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天才ノアのパーフェクト・ロジック  作者: クーアウコ


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本編6話 紙突合 ~デジタルとアナログの境界線を一瞬で破壊した少女~

# 5話 紙突合 ~デジタルとアナログの境界線を一瞬で破壊した少女~

 ノアは外来担当となって以降、治療報酬請求(レセプト)ソフト「ディスペア」での煩雑な作業に直面し、その苛立ちを論理的なエネルギーに変え、エクセルに持ち込むようになった。


 ノアは来る日も来る日もパソコン画面と格闘し続けた。


 彼女の作業スタイルは一変した。

 以前はハイレベルな事務処理能力を発揮しつつも、周囲と適度なコミュニケーションを取っていたが、今や彼女の意識は、目の前の画面、そしてVBAのコードだけに収束されている。

 昼休みはおろか、時にはサービス残業になってもパソコンの前から離れず、休憩室の話題にも加わらなくなった。

 彼女にとって、現実の喧騒よりも、エクセル内部のロジックこそが、追求すべき絶対的な真実となっていた。


 (何を、そこまで……)


 何がそんなに彼女を狂気的に駆り立てるのか。


 気になって画面を覗いてみたりもしたが、専門外の俺には何が書いてあるのかはまるで暗号だった。

 VBA特有の冗長なオブジェクト指定と、彼女が独学で試行錯誤した跡が乱雑に混在し、その意図を解読するのは不可能だった。

 俺が知るWeb系の言語とは根本的に違う。

 しかし、そのコードの一途さだけは肌で伝わってきた。

 それは、かつて彼女が「バカバカしい」と嘲笑(ちょうしょう)した、あの小説の『最適な行動原理は常に一つ』というフレーズを、泥臭い現実のシステムで強制的に実装しようとする、異様なまでの熱量だった。


 そして三ヶ月が経過した頃……


 ノアのデスク周りの空気は、張り詰めた緊張感から一転し、静かで絶対的な達成感と勝利の色を帯びていた。


 彼女は、突然立ち上がると、事務室全体を見回して弾んだ声で告げた。


「皆さん!ちょっとこっちに来て下さい!」


 俺を含め、周囲の事務員数名がノアのデスクの周りに吸い寄せられるように集まってくる。


 彼女は、デスクの向こうで満面の笑みを浮かべ、PCの画面を指差した。


挿絵(By みてみん)


「じゃーん!見てください。

 患者さんが80名ほど……縦20行に横4列、並んでますね。

 デイケアの参加者を書き込む紙と全く同じ画面をエクセルで用意しました。

 さらに……」


 そう言うとマウスを操作し、マスを右クリックすると赤く色が変わる。

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)


「紙に手書きでチェックした場所と全く同じマスを右クリックしてください。

 左の場所はデイケアで赤くなります。

 さらに右の場所でナイトケアです!青くなります!

 2つ合わさればデイナイトとして、算定時には合成されます!

 苦労しました!褒めていいですよ!

 なんと1時間の作業が5分に短縮されます!」


 俺は、脳の処理能力が一瞬停止するのを感じた。


「ノアちゃんすごーい!」


 周囲の事務員たちから、無邪気で軽薄な称賛が浴びせられる。


「えへへー。それほどでもないですよ」


 すごーい?スゴーイで済まされる話か?これが?

 これは……ゼロ・トレーニング・インターフェースだ……!

 既存の|ユーザーインターフェース《UI》原則(メニューや操作性のこと)を無視し、業務フローの慣習(紙のチェックマーク)にシステムを強制的に適合させることで、直感性(学習コストゼロ)を極限まで高めている。

 常人の|ユーザーインターフェース《UI》設計では絶対にたどり着けない領域だ。

 まさか、たった三ヶ月で、この発想と実装の極致に到達したというのか!?

 パ、異世界転移者(パラダイマ)ごときに……異世界転移者(パラダイマ)ごときに……この俺が20年掛けても到達できない場所に……



「で、こうやって左でドラッグしたあと、右クリックで…じゃーん!

 隣り合った患者さんがいっぺんに入力されます」


「ノアちゃんすごいね!」


 チェ、チェ、チェーン入力だと!?

 そんな…そんな馬鹿な……あり得ない……この発想は、俺の常識のどこにもインデックスされていない……!


 俺は思わずノアに問いかけた。

 興奮と純粋な恐怖で、声が上ずっているのがわかった。


「ノアくん、君は……そのインターフェースの最適化をどこで学んだ?

 |ユーザーインターフェース《UI》や|ユーザーエクスペリエンス《UX》の仕事をした事は……」


// ※|ユーザーエクスペリエンス《UX》とは、ユーザーが製品・サービスを利用して得られるすべての体験・感情のこと。使いやすさ(UI)だけでなく、期待感、信頼感、満足度など心理的・機能的要素を含む


「ユーザーインターフェース?

 ゲームとかで出るメニューやウィンドウのことですね。

 それがこれと何の関係があるんですか?

 ユーザーエクスなんちゃらに至っては全くわかりませんねえ」


 ノアは勝ち誇りながら説明を続ける。


「さらに、入力後に紙を印刷しますね。こうすると……」

挿絵(By みてみん)



 チェックマークと印刷された色付きマスが重なる。


挿絵(By みてみん)


「じゃーん、紙突合!これで一瞬で突合が済みますね!さらに……」

挿絵(By みてみん)

 俺は、目の前にあるただ2つ折りにされたA4コピー用紙から、もはや視線を動かせなかった。

 あまりにも簡素な、ただの紙だ。

 しかしその裏側で、俺の技術者としての常識が、長年積み重ねた業務の混沌が、エルフ(識族)としての誇りが、音もなく、決定的に崩壊した。


「……信じられない……狂っている……」


 ありえない事態が、現実にこの殺風景な職場で起きたのだ。

 俺の中のすべての知識体系が、音を立てて崩れ始めた。


(冗談じゃない……。

 たった三ヶ月で?

 俺が20年もかけて身につけた最適化の概念そのものを、独学でこの短期間に超越したというのか?)

挿絵(By みてみん)


「ほら!2列目も、紙を折り曲げるとチェックと色付きマスが重なりますね。すごいでしょー」

挿絵(By みてみん)


 ……これはUX《ユーザーエクスペリエンス》アフォーダンス(※ユーザーが使い方を直感的に理解できるデザイン)とペーパープロトタイピング(※画面を紙で作る試作品)の究極にして、最も悪魔的な結合だ。

 紙の物理的特性(折り目、重ね合わせ)を、デジタルデータ突合の機能的特性として利用している。

 デジタルとアナログの境界線が見事に溶解している……発想のレイヤー(階層)が違う……ありえない……。

 異世界転移者(パラダイマ)に……負けた……。


「ノ、ノアくん。それは……『紙の折り曲げ』を前提とした物理レイヤーでのハックだ。

 常人の発想ではない……これは、天才の領域だ……」


 しかし、そのかすれた声が届くことはなかった。


「これで楽になるわね!ノアちゃんありがとう!」


 なんだこれは。

 何故か吐き気がする。

 あまりにも完璧で、論理的すぎて、俺の存在を……否定している。


「ノアくん、これはどこかの検索サイトから探して……既存のソリューションじゃないのか?」

挿絵(By みてみん)



「え?これは私が頑張って考えたんですよ」


(頑張って?頑張ればなんとかなるのか?

 頑張れば、このレベルのシステム破壊がなんとかなるのか?

 たった三ヶ月のVBA学習で、業界の常識を破壊できるのか?

 この狂気的なスピードと深さ……彼女はシステムそのものを見抜いている……)


「前月も今月も来てない人はややこしいので端に寄せてマスを灰色で塗りつぶしますね。

 紙も同じにします。

 入力自体は出来ますので安心してください」


『人間が犯すであろうミス』をコードが先読みしている。

 デザイン・フォー・エラー(※ミスを事前に防ぐ設計の事)の概念だ……。

 しかも、余分な患者が端による事によってチェーン入力も発生しやすくなる…。

 異常なほどの先見性だ。

 聞かなくても分かっている。

 どうせこれも独学だ。

 俺は自分が異世界転移者(パラダイマ)に敗北した凡人であることを自覚せざるを得なかった。



「ここを押せば私がVBAで作ったRPA(※パソコン操作を自動で行ってくれるプログラムの事)が起動して入力が……」


「へー!そうなのね」


「保険切れなら、クリックすると警告が出るので治療報酬請求(レセプト)ソフトの日付を直してくださいね!

 だけど、例えデータ上で保険切れでも今月に一度でも入力されてたら、警告はしません。

 治療報酬請求(レセプト)ソフトからの保険情報のCSV出力は手動ですので、CSVとソフトの保険情報が合わないときがありますからね」


// ※「カンマ(Comma) セパレーテッド(Separated) バリューズ(Values)(CSV)」とは、表のデータを『,(カンマ)』で区切って並べたテキストファイルのこと。

// 例 1982,ダニエル カーマ,10375926



「ありがとうねノアちゃん」


「再診料が入ってたらそれだけ除外されるので、安心して入力してくださいね」


「なるほどー」


「すでにデイケア関連が入力されてたら入力から除外され、あとでエラーを出します。

 患者さんが他のパソコンで作業中だったりして入力できないなら、後で教えてくれますからね!

 毎日1時間の作業が5分になります」


 もはや彼女の言葉が俺に届くことはなかった。

 脳の処理が追いつかない。


(三ヶ月でデイケア業務の全レイヤーを支配下に置いた。

 UI/UX、物理ハック、エラー予測、競合管理、RPA連携……

 独学で、たった三ヶ月でこのレベルの統合システム設計を完成させる存在が、本当にこの世に存在するのか……?)


 その日の夜、俺は自宅のデスクで、コーヒーを飲み干した。

 俺はありとあらゆる検索をかけた。


「エクセル 紙突合 折り曲げ」、「VBA UI物理レイヤーハック」、「マウス 右クリック 複数機能 VBA」、「マウス 右クリック 合成」、「紙カルテ データ連携 ローテク」、「印刷物 突合 デジタル 連携」、「ユーザーインターフェース 非視覚的要素」、「アナログ 情報 デジタル 変換 最適化」、「ローテク ヒューマンエラー 先読み 自動化」、「入力ミス 予測 コード設計」、「前月不来所データ 処理 灰色マス」、「算定ルール 例外処理 VBA」、「業務競合 自動回避ロジック」、「入力データ除外 ルールベース」、「セッション管理 VBA 複数ユーザー」、「デスクトップ アプリ Excel RPA 連携」、「VBA RPA 外部入力 自動化」、「治療報酬請求(レセプト)ソフト VBA データ連動」、「業務フロー 最適化 コード設計」「チェーン入力 デイケア」


 考えられる限り、専門用語とノアのハックの要素を組み合わせて検索窓に叩き込んだ。

 しかし、類似の概念すら、どこにも見つからなかった。


 UI《ユーザーインターフェース》の勉強もUX《ユーザーエクスペリエンス》の勉強もしていない。

 彼女は完全に知識ゼロから、この異次元の論理を創造したのだ。


 恐ろしい。

 あまりにも、恐ろしすぎる。

 果たして人間に、これほどの飛躍が可能なのか……!?


 それとも俺が知らないだけで、異世界転移者(パラダイマ)という種族は、例外なく皆このような「理(ことわり)」の外側にいるのか!?


 ノアのハックは、俺が学んできた既存の知識体系、その、どの枠(フレーム)にも収まらない。

 この異質な現実を前に、SEアシスタントとしての矜持と正気を保つのは、もはや至難の業だった。


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