名探偵ノア6話 二重スリット・ファジー・トレース殺人事件 4話
そして、致命的な動画がユーチューブにアップロードされた。
//処刑台の上の赤信号
// カメラの赤いランプが点灯する。
//「はいどうも。高科学ラボの、ユーチューバー星屑Kスケと」
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//「青山ルイです」
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//「チャンネル登録者数、先週やっと10万人超えました。ありがとうございます」
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//「祝10万人記念……にしては、今回のネタ、ちょっと不穏じゃないですか?」
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//「不穏で結構。再生数は不穏の中にしか転がってない」
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// 星屑Kスケが台本のプリントを掲げる。
//「今回は、ノア探偵事務所からとんでもないネタが来ました。最近話題になっている『運転免許の引っ掛け問題』ですが……なんと!
// アレが人の命を奪う可能性がある、というものです。プライミング効果、といいますね」
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//「な、なんだって~!?」
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//「ルイくん、あんまりふざけてると炎上しかねないぞ、今回のネタは」
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//「……肝に銘じます」
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// スタジオの照明が一段暗くなる。
// 演出用の安っぽいサイレン音が流れる。
//「さっそく本題に入りたいと思います。
//『赤信号は必ず止まらなければならない』。
//正解はX。
//緊急車両は例外。
//この問題、皆さんご存知ですか?」
//
//「まあ、最近運転免許を取った人たちは大体知ってるでしょ」
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//「この問題を記憶してしまうと、なんと!!
// ブレーキを踏む時間が遅れるというものです」
//
//「マジ!?」
//
//「というわけで、測定するためにルイくんには引っ掛け問題を繰り返し暗記してもらいました。
// そして、寝てないと効果が出やすくなるらしいので、ついでに寝不足になってもらいました。
// ほら、驚いたフリしてないで茶番はいいからさっさとそこのドライビングシートに座ってゲームする」
//
//「はいはい、分かりましたよ。眠~」
//
//
// ドライビングシミュレーターのモニターに市街地の映像が流れ始める。ルイがハンドルを握り、星屑Kスケが手元のタブレットでリアクションタイムを計測する準備をする。
// 突如、信号が赤になる。
// キキィーー!!
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//「……変わりませんね。
// しかし、1回ではわからないので何回かやってみようか」
//
// テストは全部で10セット。信号が赤に変わるタイミングはランダムに仕込んである。
// 星屑Kスケの手元のグラフが徐々に埋まっていく。
// テスト終了。
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//「……変わってるような、変わってないような、って感じだね。
// 左が引っ掛け問題を暗記する前のデータで、右が暗記した後。
// ……どう?
// 違いわかる?」
//
// 画面に20本の棒グラフが並ぶ。
// 片方は暗記前の平均反応時間、もう片方は暗記後なのだが、棒の高さはほとんど揃っていて、目を凝らしてようやく暗記後のほうがわずかに伸びているように見える程度だった。
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//「え、これ……同じじゃないっすか?
// いや、右がちょっと高い……?
// 気のせい?」
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//「気のせいで片づけたくなるくらいの差、ってところがミソなんだよね」
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//「じゃあ、仮にこの差が本物だったとして、の話をします。
// ルイくんの結果を平均すると、暗記後のほうが0.2秒くらい遅い。
// 誤差の範囲かもしれないけど、ひとまずこの0.2秒を速度別に見てみましょう。
// 時速30キロなら、0.2秒で約1.7メートル進みます」
//「時速40キロなら、約2.2メートル」
//「時速50キロなら、約2.8メートル」
//「時速60キロなら、約3.3メートル」
//「時速80キロなら、約4.4メートル」
//
//「……待って、4.4メートルって、軽自動車1台分より長くないですか?」
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//「長いね。
// もし歩行者が横断歩道の真ん中にいたら、ちょうど届いちゃうかもしれない距離」
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//「うわ、洒落になんないですよ」
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//「ただ、これはルイくん一人分のデータを、そのまま停止距離に換算しただけだからね。
// 回数も少ないし、実際の急ブレーキ反応はもっとブレがあるから、この0.2秒がそっくり再現されるとは限らない」
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// 画面にテロップ:『0.2秒=命の距離……?』
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//「つまり引っ掛け問題には、脳のどこかに“待った方が正解かもしれない”という迷いの回路をインストールしてしまう可能性がある、ってこと」
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//「迷いの回路……」
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//「例えるなら、道路にうっすら見えないオイルを撒いてるかもしれない、って感じかな。
// 普段は誰も気づかないし、撒かれてるかどうかも確かめようがない。
// でも、もし撒かれてたら、ここぞという一瞬だけタイヤが少し滑る。
// 試験に受かるための知識が、現場では制動距離を伸ばす方向に働いてるとしたら、あんまり笑えない話だよね」
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//「じゃあ作った人って、もしかして……人殺しってことになっちゃいません……?」
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// カメラがルイの真剣な表情を捉える。
// 編集で「本人、本当にビビっている」というテロップが挿入される。
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//「そこまでは言えないよ。
// 差が本物かどうかもまだ怪しいし、作った人だって事故を起こさせようと思って作ってるわけじゃないでしょ。
// ただ、引っかからないように覚えたことが、別の場面でこっそり顔を出すかもしれない、っていう話。
// ……で、この“前に見たものが後の反応に影響する”現象を、プライミング効果といいます。
// ちゃんと解説コーナーを挟みます」
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//「え、うちの尺、解説とか大丈夫なんですか?
// 視聴者離脱しません?」
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//「ルイくん、その台詞のほうが視聴者離脱するから黙って」
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// 画面が切り替わり、白背景に太字のテロップが表示される。
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//// ## 解説:|プライミング効果《priming_effect》とは
//// |プライミング効果《priming_effect》とは、先に受け取った情報や刺激が、その後の判断や反応に無意識のうちに影響を与える現象を指す。
//// もっとも有名な例は意味的プライミングだ。
////「看護師」という単語を見せられた直後は、「医者」という単語を通常より速く認識できる。
//// 関連する概念が先に活性化されているため、後続の処理が速くなる。
//// ここまでは「速くなる」方向の効果である。
//// だが今回のネタが扱っているのは、逆に「遅くなる」方向のプライミングだ。
//// これは心理学の停止信号課題で見られる現象に近い。
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//// この実験で、被験者は画面に合図が出た瞬間、できるだけ速くボタンを押すよう指示される。
//// ただし、ごくたまに「止まれ」の信号が割り込む。
//// そのときだけは、押してはならない。
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//// ここで奇妙なことが起きる。
//// 止まれの信号が出ていない、ごく普通の試行においてすら、ボタンを押す速度が遅くなるのだ。
//// 止まれが来るかもしれない、と知っているだけで、脳が事前に反応の勢いを絞ってしまう。
//// これを先回りの抑制という。
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//// しかもこの抑制は、止まれの信号が出る頻度が高いほど大きくなる。
//// 例外の存在を強く意識させられた者ほど、何事もない場面での反応が鈍る。
//// 頻度がゼロでない限りは『起こりうる』と知っていること自体が、代償を要求する。
//// もっとも、向きは逆である。
//// 実験では、止まることが例外だ。
//// 引っ掛け問題では、進むことが例外になる。
//// だが、既定の動作に例外の分岐がぶら下がっている、という構造そのものは変わらない。
//// ブレーキを踏むにせよ、ボタンを押すにせよ、起動しようとした動作に脳が横から干渉して遅延させてくる点は同じだ。
////
//// ここで、分岐とは何かをはっきりさせておきたい。
//// 信号無視の常習者を見ればわかる。
//// 黄に変わった瞬間、あるいは赤になりかけた瞬間、強引に突っ込む人間がいる。
//// 彼らは「赤=止まる」という単純処理を、とうに捨てている。
//// 代わりに毎回、行けるか行けないかをその場で計算しているのだ。
//// 分岐を持つ、とはそういうことである。
//// ただし彼らの分岐は、意識に上る。
//// 自分が判断していることを、自分で知っている。
//// 厄介なのは、上らないほうだ。
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//// 引っ掛け問題の暗記が作るのは、その上らないほうの分岐である。
////「赤信号=停止」という単純な話に、「例外がある」という条件分岐を繰り返し焼き付ける。
//// すると脳は、単純処理では済まなくなる。
//// 赤を見た瞬間、『これは例外に該当するケースではないか』という無意識の検討ステップが割り込む。
//// 反応を起動する閾値が、わずかに引き上げられた状態だ。
//// 試験のための知識が、脳内の反応経路に分岐を作ってしまうのである。
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//// もちろん、0.2秒という数字ひとつで「人殺し」とまで言い切るのは短絡的だ。
//// サンプルはルイひとり、試行もたった10回で、そもそも差が出たのかどうかすら怪しいデータなのだから、根拠としてはあまりに心もとない。
//// ただ、この動画がほのめかしている構造については、少なくとも一考の余地はあるのかもしれない。
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////『試験対策のための暗記が、現実の反応速度にわずかな影を落とすかもしれない。
//// テストのための知識が、現場の判断を鈍らせる可能性もゼロではない』
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//// この論点が認知科学的に成り立つのかどうかは、もっと大きな母数で確かめてみないことには何とも言えない。
//// とはいえ、頭ごなしに否定できるほど突飛な話でもなかった。
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//「……というわけで、解説コーナーでした」
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//「思ったより真面目でびっくりしました」
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//「真面目にやらないと、本当に引っ掛け問題作った人を名指しで叩くだけの動画になっちゃうからね。警察の人にも生活があるので」
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//「Kスケさん、めちゃくちゃ庇ってません?」
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//「気のせいです」
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//「あれ?…そういえば。
// ま、まさか高齢者がブレーキを踏まないのって……」
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//「おい、突然何を言い出すんだ」
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//「ブレーキ未使用の事故、ありますよね。
// 原因が解明されてないヤツ。
// 全部じゃないにせよ、まさかその中に……」
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//「勘の良いガキは嫌いだよ(キリッ)」
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//「今度、うちのじいちゃんにやらせてみましょうかね。もしかして……」
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//「おい、バカやめろ。それ以上言うと警察に消されるぞ!!」
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//「え、ガチのトーンで言うのやめてもらっていいですか」
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//「……次のテーマは決まったな。
// 次回、高齢運転者編」
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//「うう、深淵を覗く時、深淵もまたお前を覗いているのですよ……」
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//「今回は、ノア探偵事務所からの情報提供でした。
// 次回は高齢運転者編をやろうと思います」
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//「またね~」




