第13話 岳人の記憶の切れ目
御岳の記憶がどこで切れているか、と岳人は時々探す。
今日も探している。宮城の冬の朝で、窓の外に雪が積もっている。この景色を岳人はよく知っている。物心ついた頃からここにいる——というより、物心がついた頃にはすでにここにいた。御岳にいた頃の自分には、まだ物心がついていなかったのかもしれない。それが「切れ目」の問題だ。
橋を渡った記憶はある。
父の手の感触もある。右手を父の左手に握られていた。父の手は大きかったが、そのとき冷えていた。秋の終わりの朝だったから、冷えていて当然だった。橋の欄干の振動が、父の手を通じて岳人の手にも届いていた気がする。川の音が、橋の下から上がってきた気がする。
気がする、という言い方しかできない。
確かに渡った。父の手を引いて「行こう」と言った——その記憶もある。ただ、その前後の光景が、霧がかかったように見えない。御岳の石畳の感触。東の社の形。典嗣という人物の顔。子どもたちと並んで石を分類した、あの境内の裏手。何度か思い出そうとしたが、輪郭が出てこない。音の記憶と、感触の記憶だけが残っている。
* * *
忘れたのではない、と岳人は思う。
忘れるためには、一度はっきり覚えていなければならない。忘れた記憶には「ここに何かがあった」という空白の感触が残る。御岳の光景にはその空白がない。最初からそこに像が焼き付いていなかった——もともと記録されなかった気がする。
六歳の子どもは、何を見ていたのか。
石を並べていた。「間の石。羽鳥が守ってる場所の石」と言った——後に小太郎からそう聞いた。言ったことは分かる。しかしその石の感触も、小太郎の顔も、岳人の中にはない。言葉だけがある。意味を持たない言葉が、光景と切り離されたまま、どこかに浮いている。
それが岳人の御岳だ。
* * *
不思議なことに、不安はない。
あるべき記憶がない、ということへの焦りを岳人は持っていない。持っていない、ということが問題なのかもしれないが——そもそも自分が何かを持っていないと気づくには、持っている者と並んで立つ必要がある。岳人の周りで御岳を知っている者は誰もいない。御岳がどんな場所かを知らない者たちの中で育った。だから比べる基準がない。
ただ、父が東を向いていた。
それだけは分かる。東を向いて眠り、東の空を見て朝を始めた。岳人がなぜ、と聞いても父は答えなかった。母が「寒いから早く寝なさい」と言って話を終わらせた。東の方角に何かがある——それだけが岳人に届いた。何があるかは届かなかった。
届かなかったものを、岳人は探してもいない。
探していないのに、時々探している気がする。今朝のように。雪を見ながら、御岳の記憶の切れ目を探している。切れ目を見つけてどうするのかも、分からないまま。
* * *
橋を渡りきったとき、何かが変わった気がした。
父がそう言ったのかどうか、岳人には分からない。記憶の中の父は、渡りきった後しばらく立っていた。川を振り返らなかった。岳人が手を引いて「行こう」と言うと、「ああ」と答えた。それだけだった。
でも何かが変わった気がする——その感触は、岳人の中に残っている。誰かから聞いたのか、自分でそう感じたのか、区別がつかない。父の感触が岳人の体に入り込んで、自分の感触と混ざっているのかもしれない。
手を繋いでいたから。
父の手の冷たさと、橋の振動と、川の音と——それらが全部、岳人の右手の記憶として残っている。どこまでが岳人のもので、どこからが父のものか、分けられない。
それが不満なわけでも、不安なわけでもない。
ただそういうものだ、と岳人は思っている。自分の始まりは御岳にあるが、御岳は岳人には見えない。父の手を通じてだけ届いている。それが岳人の、御岳との距離だ。
* * *
雪が、また降り始めた。
窓の外で、静かに積もっていく。東の方角も、西の方角も、同じ白さで覆われていく。岳人はそれを見ている。
御岳では、雪はどんな降り方をしていたのか。
思い出せない。最初から記録されていない。
それでいい、と岳人は思う。それでいい——というより、それでしかない。自分の記憶の切れ目を、岳人はそのまま持っている。埋める方法も、埋める必要があるかどうかも、まだ分からない。




