第十六話 血の落ちない剣
ラトム村へ戻る道は、行きよりもずっと長く感じた。
縛られた野盗たちが、前を歩いている。
リザが先頭に立ち、俺は最後尾についていた。
逃げようとする奴がいないか見張るためだ。
でも、正直に言えば、俺はちゃんと見張れていたかわからない。
さっき倒れた男の姿が、何度も頭に浮かぶ。
手には、まだ感触が残っていた。
剣についた血は布で拭いた。
でも、まだ落ちていない気がした。
「アレン」
隣から、ノエルが小さく呼んだ。
「うん」
「顔色が悪い」
「大丈夫」
「でも、悪い」
ノエルは真面目な顔で言った。
こういう時だけ、はっきり言うんだな。
「本当に大丈夫だよ」
「……そっか」
ノエルはそれ以上、聞かなかった。
その沈黙が、少しありがたかった。
森を抜けると、ラトム村の柵が見えてきた。
壊れた柵の前には、ダグさんと村の男たちがいた。
木材を運び、杭を打ち直している。
俺たちに気づいたダグさんが、作業の手を止めた。
「おう戻ったか……って、そいつら……」
その声に、村人たちが一斉にこちらを見る。
縛られた野盗たち。
腹を押さえて歩くリザ。
剣を持った俺。
その横にいるノエル。
視線が集まる。
俺は思わず、剣の柄から手を離した。
「リザ姉!」
エナの声がした。
家の方から走ってくる。
その後ろにはトールとミラもいた。ニルはミラの服の裾を掴んでいる。
「リザ姉、怪我してる!」
「大丈夫なの!?」
「どこやられたの?」
一気に声が飛んでくる。
リザは顔をしかめた。
「うるさいよあんたら。腹に一発もらっただけ。たいしたことない」
「たいしたことないって、また無茶して!」
ミラが怒った声を出した。
リザは面倒くさそうに肩をすくめる。
「はいはい。あとで見るから」
「今私が見る」
「ミラ、今はこっちが先」
リザは縛られた野盗たちを顎で示した。
ダグさんがゆっくり近づいてくる。
「こいつらの頭は?」
その言葉に、胸が冷たくなった。
リザが答えた。
「死んだ」
村人たちの間に、ざわめきが広がった。
「死んだって……」
「あの大男か」
「本当にか」
ダグさんは表情を変えなかった。
「そうか。お前がやったのか?」
リザが俺を見た。
俺は喉が詰まった。
言わなきゃいけない。
そう思ったのに、声が出ない。
「俺です」
少し遅れて、ようやく言えた。
村人たちの視線が、また俺に集まる。
責められているのか。
驚かれているのか。
感謝されているのか。
よくわからなかった。
ダグさんはしばらく俺を見ていた。
それから、短く言った。
「そうか」
それだけだった。
怒られもしなかった。
褒められもしなかった。
その方が、なんだか苦しかった。
「捕まえた連中は、ギルドの連中が来るまで倉庫に入れる。逃げられんよう見張りをつけよう」
ダグさんの声で、村人たちが動き出した。
「武器になりそうなものは全部離せ」
「縄、持ってこい」
「怪我してる奴は?」
手際はよかった。
さっきまで襲われていた村とは思えないくらい、みんな動いていた。
俺も手伝おうとした。
けれど、ダグさんに止められた。
「お前は休め」
「でも」
「今日はよくやってくれた。充分だ。少し休め」
「俺は……」
「働きたいなら、まず水でも飲め。倒れたら逆に迷惑をかけるだけだ」
言い返せなかった。
ノエルが俺の袖を掴む。
「水」
「……うん」
俺は小さくうなずいた。
リザもミラに連れていかれそうになっていた。
「だから平気だって」
「平気な人はそんな歩き方しない」
「ミラ、あんたちょっと見ない間に、母さんに似て来たね」
「リザ姉が無茶ばっかりするからでしょ」
「はいはい」
「はいは一回」
「はい」
リザは負けたように返事をした。
そのやり取りを見て、少しだけ張りつめていたものが抜けた。
でも、すぐにまた胸の奥が重くなる。
俺たちは、リザの家に戻った。
ミラが水を持ってきてくれた。
ノエルは俺の隣に座っている。
リザは椅子に座らされ、ミラに腹のあたりを見られていた。
「青くなってる」
「そりゃ思いっきり蹴られたからね」
「笑い事じゃないでしょ」
トールは窓の外を気にしていた。
エナはノエルのそばに座り、何か言いたそうにしている。
ニルは眠そうな顔で、それでも野盗の話を聞きたがっていた。
家の中はまた騒がしかった。
でも、さっきとは違う。
どこかに、戻ってきた安心と、まだ終わっていない不安が混ざっている。
俺は水を飲んだ。
喉を通る水が冷たい。
それで、自分の喉がひどく乾いていたことに気づいた。
「アレン」
リザが呼んだ。
俺は顔を上げる。
「さっきのこと、今すぐ忘れろとは言わないよ」
「……はい」
「忘れたら駄目だしね」
リザは真面目な顔をしていた。
「あんたが殺した。それは本当」
胸が、ぎゅっと締めつけられる。
「でも、あいつを止めなきゃノエルが死んでた。それも本当」
俺は何も言えなかった。
リザは続ける。
「守るために振るう力と、殺すために振るう力は違うよ。あんたは守るために力を使った。そうでしょ?」
「……あの時は、無我夢中で。とにかくノエルを守らないと、って思って……」
「そう」
リザは少しだけ息を吐いた。
「そのおかげで、ノエルは生きてる。この村も助かった。それが結果だ。だからあんたは間違ってなかったと思うよ」
間違ってなかった。
その言葉が、胸の中に深く沈んでいく。
俺は剣を見た。
もう血は拭いた。
だけど、まだ赤く見える気がした。
「俺、父さんみたいになりたかったんです」
気づいたら、そう言っていた。
リザは何も言わなかった。
「父さんは、英雄で。魔王を討って、村のみんなに尊敬されてて。俺も、そういう人になりたかった」
口に出すと、情けなくなった。
「でも、俺は今日、人を殺した」
「クロヴィスさんだって、誰も殺さずに英雄になったわけじゃないと思うけどね」
リザの言葉に、俺は顔を上げた。
「え?」
「魔王を討った英雄なんだろ。戦わずに済んだわけがない」
「……それは」
考えたことがなかったわけじゃない。
父さんは英雄だ。
魔王を討った。
その途中で、きっとたくさん戦ってきた。
でも、父さんが誰かを殺したところなんて、想像したことがなかった。
俺の中の父さんは、いつも村にいる。
少し無口で、強くて、母さんに頭が上がらなくて、俺に稽古をつけてくれる人だった。
血の匂いがする場所に立つ父さんを、俺は知らない。
「アレン」
ノエルが言った。
「クロヴィスは、怖くなかったの?」
「……わからない」
それは、本当にわからなかった。
父さんも怖かったのか。
誰かを斬ったあと、手が震えたのか。
何も感じなかったのか。
聞いたことがない。
聞こうと思ったこともなかった。
「父さんに聞きたいことが、増えたな」
俺は小さく言った。
リザは少しだけ目を細める。
「じゃあ、そんな顔で会いに行くなよ」
「……顔?」
「もっと堂々としてな。守るって決めたんだろ。そこまで後悔したら駄目だよ」
リザらしい言い方だった。
きつい。
でも、変に優しくされるよりずっとよかった。
その時、外が少し騒がしくなった。
ダグさんが家に戻ってきた。
扉を開けるなり、低い声で言う。
「野盗は倉庫に入れた。見張りもつけてある。逃げられんだろう」
「怪我人は?」
リザが聞く。
「怪我してるやつは村の連中で見ている。とりあえず死にそうな奴はいない」
「そっか」
「ギルドの連中が来るまで、大人しくしてるだろう」
ギルド。
また、その言葉が出た。
ノエルの指が、俺の袖を掴む。
ダグさんはそれに気づいたようだった。
「ギルドの連中が来るのは、早くても明日の昼過ぎだ」
俺は黙って聞く。
「リザから聞いた。お前たち、ギルドに追われてるんだってな」
ダグさんはノエルを見た。
怖がるような目ではなかった。
ただ、ちゃんと考えている目だった。
「明日の昼までには、ここを出た方がいいかもしれない」
ミラが驚いた顔をする。
「え、もう?」
エナもノエルを見る。
「ノエル、行っちゃうの?」
ノエルは答えられなかった。
俺も、すぐには答えられない。
この家はあたたかい。
騒がしくて、落ち着かなくて、でも安心できる。
でも、ここに長くいれば、ギルドが来る。
ノエルを連れていこうとするかもしれない。
「まあ、焦って決めなくていい」
ダグさんが言った。
「今夜は休め。明日の朝、どうするか決めればいい」
リザが俺を見る。
「そうだね。あんた、今の顔で旅に出たら、道端で倒れるよ」
「そこまでひどいですか」
「ひどい」
ノエルが即答した。
「ノエルまで」
「顔色、悪い」
「……わかった」
俺は力なくうなずいた。
ミラが立ち上がる。
「じゃあ、寝る場所を用意するね」
「ごめん。急に」
「いいよ。うちは大家族だから、一人二人増えても変わらないでしょ?」
ミラがリザを見る。
リザは少し笑った。
「そういうこと」
その夜、俺とノエルはリザの家に泊めてもらうことになった。
外では、村の人たちが見張りに立っている。
倉庫には捕まえた野盗たちがいる。
明日には、ギルドが来るかもしれない。
何も終わっていない。
でも、俺は布団の上に座ったまま、しばらく動けなかった。
剣は壁に立てかけてある。
いつもなら近くに置いておかないと不安になる。
でも今は、少しだけ離しておきたかった。
ノエルが隣に座る。
「アレン」
「うん」
「眠れそう?」
「わからない」
「そっか」
ノエルは少し考えた。
「私は、そばにいる」
俺はノエルを見た。
「寝なくていいの?」
「眠くなったら寝る」
「そっか」
「うん」
短い会話だった。
でも、それだけで少し息がしやすくなった。
俺は壁に立てかけた剣を見た。
今日、その剣で人を殺した。
その事実は消えない。
でも、ノエルはここにいる。
リザも生きている。
ラトム村は、もう一度襲われずに済んだ。
俺はその全部を抱えたまま、目を閉じた。
眠れるかどうかは、わからなかった。
それでも、夜はゆっくりと深くなっていった。




