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【枠外短編】一等

「春一さん……もしかして、もう私たちはお尋ね者じゃないんですか?」


 旅の途中、千秋はふと春一にそう聞いた。資金稼ぎに物売りに寄った町に入った時の出来事だった。


「どうしてそう思うの、千秋?」


 にぎやかな往来の中では、二人の姿など簡単に沈む。女の袴姿は目立つため、千秋は普通の着物姿だった。荷物は布にくるみ背中に斜めに縛り付けている。春一の背中には竹かごが背負われており、そこには今日の売り物である野兎が詰め込まれていた。


「初めて、春一さんと一緒に町に入りました」


 ここまでの道のりで考えていたことを、彼女は口に出した。糸目の男と女。その組み合わせで手配されていたため、これまでいつも町に入る時は別々だった。お尋ね者かどうか心配しなくてよかったのは、騎馬族の影響の強い西七理の町くらいだった。


 なのにこの町に入る時、春一は偽の許可証を出して千秋と共に町に入った。もはや、自分たちがお尋ね者ではないことを確信しているように彼女には見えたのだ。


 そんな言葉に、彼はふふふと笑う。そして、その後ちょっとだけ困った笑いになった。表情が分かりづらいのは、あくまで千秋にそのように見えた、というだけだったが。


「そうだね。初めて一緒に入ったね……千秋の言ったことは当たり」


 そして、春一が彼女の方へと視線を向け、「さて問題」と言った。


「地史君ですか?」


 だから、千秋はその先を聞く前に答えた。春一は軽く目を開く。いつもは糸目の彼の瞳が見られる貴重な瞬間だった。そしてすぐまた、それは糸に戻った。どうやら千秋は、彼を驚かせたらしい。


「でも、分からないこともあるんです。春一さんにとって、手配書が回されていることはあんまり困ることじゃないはずなのに、それをわざわざ解いたのは何故でしょう。春一さんを信頼しているなら、逆に放っておいてもいいことですよね? 春一さんが手配をやめるよう頼むなんて、考えられないですし」


 春一さん、春一さんと、千秋はその名を声に刻む時に心を込める。彼に許されたその呼び名は、かけがえのないものであり愛しいものだった。


 しかし、脳裏では春一と地史のことを考える。西七理の町で出会った地史こと仁大皇帝。春一の弟子にして、彼を卒業した男でもある。


 そんな二人の攻防を、千秋はこの目で見た。まだ遥か高みで戦い合う二人を見て、千秋はまずあそこまで行かねばならないと分かった。


 技術も、そして思考も。


 だが、現状の千秋では完全に理解しきれているわけではない。それが歯がゆかった。


「そうだね、僕は絶対に頼まないね。そして、地史君も手配書を解く必要はない」


「じゃあ何故……」


 千秋はそれを口にしていたが、彼から答えを聞きたかったわけではない。自分の唇の中で呟き、思考の助けにしようとしたのだ。往来の雑音も忘れ、彼女は地史という男を思い出そうとした。


「危ないよ」


 思考に夢中になって確認がおろそかになっていた千秋の手を、隣の男がぐいと引っ張った。すぐ真横を急いだ男が駆け抜けていく。あっと千秋は、恥ずかしさに顔を赤くした。いくら春一と一緒にいるから安全だと言っても、こんなに簡単に気を抜いてはいけないではないか、と。


「すみません」


 一度思考を止め、千秋はまだ春一を卒業する見込みのない自分の姿を恥ずかしく思った。


「千秋は、地史君のこと……どう思った?」


 そんな彼女に笑みを向け、でも手は離さないまま彼がそう問いかける。いまは軽い思考をするよう言われた気がして、千秋は肩の力を抜いた。


「賢い人です。柔軟な人です。私は試されました。春一さんの側にふさわしい人間かどうか」


 思考は短く切りながら音にする。周囲を見て、すれ違う人たちを見て、千秋は言葉を紡いだ。


「……余計なお世話」


 ぼそりと春一が唇を尖らせる。まるで子供のようだ。千秋が試されたことについて物申したいのだろう。それに少しおかしくなる。


 しかし、彼女はそれに笑い出すより先に「あっ」と思った。何気なく、ただの感情からこぼされたであろう春一の言葉が、地史という男を表していたのだ。


「余計なお世話、ですか」


 すっきりと謎が解ける感覚に、思わずこぼれた勢いのある自分の声を、千秋は後半の部分で静かに戻した。地史は、無駄なことをする人だったではないか。あの時、千秋を試したように。


「……わざわざ無駄なことをしたんですね、地史君は」


 先生を前に答えを差し出す自信のある生徒のように、千秋は本当に言葉にしたかったことをそうまとめた。


 理由は、きっと春一への嫌がらせだろう。彼はさっき言ったではないか。「余計なお世話」と。彼にそう言わせたいがために、地史はそうしたに違いない。


 地史が何もしなければ、春一の心に留まることはない。どんな障害もそつなくこなす男の障害を、あえて取り除くことによって、地史は彼の心に残ろうとしたのだ。嫌な男として。


 春一を卒業してなお、一番優秀な生徒は私だと、春一自身と、千秋に見せ付けるように。なるほどなるほどと、千秋はその素晴らしい無駄に呆れることより感心すら覚えていた。


 春一の心に留まる方法のひとつとして、そういう技があるのか、と。


「千秋って……」


 心の中でその流れを反芻して、彼女はこくりと頷きながら自分の身の内に呑み込んだ。春一自身からだけでなく、地史の存在からも春一を吸収出来て、いまの千秋はとても上機嫌だった。


「千秋って……地史君のこと、結構好きでしょ?」


「え?」


 そんな彼女に、春一から伺うような声が投げられる。糸目のままだが、自分を見ていることが千秋には伝わってきた。


「はい、好きです」


 千秋は──ためらいなく答えた。


「あの人といると、別の角度から春一さんが見えます。私の見えなかった春一さんを見せてくれる人は、いままで見たことがありません」


 そんな貴重な人を、どうして千秋が嫌えようか。たとえ、命の奪い合いになろうと彼女の女の部分の奪い合いになろうと関係なかった。


「そうかい。じゃあ千秋は、僕のことどれくらい好き?」


 にこりと笑って、春一が聞く。それに千秋はおかしくなった。彼女の考えていることなど、手に取るように分かっているにも関わらず、どうしてそんなことを聞くのか、と。


 しかし、それを彼が聞きたいと望むのであれば、ためらう必要は千秋になかった。


「一等、好きです」


「一等、ね」


 千秋の言葉が、気に入らなかったのだろうか。春一は、どこか皮肉っぽく笑ったのだった。



『枠外短編 終』


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