05 魔女を目撃した皇太子との取引
皇太子アイオスと第3王女アリスが暮らすランドルフ皇国は、豊かな鉱山資源を有し、年間を通して温暖な気候に恵まれ、実り多き大地を持つ、世界でも有数の大国である。セーラが暮らすウラノス王国とは、国力において五倍以上の開きがあり、本来であれば、両国の王族が対等に言葉を交わすことすら許されぬ立場にある。
だが、セーラは先の魔族との戦いにおいて、総司令官であるキリストロニフ聖王国のゼビウス大将軍をも凌ぐ功績を挙げ、わずか十四歳にして「大聖女」の称号を授かり、魔族に対する『人類の切り札』として名声を確立した彼女は、今やこの世界において、絶対的とも言える地位を手にしていた。
そのセーラは現在、ゼウパレス修道学院にて、学院長に次ぐ地位である「名誉教授」の役職に就いている。ゆえに、たとえ相手が大国・ランドルフ皇国の皇太子であろうとも、セーラに対して上位者として接することは許されない。
「ごきげんよう、アイオス殿下。今日は、どのようなご用件で私を訪ねてこられたのですか?」
「あぁ、ごきげんよう、大聖女セーラ。特に『これ』といった用事はないのだが、今度の魔族との戦いで総司令官を任されてな。その報告を兼ねて教会に挨拶に立ち寄っただけだ。……妹の顔も、たまには見ておこうと思ってな。別に、お前に用があったわけじゃない」
本来ならば対等の立場であるはずのセーラを、どこか軽んじたように扱うアイオスの態度に、アリスは思わず眉をひそめる。いくら皇太子とはいえ、その物言いはいかがなものかと、兄に苦言を呈した。しかし、アイオスはどこ吹く風といった様子でそれを聞き流し、なぜかセーラも、特に不快な顔を見せるでもなく、どこか飄々とした態度で受け流していた。
「そうですか。それでは私は、これで失礼します。どうか兄妹水入らず、ごゆっくりお話しくださいませ」
セーラが一礼し、その場を立ち去ろうとすると、アイオスは苦笑を浮かべながら肩をすくめる。
「……まったく。この俺にそんな態度を取るのは、お前くらいなもんだ」
ランドルフ皇国の皇太子として、揺るぎない地位を持つアイオスは、容姿にも恵まれ、気品と知性を兼ね備えた完璧な王族と称されている。世界中の貴族令嬢たちが憧れ、こぞって想いを寄せるその存在に、声をかけられて悪い気のする女性など、まずいない。だが、セーラだけは違った。彼に向ける視線に特別な色はなく、愛想笑いひとつ見せることもなく、ただ淡々と礼儀を重んじる態度で接するだけだった。
他の女性とは違うその態度が、かえってアイオスにとっては新鮮で、愉快だったのだろう。つい、揶揄するような言動を取ってしまうのも、彼なりの興味の現れだったのかもしれない。だが、そろそろ本題に入らなければならないと悟ったのか、アイオスは小さく息を吐き、セーラの背を引き止めた。
「冗談だ。許せ、セーラ。本当は……次の魔族との戦いについて、相談したいことがあって来たんだ」
そう言ってから、傍らにいた妹に目を向ける。
「アリス、悪いが、少しだけセーラと二人で話をしたい。お前の部屋を貸してくれないか?」
「……ええ、それは構いませんけど……いくら学院の寮の中とはいえ、男女が密室で二人きりというのは、さすがに不用意なのでは?」
アリスは兄の申し出を受け入れながらも、大国の皇太子としてあまりにも軽率な行動ではないかと疑問を呈す。だが、アイオスは微塵も気にした様子を見せなかった。
「大丈夫だ。こっちは何かするつもりもないし、セーラに何かされるつもりもない。なにせ、こいつは『魔族の天敵』で『人類の切り札』だ。安心しろ」
まったく根拠のない自信を口にする兄を見て、アリスはため息をひとつ大きく吐いた。納得はしていないが、破天荒な兄の性格を誰よりも理解している彼女は、結局のところ観念したように鍵を差し出した。
◆
銀髪に褐色の肌、すっと通った鼻筋に鋭い目元……どこを取っても隙のない整った顔立ちで、まさに絵に描いたような美形のアイオス殿下を見ても、ときめくことはなかった。むしろ、私は警戒を解かず、いつでも魔法が使えるよう魔力を練り、隙あらば実験中の記憶消去魔法を使う準備を進める。
そんな私の態度を気にするでもなく、アイオスは相変わらず飄々とした口調で言う。
「おい、そんなに殺気を込めた目を向けるな。自分で言うのはなんだが、俺と2人きりで話す事を夢想する女は世界中に巨万といるんだ。少しは喜んだらどうだ?」
アイオス殿下は、自分の地位や容姿ゆえに、多くの女性たちから好意を寄せられ、目が合っただけで卒倒する者すらいるというのに、なぜ私だけがこうも敵意を向けるのかと、真顔で尋ねてきたので、私は、そんな殿下に向き直ると、改めてアイオス殿下がどれほど私にとって邪魔な存在であるか、理路整然と説明を始める。
「アイオス殿下は、不幸にも、私が魔法少女に変身する現場を目撃しました。そして、その件で私を脅そうとしています。そんな相手と仲良くできるわけがありません。あと、できれば記憶消去魔法を使わせてください」
「……『魔法少女』? それは一体なんだ? それに『記憶消去魔法』なんて、この世には存在しないぞ?」
アイオスは呆れたように肩をすくめると、ゆっくりと言葉を続けた。
「お前は何か勘違いしているようだが、俺は別に脅すつもりはない。ただ、万が一、何かの拍子にお前が魔女だとバレることがあった時に、俺の口が滑らないように……そう、お互い注意喚起し合おうと言っているだけだ。そして、そのついでに、少しだけ俺の願いを聞いてもらえればと思っている。……なぁ、魔女どの?」
アイオス殿下が何か寝言を言っているので、私は黙って無視することにした。やはり、この男は危険だ。今のうちに記憶消去魔法で後顧の憂いを断つべきだと、再び静かに魔力を練り始める。そんな私の態度を見て、アイオス殿下は「やれやれ」とでも言いたげに肩をすくめ、もう一度、わざとらしいほど優しい口調で脅す訳ではないと改めて念を押してきた。
「いいか、セーラ。俺は、お前を邪悪な存在だなんて思っていない。ましてや、魔女として教会に差し出すつもりもない。……それに『脅しじゃない』って言ったのはな、一方的に願いを押しつけるつもりはなく、こっちも何かあれば助けるし、叶えられる願いなら叶えるつもりで言ってるんだ、ほんとに」
私はアイオス殿下の提案を聞き、一方的に搾取されるような話ではないと分かると、ほんの少しだけ警戒を緩めた。とはいえ、信用したわけではない。ただ、魔力の練りを一旦止めて、とりあえずアイオス殿下の言う『お願い』とやらを聞いてみることにした。
◆
目の前にいる大聖女セーラは、ずっと俺を警戒したまま、魔力を練り続けている。油断なく、隙あらば魔法を発動しようという気配が全身から滲んでいた。その太陽のように煌めく金色の瞳で睨まれながら、俺は「なるほど、さすがはウラノス王家の至宝とまで呼ばれるだけのことはあるな」と、内心で感心していた。
もちろん、そんなことを口に出したら即座に殺されそうなので、さすがにやめておく。だが、それにしても、どうしたらこの誤解を解けるのか……少しばかり悩ましい。
……偶然、先の戦いで負傷しテントの中に運ばれていた俺は、セーラが魔女に姿を変わるところを目撃してしまった。そのことを、それとなく伝えたのはいいが、そのせいで、それ以来、俺のことを極端に危険視し、絶えず距離を取ろうとする。そんな彼女に、「見なかったことにする代わりに、互いに助け合おう」とある条件を口にした。だが、セーラは今でも、その「協力関係」という名の申し出すら、信用してはいない――。
「――――こっちも何かあれば助けるし、叶えられる願いなら叶えるつもりで言ってるんだ、ほんとに」
最大限の譲歩のつもりで、俺はセーラに伝える。魔女の件は口外しないし、一方的な要求をするつもりもない。あくまで互いに助け合う、協力関係の提案だと……すると、セーラは少しだけ警戒を解いた様子で、問い返してきた。
「わかりました。……貴方の言葉を信じることにしましょう。それで、私にしてほしいこととは、一体なんですか?」
「ああ、それは簡単なことだ。次の戦いでは、俺の参謀として同じ部隊に入ってほしい。そして、もし本当に危険な状況になった時は……魔女としての力で、皆を守ってくれ」
セーラは俺の言葉を聞くと、顎に手を当てて考え込み始めた。小さく尖った顎、桃色の艶やかな唇……まさに、神に遣わされた天女のような美しさを持つ彼女は、しかし次の瞬間、凄く嫌そうに顔を醜く歪めて絶対に嫌だと、はっきりと拒絶した。
「すみません、それは無理です。これ以上、危険な目に遭いたくありません。私は後方から支援魔法に専念したいと思います。それに、魔女ではなく『魔法少女』ですので、注意してください」
「……つまり、協力する気はないってことか? なら、遠慮なく『魔女』として教会に報告させてもらう」
俺が告発をちらつかせると、セーラはぴくりと眉を動かし、再び考え込み始めた。先ほどよりも深く悩んでいるようで、こめかみに指を当て、天を仰ぎ、両手で頭を抱え……せわしなく動きながら、何とか答えを見出そうとしている。
そして、しばらく悶え苦しんだ末に、ようやく答えに辿り着いたのか、セーラは真剣な眼差しでこちらを見据え、深く息を吸い込むと、首にかけていたロザリオを外し、俺に手渡しながら、厳かに口を開いた。
「わかりました。今度の戦争では、アイオス殿下が率いる部隊に随行したいと思います。ただし……もし私が危機に陥った場合には、そのロザリオに魔力を込めて、変身して私を助けてください」
セーラは、俺の手にあるロザリオを両手で包み込み、魔力を流し込んだ。そして、次の瞬間……俺の身体は、漆黒のタキシード姿へと変わっていた。




