父はそれを知っていて、「山のほうから」と言い続けた。
六歳の岳人にはその理由が分からなかった。分からないまま、父と同じ答えを選んだ。
その選択が、岳人の中に何かを残した。
* * *
何を残したのか。
岳人は今もはっきり言えない。「御岳から来た」と言えなかったことへの後悔ではない。後悔するほど、御岳への愛着が岳人にあるわけではない——御岳の光景は霧の中で、岳人には愛着のしようがない。
唯一、何かが残った。
始まりを名乗れない、ということの感触が。どこから来たかを「山のほうから」という言葉で閉じなければならない、ということの感触が。その感触が、宿場の朝の早苗の手の温かさと一緒に、岳人の右手の記憶の中にある。
御岳の記憶は霧の中だ。でも、御岳を名乗れなかったあの朝の記憶は、はっきり残っている。
それが岳人の、「始まり」への距離の取り方だ。




