名探偵ノア12話 二重スリット・ファジー・トレース殺人事件 10話
「引っ掛け問題をつくったのも、政府や法律のせいか?
政府や法律がお前に『引っ掛け問題を作れ』とでも命令したのか?
政府はお前に『四輪や二輪、原付という言葉を使うな!誤解を招くように車と書け』と命令したのか?
違うよな。
一般人が誤解して引っかかるように、文脈をコントロールして出題したのは、他でもないお前自身の悪意ある選択だよな。
正確に伝えるなら「軽車両を含む全ての車両」と書けばいい。
だけどお前は、わざと誤解を招くように操作した。
定義を悪用した。
なあ……お前、今までどれだけ責任転嫁してきたんだ?
いつも、こんな感じで何かに責任をなすりつけてきたの?
高給取りなのに、責任1つ取れないの?
問題作成した責任1つ取れないのに、なんでそんなことやってるの?
お前、今まで何考えて生きてきたの?
当ててやるよ。『全能感と幸福ホルモン』だろ。
なあ、次は誰のせいにするつもりだ?
教えてくれよ。
そのせいでお前の子供が『お前の親は人殺し!』とか言われていじめられたらお前、子供にどう弁明するんだ?
俺らのせいにするのか?
データか?
それで子供が『なーんだ!世間とデータのせいなら仕方ないね!』と納得してくれると思うのか?
お前、何歳だ?
頭、幼稚園児か?
お前、今まで何人くらい殺してきたか想像できる?
自分のやった事、理解してるか?
……答えろよ、田中。
沈黙は肯定と同じだぞ。
お前が黙ってる間にも、日本のどこかで免許を取ったばかりの人間がハンドルを握ってる。
お前の作った問題を、丸暗記しただけの知識で。
理解じゃない、暗記だ。
意味も分からず例外を刷り込まれて、本番の交差点で一瞬迷う。
その一瞬が、何秒だと思う?
コンマ何秒だよ。
でもその一瞬が、誰かの人生を終わらせるには十分すぎる時間だ。
お前は『引っ掛け問題は思考力を試すため』とか言うつもりだったんだろ?
笑わせるなよ。
思考力を試すなら、なぜ現場で誰も使わない知識を選んだ?
なぜ実際の運転技能とは無関係な、言葉尻の罠を選んだ?
答えは簡単だ。
その方が『引っ掛けやすかった』からだろ。
お前の設計は思考力の試験じゃない。
誤読させるための誘導だ。
……なあ、田中。
お前、最初は罪悪感あったのか?
それとも最初から、こうなることまるごと承知の上で、ニヤニヤしながらペン走らせてたのか?
どっちにしても同じだよ。
結果は変わらない。
お前の机の上のインクが、何人の血に変わったと思う?」
田中は答えなかった。
答えられるはずがなかった。
「何人殺したんだろうな。
お前のせいで、生まれなかった子供たちも居たかもな。
さて、その子供たちはどういう人生を歩んでいたんだろうな。
しかも殺害動機は、お前が机の上でニヤつくためだけの、クソくだらないゴミみたいな承認欲求と全能感、そして幸福ホルモンの摂取。
そこらの殺人犯のほうが、まだマシに思えるよ。
あいつらは、金とか憎しみっていう『人間らしい動機』で動いてるだろ?
なのにお前の動機は何だ?
『ニヤけて受験生を見下す』……ってさぁ。
呆れるわ。
世界一くだらない『幸福ホルモン』の自家発電だ。
死刑囚だってドン引きするよ。
『そんな死ぬほどくだらない自己満足のために、大勢を犠牲にしたのか。俺のほうがまだマシだな……』って。
まだ快楽殺人のほうが理解できるレベルだ。
……今もお前の問題のせいで誰かが死んでるかも知れないな。
そして、これからも死ぬかも知れないな。
お前のせいで。
加えて言うなら、お前は1件死亡事故を引き起こすたびに、多くの場合は加害者と被害者、最低2名を生産して、それぞれの人生と家系を同時に破滅させているわけだ。
お前がニヤッとするためだけに、一体何人の人生を、未来を、壊したのかな。
中には将来の有名人もいたかもな。
お前はどれだけ日本の人口削減、貧困化に貢献してるんだろうな。
ま、サイコパスのお前には想像もできないよな。
『被害者?加害者?しるかボケ!私のせいじゃない!』って感じか?
殺人鬼さん。
俺はこの街で誰一人泣いててほしかぁねえんだ。
お前、まるで特撮ヒーローものの怪人みたいだよな。
そいつとお前、ダブって見えるぜ。
お前はこの街そのものを泣かせてる。
お前を殴ったのは俺の言葉じゃない。
街の皆の、心だ。
さぁ、お前の罪を数えろ」
男の声が、そこで途切れた。
住宅街の夕方は、静かだった。
どこかの家の換気扇が回る音。
遠くの国道を走る車の、途切れ途切れの走行音。
それだけだった。
田中は、壁に背を預けたまま、動けなかった。
いや、正確には、動く必要のある場所が、どこにも残っていなかった。
――罪を、数えろ。
数えられるはずがなかった。
分母が分からない。
自分が15年間で作った問題は、何百問。
それを受験した人間は、何十万人。
何人が「例外」を刻み、ハンドルを握り、その先へ行ったのか。
(やめろ)
田中は、頭の中で叫んだ。
(やめろ、数えるな。
数えたら、戻れなくなる)
その時だった。
視界の隅で、白い光が小さく揺れた。
田中は、反射的にそちらを見た。
マンションのエントランスの手前。
自転車置き場の脇。
スマートフォンを構えた、若い男が立っていた。
カメラを、まっすぐこちらに向けて。
田中の心臓が、跳ねた。
慌てて反対側を見た。
街灯の下に、犬を連れた中年の女。
その手にも、スマホがあった。
電柱の陰。
少し離れた歩道の縁石。
コンビニの袋を提げたまま立ち止まっている、スーツの男。
――4人。
――いや、5人。
「……いつから」
声が、掠れた。
「たぶん、最初からですよ」
ノアが、振り返りもせずに言った。
「田中さん、さっき私が『もう地雷を踏んでいるかもしれない』と言いましたよね。
あれ、比喩じゃないです。
あなたの顔と部署は、もうネットに出てます。
だったら、あなたの帰宅ルート上にスマホを持った人間が一人もいないほうが、確率的におかしい」
「そ、そんな……
わ、私はまだ何も……
勝手に撮るなんて肖像権の侵害だ!
訴えて――」
「訴えます?
どうぞ。
でもそれ、明日の朝には『引っ掛け問題の作成者、遺族と加害者に詰められた挙句、訴えるぞ!と逆ギレ』というタイトルでニュースなり動画なりが流れますよ。
……あなたは今、どちらが得かを計算しましたね?
それ、何秒かかりました?
ひょっとして0.2秒ですか?」
「……っ」
田中は、口を開いた。
喉の奥が、干上がっていた。
(何か言え。
何か言わないと。
撮られている)
その瞬間、田中の中で、順番が入れ替わった。
彼は膝を折った。
アスファルトに両手をついた。
冷たい砂の感触が手のひらに刺さった。
「……申し訳、ありませんでした」
声は、思ったよりも大きく出た。
自分でも驚くほど、するりと出た。
「私の作った問題が、その……
結果として、あなたにそういう……
申し訳、ありませんでした」
シャッター音が、複数、重なった。
男は、しばらく、黙って田中を見下ろしていた。
やがて、深く、長い息を吐いた。
「……なあ」
「は、はい」
「今、誰に謝った?」
「え……」
田中は、顔を上げた。
「アンタ今、俺のほうを見てなかったよな」
男の声は、静かだった。
怒鳴っていない。
だからこそ、逃げられなかった。
「アンタが頭下げた方向、そっちだよ」
男が、顎で示した先には、スマホを構えた若い男が立っていた。
「……あ」
田中の全身から、音を立てて何かが抜けた。
(違う。
そんなつもりは)
だが、事実として、彼の体は、カメラのほうを向いていた。
膝をつく角度も、頭を下げる方向も、声を張った大きさも。
すべてが、レンズに向かって最適化されていた。
15年間、問題文の一語一語を「どう読ませるか」で設計してきた男の体は、
最後の最後で、自分の謝罪すらも「どう見られるか」で設計していた。
ノアが、静かに言った。
「田中さん。
あなたの謝罪、コストが安すぎるんですよ」
「……コスト」
「謝罪って、本来は自分の正当性を差し出す行為でしょう。
でも今のあなたのは、炎上を鎮火させるための経費です。
だから、そんなに簡単に出てきた。
あなたが15年間、一度も出さなかった言葉が、カメラが5台向いた瞬間に、たった3秒で出てきた」
「……」
「値段がついてるんですよ、あなたの『申し訳ありません』には。
カメラ5台ぶんです」
男が、田中に背を向けた。
「……もういい」
「あ、あの、私は――」
「アンタに謝られても、あの子は帰ってこない。
俺の手も、綺麗にならない」
男は、一度だけ振り返った。
「俺はさ、アンタを許しに来たんじゃないんだよ。
アンタに、俺と同じ場所に立ってほしかっただけだ」
そう言って、男は歩き出した。
背中は、来た時よりも小さく見えた。
結城が、その背中を見送りながら、ぽつりと呟いた。
「……あの人、これから一生悩むんだろうな」
ノアは何も答えなかった。
ただ、地面に手をついたままの田中を、一度だけ見下ろした。
「田中さん。
立ってください。
そこ、犬の散歩コースですよ」
これほど無慈悲な気遣いを、田中は生まれて初めて受けた。




