第7話:コードを書かないデバッガー
唐突にドンッ、と扉が開いた。
ノックはない。
「頼む、助けてくれオルダス先生!」
汗だくの男が転がり込んできた。
灰燼街でも有名な高級レストランのオーナーシェフだ。
仕立ての良いスーツは汗で台無しになり、その腕には銀色の小さな卓上ベルが抱えられている。
男はそれを新調したばかりの木製デスクへ、ほとんど投げつけるように置いた。
「我が店の命運が掛かっているんだ!」
「落ち着いてください。座りますか」
「座っている場合じゃない!」
シェフはベルを指差した。
「先日手に入れた『召喚のベル』なんだが、客が注文のためにチリンと鳴らすと、この世で最も空腹な魔物が厨房へ召喚される呪いが掛かっている!」
フィオナの顔から血の気が引いた。
「召喚系!?」
「昨日なんか、客が鳴らした瞬間に体長三メートルのトロールが厨房へ出てきてな。高級食材を片っ端から食われたんだ!」
「それは……」
「今夜は王立騎士団長を招いての接待ディナーなんだぞ! 失敗したら店の評判が終わる!」
シェフは早口のまま、ベルを拾い上げた。
「しかも一度使うと店に座標が固定されるらしくてな。捨てても戻ってくる。二十四時間鳴らさずに放置すると待機状態が解除されて、今度はランダムなタイミングで勝手に起動する!」
「それは面倒だな」
「面倒どころじゃない! 時限爆弾と同じだ!」
シェフは懐から金貨袋を取り出し、机に置いた。
「頼む先生! 一刻も早く、このベルから魔物を呼び出す呪いのコードを書き換えて消去してくれ!」
俺は金貨袋を見た。
それからベルを見る。
煙草に火をつけ、紫煙の向こうから表面に刻まれたルーンを眺めた。
確かに術式は単純だ。
召喚条件と対象選定の部分が妙に短絡している。
そこを直すだけなら、それほど難しくはない。
だが。
俺は引き出しを開けた。
フィオナが横から覗き込む。
「ドライバーですか?」
「違う」
取り出したのは、油性マジックとマスキングテープだった。
「……なぜですの?」
「シェフ」
「は、はい」
「今夜のメインディッシュは?」
「え?」
「騎士団長に出す料理だ」
シェフは一瞬考え、それから胸を張った。
「極上のドラゴン肉のローストだ」
「なら話は早い」
俺はベルの底をひっくり返し、台座にテープを貼った。
「客席には置くな。厨房へ持っていけ」
「厨房に?」
「そうだ。客を呼ぶベルじゃない。調理完了を知らせるベルにする」
マジックで文字を書く。
『調理完了ベル』
その下に、少し間を空けてもう一行。
『鳴らすとゴミ処理係が来ます』
「……オルダス先生?」
フィオナの声が妙に冷たい。
俺は気にせずベルをシェフへ返した。
「肉が焼き上がったら鳴らせ」
「だから、それを鳴らしたらトロールが来るんだろう!」
「来るな」
「それが困るんだ!」
「いや、そこからが本番だ」
俺は灰皿に煙草を押しつけた。
「トロールが来たら、厨房の裏に置いてあるドラゴンの骨を食わせろ。ついでに仕込みで出た生ゴミもまとめて出せばいい」
シェフの動きが止まった。
フィオナもベルを見た。
「……骨を?」
「腹が減っているから来るんだろう。だったら、腹を満たしてやればいい」
「しかし、厨房の食材まで食い荒らすぞ」
「食わせる場所を決めておけばいい。人間の料理には手を出させず、骨と生ゴミだけを食わせる」
ベルを指で軽く叩く。
「呪いそのものは消さない。『この世で最も空腹な魔物を呼ぶ』という仕様を、そのまま使う」
「…………」
「要するに、厨房専用のディスポーザーだ」
しばらく誰も口を開かなかった。
やがてシェフが、恐る恐るベルを持ち上げる。
「……毎晩、ドラゴンの骨を処分してくれる?」
「ああ」
「業者に頼む必要もない?」
「ああ」
「ベルを鳴らすだけで?」
「ああ」
シェフの顔が、見る見るうちに明るくなった。
「完璧じゃないか!」
金貨袋が机の上で跳ねた。
「コスト削減! 厨房の衛生管理! しかも処分業者との契約まで切れる!」
「そういうことだ」
「先生、あなたは天才だ!」
シェフはベルを抱え直すと、今度こそ一目散に階段を駆け下りていった。
足音が遠ざかる。
事務所に静けさが戻った。
フィオナはしばらく閉じた扉を眺めていたが、やがてこちらへ顔を向けた。
「……オルダス先生」
「なんだ」
「今、魔法を使っていませんわよね」
「使ってないな」
「魔力の走査もしていません」
「してない」
「ドライバーにも触っていません」
「見れば分かるだろ」
フィオナは机の上に残ったマジックとテープを見た。
「では、何をしたんですの?」
「用途を変えただけだ」
「それは仕事なんですか?」
「結果として客の問題は解決した。金ももらった」
「……」
「文句あるか?」
フィオナはしばらく考えてから、深く息を吐いた。
「ものすごくありますわ」
「そうか」
「でも反論しづらいのが、もっと腹立たしいですわ」
俺は茶をすすった。
悪くない。
◆ ◆ ◆
翌日。
昨日のシェフが、ずいぶん機嫌のいい顔でやってきた。
手には豪華な包みがある。
「オルダス先生! 昨夜のディナーは大成功でした!」
フィオナが立ち上がり、包みを受け取った。
「まあ。ドラゴン肉ですの?」
「お礼です。ベルを鳴らすたびにトロールが出てきましてね。厨房に溜まっていた骨をきれいに食べてくれました」
「それはよかったですわね」
「処分費用も浮きましたし、騎士団長にも大変喜んでいただけました」
シェフはそこで少しだけ眉を下げた。
「ああ、そうだ。一つだけ問題がありまして」
「問題?」
「ええ」
シェフは困ったように笑った。
「トロールが、毎日タダでドラゴンの骨を食べられるのを覚えてしまいましてね」
嫌な予感がした。
「最初のうちはベルを鳴らした時だけだったんですが、今朝になったら店の裏口に立っていたんですよ」
「……鍵は?」
「こじ開けられてました」
フィオナの顔が固まる。
「厨房へ入って、勝手に昨日の残り物を食べてましてね」
「それは……」
「追い出そうとしたら、意外と大人しく言うことを聞くんです。皿を洗わせてみたら、これがまた器用でして」
シェフは嬉しそうに笑った。
「なので、夜間の調理補助として雇うことにしました」
「…………」
「人手不足も解消です」
「…………そうですか」
シェフは何度も頭を下げると、満足そうに帰っていった。
扉が閉まる。
フィオナは手にした包みを見たまま動かない。
やがて、ゆっくり俺を見る。
「……オルダス先生」
「なんだ」
「魔物が店に住み着いたのは、想定内ですの?」
「想定してない」
「してないんですの!?」
「でも問題ないだろ」
「問題ありますわ! 呪いのベルから出てくるはずだった魔物が、今度は自力で厨房へ侵入しているんですよ!?」
「ベルを使わなくても来るようになっただけだ」
「それを問題と言うんです!」
俺は包みを開いた。
中には、昨日の残りらしいドラゴン肉が入っている。
「まあ、誰も困ってない」
「店主は困ってませんけど!」
「魔物も満足してる」
「そこだけ聞けば平和ですけれど!」
「しかも人手不足まで解消した」
フィオナが口を開きかける。
閉じる。
また開く。
結局、何も言わずにドラゴン肉へ目を落とした。
「……それ、食べてもいいんですの?」
「もらい物だからな」
「では、いただきますわ」
笑顔でローストをナイフで切り分け始める。
「コードを書かないほうが、うまくいくこともある」
「その理屈で事務所を三回も引っ越していることだけは、私は絶対に忘れませんからね」
「それは別件だ」
「同じですわ」
今日はフィオナも笑顔で帰れそうだ。
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