本編2話 エルフの20年をゴミ箱に捨てる、ただのA4コピー用紙 2話
とある日の午後。
俺は治療報酬請求ソフト「ディスペア」を開き、入院出来高患者の薬を入力していた。
印刷された処方箋を見ながら入力するのだが、時々Drの手書き文字で修正が入る。
それは、まるで古代遺跡の壁に刻まれた風化した碑文のようだった。
考古学者が土埃を払いながら、かすれた線の意味を読み解こうとするように、治療事務員はペンの軌跡からDrの意図を探る。
「ううむ、この波線は量を減らしたってことか…?いや、前回と同じか…?」
俺はぼやいた。
「きつい…」
この治療報酬請求ソフトには、前に入力した薬をそのまま引き継いで入力できる機能もある。
しかし、処方箋が前回と変化したか確認するのは至難の業だ。
Drの手書きの修正がなかったとしても、本当に前回と同じなのか?
結局は薬の名前を、処方箋と画面を見比べながら、一つずつ目視確認していくしかないのだ。
「リスへ01*1.5-6…っと」
俺は薬を慎重に、目をしばしばさせながら治療報酬請求ソフトに入力していく。
そんな時だった。
「はい、皆さん注目してね」
治療事務課の入口から、エルフ(識族)のシーベル・クローデル治療事務長官が入ってきた。
年齢は88歳。
異世界転移者で言えば59歳に当たる。
肩書の割にフレンドリーに接してくれる、優しい長官だ。
かなり低めの身長に、ロングヘアーの銀髪。
白衣をさらりと羽織った彼女は、穏やかな微笑みをたたえてそこに立っていた。
長い銀髪の一部を丁寧に編み込み、後ろへと流したスタイルは、彼女の理知的な横顔を際立たせている。
一番上のボタンまで留められた漆黒のシャツが、清潔な白衣との鮮やかなコントラストを描き、彼女が持つ規律正しさと、どこか神秘的な奥行きを感じさせた。
彼女が、後に治療事務課の常識を根底から覆すことになる人物を連れてきた。
「はい、今日からここで働くことになった、式守 希望さんです」
シーベル治療事務長官に続いて、さらに小柄な彼女――式守 希望は、自信ありげな表情を浮かべて入ってきた。
青いショートカットの髪に、ヘアピンが付いている。
胸は平らで、まるで子供のような顔だ。
緩やかな波を打つ青い髪によく映える、淡いミントグリーンのベスト。
その胸元で揺れる赤系統のリボンが、彼女のあどけない笑顔を引き立てている。
短すぎない丈の紺色のスカートからは健康的な脚が伸びている。
「皆さん、よろしくお願いします!」
第ニ基盤世界から転送されてきた、いわゆる異世界転移者と呼ばれる人種。
異世界転移者は、割と珍しい存在だ。
少なくともこの治療院には存在しない人材だった。
例えるならそう。
人混みの中で、自分たちとは明らかに異なる肌の色や骨格を持つ異邦人を見かけ、思わず二度見してしまう――そんな確率だ。
存在は知識として知っているが、自分の生活圏に現れるのは稀な、明らかな異分子だった。
もっとも、「異世界転移者」といっても、実際に異世界から転送されてきた者ばかりではない。
実際には、彼らの子孫としてこの世界で生まれた人間の方が、数としては圧倒的に多い。
治療事務員のエルフ(識族)やドラゴニュート(竜人)が入れ代わり立ち代わり彼女と挨拶を交わす。
皆、新しい顔に少しだけ活気づいているように見えた。
「はい、彼女はパソコンが得意らしいから、皆困ったことがあったら聞いてね」
(パソコンが得意、か。
まあ、入力スピードが速いに越したことはないが……。
しかし、異世界転移者ねぇ……。
我々エルフ(識族)と比べると寿命は短いし、ドラゴニュート(竜人)に比べて力もない。
果たして我々と比べてどれだけ戦力になるか…)
そんな事をぼんやり考えていると、シーベル治療事務長官が俺のデスクを指さした。
「はい、じゃあユーキさんの隣の席に座って下さいね」
ノアは迷いなく俺の隣へ歩み寄った。
その瞳には、すでに諦念に満ちた俺の職場に対する、好奇と挑戦の色が宿っているように見えた。
「わかりました。ユーキさん、よろしくお願いします!」
これが、地獄のような治療報酬請求業務に革命をもたらす、式守 ノアとのはじめての出会いだった。




