本編21話 10秒のコスト:時間の次元が違う少女 5話
するとノアは……
「なろう小説ばっかり見てるから、その影響で客観的に人のことを見れなくなってるんじゃないですか?」
と、ド直球なバグり方をしてきた。
これだ。
この「自分こそが冷徹な客観性の持ち主だ」と疑わないスタンス。
まさに今、ノアがリアルタイムで予想通りの『無自覚なバグ』を発現させてくれたことに、俺の心は奇妙な高揚感で満たされていた。
『キタキタキタ!!まさに予想通りのバグだ!!
俺の仮説は正しかった!!』
脳内でガッツポーズを決める。
自らの理論が見事に証明されたマッドサイエンティストは、きっとこんな極上の快感に浸るのだろう。
あるいは『よし、仕様通りのバグだな!!』と納得するエンジニアの気分だ。
そんな俺の内心の盛り上がりなど露知らず、ノアはさらに言葉を続ける。
「なにか人のことを無自覚なチートキャラか何かだと勘違いしてるような節が見られますね。
時々宇宙人や超能力者でも見るかのような目をしてたように思いましたが……。
今、ようやく原因が分かりましたよ。
『魔法で物理的に山を吹き飛ばしておいて平然としてるようなファンタジーの人間』と同一視してませんか?
ユーキさんが前に読んでた『ライナス』の影響でしょうかね。
えーと『知識の呪い』でした?
確かに、そんな無自覚な人間が現実世界に居ない保証はありません。
頭ごなしに否定したのは悪かったと思ってます。
でも、流石に誰彼構わず当てはめるのは、やめたほうがいいですよ。
私はまあ、そういう存在がいる可能性も考慮できますし、単なる悪口では無いので別に当てはめられるのは構いませんけどね。
でも『無自覚チートキャラ』なんて概念を知らない他の人はドン引きしますからね。
確かにコンピューター業界の大手企業的なところになら、ユーキさんの求めてる無自覚で頭ファンタジーな人は居るかもしれませんね。
だけど治療事務課なんていう安月給の職場にそんなの、居るわけ無いじゃないですか。
常識で考えましょうか。
そのうち『痛い人』呼ばわりされかねませんよ?
ユーキさんは夢なんて見てないで、もっと現実を見たほうがいいですよ。
やれやれ」
これ以上ないほど的はずれな、しかし彼女の脳内では100%の正論として構築されたアドバイス。
もっともな意見だ!!
確かにな!!
俺の常識だって、目の前の『頭ファンタジー』に破壊されるまでは、全く同じ結論を出していたよ!!
こんなニッチな職場に、歴史を塗り替えるレベルの天才が紛れ込むなんてあり得ない!!
普通はもっと、世界を動かす大企業にでも囲い込まれているもんだ!!
文句のつけようがない!!
君は100%正しい!!
……はぁ。
プライドを粉々に粉砕され、胃を焼かれている被害者に対して、その元凶である加害者が「まあ、落ち着いて現実に戻りなよ」と聖母のような慈愛の眼差し(※ただし上から目線)でメンタルケアしてくる。
あるいは、魔法で本物の巨大な城をブチ建てておきながら「これは砂場の城です」と言い張っているようなものだ。
ノアがあまりにも堂々と語るものだから「あれ?おかしいのは俺の方なのか……?」と危うく脳をバグらされそうになる。
いや、そんな訳があるか!!
この、時空が歪むほどの理不尽な光景をどう表現したら良いのだろうか。
俺は『その現実を破壊したお前が言うな』という全宇宙共通のツッコミを喉の奥で物理的にプロテクトし、辛うじて「……善処するよ」とだけ返し、その評価をシステムの一部として受け入れてやった。
何故なら、反論すれば「ほら、そうやってまたムキになる。現実が見えていない証拠ですよ」と処理されることが確定しているからだ。
某小説の、世界を書き換える力を持ちながら無自覚で、「世界は退屈だ」と『憂鬱』に沈む少女。
そして、その横で「やれやれ」とため息をつく男子学生。
今のノアは、あろうことかその「世界の創造主」と「冷めた観測者」の役割を、一人で同時にこなしているようなものだった。
つまりはこういうことだ。
ノアの思う「無自覚な頭ファンタジーの人間」とは、C++という低レイヤー、メモリ管理が必要な、難解な言語を操り、巨大IT企業の研究所で働く高給取りだ。そして、成果物は世界を揺るがすOS(ウインドウズやアンドロイド等)の開発、あるいは大規模AIの構築やハッキング等。
そしてノア自身は、エクセルの裏で動くVBAという、事務職員用の簡単な言語を使い、安月給の治療事務課で働いている、単なる治療事務員。成果物は、たかだか治療報酬請求の入力やチェック。
そういう認識だろう。
この歪んだ前提があるから、彼女の脳内ではあべこべな結論が絶対の正論として出力されてしまうのだ。
ふと、脳裏を過った根源的な疑問があった。
「そもそもノアくん。
その『10万人に1人』という数値は、一体どこから算出されたデータなんだ?」
「えっ……ネット検索したら同じ話が引っかからないから、治療事務員の中では誰もやってなさそうかなって……」
なるほど、理解した。
つまり彼女は、ジャポンの全人口や全プログラミング人口ではなく、単に「ジャポンの治療事務員の総数」を勝手に分母に設定して、そのささやかな数値を弾き出していたのだ 。
彼女の脳内には、IT業界のトップエンジニアやデータサイエンティストといった「真の比較対象」が分母として全く計算に入っていない 。
「10万人に1人」という大層な自己評価を叩き出しておきながら、なぜかプログラマーを神格化し、執拗に自己を卑下していた理由がいま、明らかとなった。
彼女の中では、「一般プログラマー >> 超えられない壁 >> 治療事務員トップ」という空想上の図式が完成している。
要は『治療事務員の世界では私が一番だろうけど、ITのプロの世界にいる、C++を操る化け物たちならこれくらい当たり前にやってるはず』という勘違いが発生してしまっているのだ。
そのため、どれだけ事務の世界で圧倒的な成果を出しても、それは「あくまで事務員という低いレベルの中での話」として処理されるため、自己評価がプロの世界へリンクすることは無い。
俺はノアの考えを正すのを諦めた。
代わりに、彼女の論理に最もふさわしい、非情な帰結を言葉にするしかなかった。
「ノアくん。
『私にどうしろと言うんですか』という君の質問に答えよう。
君は、より複雑で、より高い報酬が得られる舞台へ行くべきだ。
治療報酬請求会計に君の演算リソースを割いていること自体が、君の損失だ」
「嫌ですよもったいない!!」
彼女は即答した。
……もったいない?
聞き間違いか?
ノアは今、「もったいない」と、最も感情的で非論理的な日本語を使ったのか?
「せっかく治療報酬請求チェッカーでエラーチェックし始めることが出来たのに、途中で放棄して別のところに行けというんですか?
せっかく書いたんだから、今更他のところに行けと言われても無理ですよ。
就職活動も面倒くさいし、成功するかどうかもわからない。
そもそもそんな選り取り見取り出来るほど良い大学出てないですよ!!
やっと採用してもらえたのに、他のところに行けと言われて成功するかもわからない博打は打ちたくないですよ。
それに私はユーキさんと約束しましたよね。一緒に帰ろうって言ったばかりじゃないですか」
思わず吹き出してしまった。
純粋な論理の体現者であるノアが、「もったいない」というサンクコスト(今まで掛かった労力や時間)の罠、「面倒くさい」という認知負荷の回避、そして「約束」という非論理的な感情変数を、これほどまでに完璧に並べて反論の材料として使うとは。
彼女は今、人間というシステムの非効率性を、完璧に学習し、実装している。
その姿が、滑稽で、同時にどうしようもなく愛おしかった。
まあ、考えてみれば、その結論になるのは当たり前だ。
彼女の中では「一般プログラマー >> 超えられない壁 >> 治療事務員トップ」という、とんでもない不等式が絶対的な真理として君臨しているのだから。
彼女自身の精神や社会的ステータスは「プロの世界では勝てない、低賃金でやっと雇ってもらった、良い大学を出ていない、ちょっと地頭が良いだけの女子」という事になっているのだ。
「もし自分が本物の天才なら、もっと良い大学に行けているはず」「もっと高い給料をもらっているはず」という暗黙の前提が、自己評価を不当に引き下げている。
……本当に「やれやれ」だ。
さんざん「無自覚チートキャラ」を嘲笑っておいてこの有様だから、始末に負えない。
どれほど論理的思考が突き抜けていようと、自分という存在を認識する際の「自己評価」という項目だけは、徹底的にエラーを吐き出し続け、すっとぼける。
本当に、ノアと言う人間はどこまで行ってもテンプレート通りの無自覚チートキャラだった。
「……ああ、そうだな。
分かったよ、ノアくん。
君の『もったいない』というロジックは、人間というシステムが持つ最も強力な論理だ。
就職活動のリスクや途中の放棄といったコストを考えれば、君の選択は人間として極めて合理的だ。
それに、君と一緒に帰る約束も守らなければならない。
俺のシステム設計に、君という変数を失うリスクは計算できなかった。
よろしい。
この治療院で、君が満足するまでエラーとシステムの最適化を続けよう。
我々のミッションは続行だ」




