↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
2/15

第2話:炎上する聖女様

 灰燼街の夜は早い。


 竈の煙と湿った魔力が混ざり合う裏通りでは、日が落ちる頃には店じまいを始める店も多い。


 そんな街の片隅にある俺の事務所では、昼間に売った魔導書の代金で買った安酒を片手に、俺がソファへだらしなく転がっていた。


 今日はもう仕事もない。


 窓の外から聞こえてくる酔っ払いの声をぼんやり聞きながら、もう一杯飲もうとしたところで、控えめなノックが響いた。


「入れ。鍵はかかってない」


 返事をすると、扉がゆっくり開く。


 入ってきたのは、フード付きの厚手のローブに身を包んだ女だった。


 顔はほとんど隠れているが、裾から覗く白銀の聖衣と、フードの隙間からこぼれた金髪を見れば、どこの人間かくらいは想像がつく。


「……オルダス先生ですね」


「先生はやめろ」


 俺がそう言うと、女は少しだけ戸惑ったようにこちらを見た。


「噂は伺っております。どんな呪いも『運用』で解決なさるとか」


「だいぶ歪んで伝わってるな」


 俺はソファから起き上がり、酒瓶をテーブルの端へ寄せた。


「で、聖女様が何の用だ。教会なら奇跡でなんだって治せるだろ」


 その言葉を聞いて、女の肩がわずかに落ちた。


「治せないのです……」


「ほう」


「これは神の加護ではなく、我が家に伝わる呪いなのです。どうか、私をお救いください」


 そこでようやく、女はフードを外した。


 金髪が肩へ流れ、整った顔立ちが現れる。


 なるほど、確かに聖女らしい。


 ただし、その頭上に浮かんでいるものを見れば、そんな感想もすぐに吹き飛ぶ。


『我、汝の信仰を試さん! 清く正しく生きよ!』


「……なんだ、そのネオン看板」


「一週間前、十八歳の成人を迎えた途端に発現したのです」


 聖女は困り果てたように頭上を見上げた。


 本人からは見えないはずだが、炎の明かりだけは顔にも映っている。


「感情が高ぶると、頭上に文字が浮かびます。自分の意思とは関係なく、その時に考えていることが文字になるのです」


「それは面倒だな」


「一昨日のミサでも、説教中に緊張してしまって……」


 聖女は一度言葉を止めた。


「『今日の夕飯は肉が良い』と」


 俺は酒を口に運びかけたところで止めた。


「……」


「教会から『不敬である』と謹慎を言い渡されました」


「それはまあ……肉くらい食わせてやればいいのにな」


「そういう問題ではありません!」


 聖女の声が事務所に響いた。


 その途端、頭上の炎が勢いよく揺れ、文字まで大きくなる。


『世界が泣いた! 大司教のクソババアの嫌味にも耐えてきたのに!』


 俺は煙草を取り出しながら、その文章を眺めた。


「……素直でよろしい」


「見ないでくださいぃぃ!」


 聖女は慌てて頭を抱えたが、もちろん両手で隠せるような大きさではない。


 むしろ焦ったせいで、炎の文字がさらに激しく明滅している。


 俺は煙草に火をつけた。


 煙の向こうで揺れる文字を眺めているうちに、術式の構造がだんだん見えてくる。


 感情の変化を魔力が拾い、それを文字列へ変換して頭上に投影する。


 術式そのものは珍しくない。


 厄介なのは、その核が本人の血筋に組み込まれていることだった。


 後から誰かにかけられた呪いなら、切り離す方法もある。


 だが、これは生まれつき本人の魔力に繋がっている。


「完全に消すのは無理だな」


 聖女の顔から血の気が引いた。


「そんな……」


「血脈の奥まで食い込んでる。無理に引き剥がしたら、呪いだけじゃ済まない。頭のほうが先に壊れる」


 聖女は何も言わなくなった。


 膝の上で握った手に力が入り、白い指先がさらに白くなる。


「では私は、一生このまま……?」


「まあ、そうなるな」


 あっさり答えると、聖女の目に涙が浮かんだ。


「そんな……!」


 頬を伝った涙が一筋落ちる。


 それに合わせるように、頭上の炎が大きく揺れた。


『もう嫌だ! こんな人生!』


 俺は煙草をくわえたまま、その文字を見上げた。


 呪いそのものを消せないなら、残った機能をどう使うか。


 そう考えながら、もう一度、頭上の炎を見る。


「なあ」


「はい……?」


「大聖堂、金に困ってるだろ」


 聖女が涙を拭いながら顔を上げる。


「え?」


「最近、寄付が減ってるって聞いた」


「……若者の教会離れが進んでいまして」


「そうか」


 俺は煙草の灰を落とし、炎の文字を指で示した。


「それ、文字数は変えられるか?」


「文字数、ですか?」


「ああ。色は?」


「感情によって変わりますが……文字数なら、二十文字くらいまでなら」


 俺は少し考えた。


 二十文字、十分だ。


「じゃあ消すのは諦めろ」


「え?」


「仕様変更だ」


 引き出しから精密ドライバーを取り出すと、聖女の視線がそれを追った。


「何をするおつもりです?」


「感情と文字の間に、もう一段階処理を挟む」


「そんなことができるのですか?」


「やってみないと分からん」


 俺は聖女の後ろへ回り、襟足に指を当てた。


 白い首筋を流れている魔力を探っていくと、細い術式が一か所に集まっている。


 そこだけ、ほんの少し流れが歪んでいた。


「ここだな」


「何が――」


 コリッ。


「ひゃんっ!?」


「動くな」


「い、今の何ですか!?」


「感情から直接出力されてた文字を、一度本人の意思に通すようにした」


「一度、私の意思に……?」


「頭の中で、出したい文字を考えろ」


 聖女は半信半疑のまま目を閉じた。


 頭上で燃えていた文字が、ふっと消える。


 その直後、小さな炎が一つだけ灯った。


『あ』


「……!」


 聖女が目を見開いた。


「出ました……!」


「だろ」


「私が思った文字が、そのまま……」


「これなら、本音が勝手に出ることはない」


 聖女はしばらく動かなかった。


 さっきまで自分の感情を勝手に暴露していた炎が、今は本人の意思で制御できている。


 その事実を確かめるように、何度か頭上を見上げる。


「……これ、何かに使えませんかね?」


「使える」


 即答だった。


「明日から大聖堂の広場に立て」


「……はい?」


「頭の上に広告を出す」


 聖女は返事をしなかった。


 自分の頭上と俺の顔を交互に見ている。


「広告、ですか……?」


「『毎月一日はポイント二倍』とか」


 聖女の眉がぴくりと動いた。


「聖女の頭上で?」


「目立つだろ」


「神聖な大聖堂で?」


「場所代を取れる」


 そこで聖女は黙った。


 教会の威厳と商売を頭の中で天秤にかけているらしい。


 やがて、ほんの少しだけ表情が変わった。


「……いくらくらい取れます?」


「一枠一日、十万ゴールド」


「そんなに!?」


 思わず身を乗り出した聖女の頭上で、炎の文字が大きく揺れた。


『十万』


 俺はそれを見て頷いた。


「聖女が頭の上に出すんだぞ」


「……確かに」


 さっきまでの嫌悪感は、もうかなり薄れている。


「三割、教会に寄付します」


「好きにしろ」


「大司教には?」


「神託だと言っとけ」


「通りますかね?」


「金が入れば通るだろ」


 聖女はまた少し考え込んだ。


 今度は頭上の炎がしばらく消えたままだった。


 やがて、小さな文字が一つずつ浮かび上がる。


『やってみます』


「……やってみます」


 口にした言葉と頭上の文字は、今度も同じだった。


 俺はそれを確認してから、煙草の灰を落とした。


 ◆ ◆ ◆


 数日後。


 大聖堂の広場には、普段とは比べものにならないほどの人が集まっていた。


 その中心に立つ聖女の頭上では、炎の文字が明るく揺れている。


『今週の協賛:パンのマルコー』


 文字の下では、パン屋の親父が声を張り上げていた。


「聖女様! 次はうちの新作をお願いします!」


「順番を守ってください!」


 聖女が振り返りざまに注意すると、頭上の文字がすぐに切り替わる。


『本日のおすすめ:チーズパン』


 それを見た客たちが一斉にパン屋へ流れていく。


「チーズパンだ!」


「新作だってよ!」


「マルコー、三つくれ!」


 パン屋の親父は笑いが止まらない。


 聖女自身も、最初はかなり抵抗があったらしい。


 だが、これだけ客が集まれば話は別だ。


 俺は事務所の窓からその様子を眺めていた。


 机の上には、一枚の小切手が置かれている。


 五十万ゴールド――広告料の取り分としては、悪くない。


「……商売になるもんだな」


 小切手を引き出しへしまい、煙草に火をつける。


 ところが、ゆっくり煙を吐く暇もなかった。


 ドアが勢いよく開いた。


「あの本だ!」


 飛び込んできたのは、例の魔導書を買い取っていった古本屋の親父だった。


 店からここまで走ってきたのだろう。息を切らし、額には汗が浮いている。


「どうした。売れたのか?」


「売れたどころじゃねえ!」


 親父は机に両手をつき、そのまま何度か大きく息を吐いた。


「街のお貴族様が買っていったんだよ。それで読んだんだが……」


 そこで言葉を切る。


 何かを思い出したのか、親父の顔が引きつった。


「一晩でガリガリだ!」


「……」


「体脂肪だけじゃねえ。筋肉まで落ちやがった!」


 どうやら冗談ではないらしい。


 親父は頭を抱えた。


「今じゃシワシワのミイラみたいになって、『体が軽すぎて風で飛ぶ!』って騒いでる!」


 俺は煙草をくわえたまま、親父の顔を眺めた。


「……本の効果としては成功だな」


「成功じゃねえ!」


 机がドンと鳴った。


「屋敷の騎士団がこっちに向かってる!」


 俺は煙草を灰皿へ押しつけた。


「親父」


「なんだ!」


「あの本、なんて書いて売った?」


 親父の勢いが、そこでわずかに止まった。


 目を逸らす。


「……『超・即効性! 一晩で劇的スリム!』」


 俺は黙って引き出しを開けた。


 中から脱出用のロープを取り出す。


「逃げるぞ」


「やっぱりか!」


「ポップ通りの結果だからな」


「そういう問題じゃねえ!」


 窓の外へ目をやる。


 通りの向こうから、鎧を着た騎士たちがこちらへ向かってきていた。


 親父もそれを見て、慌てて荷物をまとめ始める。


 俺はロープを肩にかけ、裏口へ向かった。


「運用でカバーする」


「今回はカバーになってねえ!」


 背後から親父の怒鳴り声が飛んでくる。


 俺たちはそのまま裏口から路地へ飛び出した。


 夕暮れの灰燼街に、騎士たちの怒号が響き始めていた。

挿絵

 https://kakuyomu.jp/users/ninininonono/news/2912051606303702316


Next:

 第3話:助手と、呪われた爆裂魔導具

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。