第五十四節 酷い差別が存在していた京都
京都所司代・村井貞勝が京の都の主だった者たちと話す少し前のこと。
遠く陸奥国[現在の岩手県、宮城県、福島県]から下野国[現在の栃木県]、上野国[現在の群馬県]、碓井峠を越えて信濃国[現在の長野県]の小諸、上田、塩尻、そして木曽[現在の長野県木曽福島町]の山中を抜けて岐阜城下へ、続いて不破関[現在の関ヶ原]を越えて草津[現在の滋賀県草津市]を経て京の都へと至る……
およそ800kmの街道・東山道を、岐阜から西へ向かって進む2人の騎馬武者がいた。
織田信長お気に入りの若い側近・堀久太郎[後の堀秀政]と万見仙千代である。
特に。
織田軍の兵士たちが家族と一緒に暮らす一大軍事拠点にして、織田家の本拠でもある岐阜と、日本の政治と経済の中心である京都を結ぶ、およそ140km。
この部分を信長は重要なインフラと位置付けていた。
荷車が余裕をもってすれ違えるよう道幅を広げ、雨が降って泥道とならないよう石畳まで敷く念の入りようであったと記録されている。
かつて。
このインフラ重視の考え方を、大規模かつ徹底的に貫いた国家があった。
紀元前500年頃に民主共和制として登場し、紀元前27年に皇帝が支配する独裁制へと移行すると、およそ200年以上の長きに亘って地中海沿岸の平和を保ち、歴史家たちにパクス・ロマーナ[ローマの平和]と謳われ人類史に燦然と輝く栄光を残した、あの『古代ローマ』である。
その理由について問われると、歴史家たちは全員こう答えるらしい。
「ローマへと続く道幅は広く、真っ直ぐで、石畳まで敷く念の入れようであった。
ローマは兵站で勝利した」
と。
モノを建てる、モノを作る、あるいは精神を重視して兵站[ロジスティクスのこと]を『軽視』し……
作業員などの貴重な成り手を中間業者がピンハネを繰り返す多重下請け構造の最下層へ落として待遇を悪化させ、深刻な人手不足を引き起こした我が国とは随分違うようではあるが。
因みに。
古代ローマの政治、経済、軍事のシステムを『真似』して建国された現代の世界最強国家・アメリカは、同一の仕事を何の生産性もない中間業者がピンハネすること[再委託とも言う]を法律で固く禁止している。
◇
「仙千代殿。
そなたは先ほど……
『京の都の武器商人たちの中に、酷い差別が存在していることを思い出しました。
その差別を利用すれば、容易く2つに割ることができる』
と申していたが。
どんな差別のことを伝えたかったのだ?」
「上京[現在の京都市二条通の北側]に住む人々と、下京[その南側]に住む人々の間にある差別のことです。
久太郎殿」
「それは……
上京と下京の『格差』が齎している差別のことだな」
「はい。
上京に住む人々が贅沢で健康的な暮らしを送っている反面……
下京に住む人々の中には、食べる物すら事欠く者も大勢いるとか。
しかも。
上京と下京の格差は、年を追うごとに広がっていると」
「そんなに格差が広がり続けるのは、なぜなのだろう?」
「それは……
戦で儲ける銭[お金]のことを知れば分かるかと。
1つ目は、戦に兵として『参加』することで得られる銭。
2つ目は、戦に必要なモノを『作る』ことで得られる銭。
3つ目は、戦に必要なモノを『売る』ことで得られる銭です」
「その2つ目と3つ目に共通するのが……
モノを作る作業場や、売るモノを蓄えておく倉に『投資』できるだけの銭[お金]を持つ裕福な者だけが出来る商売ということか」
「裕福な者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなったのは……
そのせいでしょう」
「さらに。
裕福な者たちは、先を争うように上京で暮らすことを望むと聞く。
上京は東の鴨川と、西の桂川の上流に位置しているからな。
常に『きれいな水』を確保できる」
「それゆえに。
上京で暮らす方が、下京で暮らすよりもはるかに健康で長生きできるとか」
「京の都ができてから、およそ800年もの間。
大勢の人がまとまって暮らす都市特有の問題として……
京の都は何度も疫病に見舞われた。
ただし。
疫病で死ぬ人の数は、決して『公平』などではなかった!」
「常にきれいな水を確保できる上京に比べ、上京が捨てた水を使う下京は……
病に掛かる危険[リスク]と常に隣合わせの生活ですから。
病で死ぬ人のほとんどが下京に住む人々であったことは当然の結果でしょう」
「ところが、だ!
上京の人々は……
恵まれた環境での暮らしに感謝するどころか、常に下京の人々を見下して差別している。
加えて。
己の承認欲求を満たそうと、上京の中で何処がより地位[ステータス]が高いかを自慢[マウントを取ること]し合っているとか。
何の実力もなく、何の実績も上げず、ただ裕福な家に生まれた『だけ』のくせに!」
「だからこそ。
下京の人々は、常に上京の人々への敵愾心を燃やしているのです」
「そう考えれば……
京の都を2つに割るのは、いとも容易いことなのだろう」
◇
「ところで……
仙千代殿。
具体的には、どんな方法で京の都を2つに割るつもりなのだ?」
「第一に。
銭[お金]を要求することです」
「ほう。
焼き討ちを見逃す代わりに、銭を差し出せと?」
「はい。
『充分』な銭[お金]を差し出せば、焼き討ちを見逃すと約束しよう……」
「待たれよ!
そんなことを約束すれば……
銭[お金]を多く持つ上京だけが逃れられるではないか!」
「久太郎殿。
それがしは、上京と下京で『別々』に銭[お金]を差し出せとは申しておりませんが」
「あっ!?
これは『罠』なのか!」
「上京の人々が、下京の人々と別に銭[お金]を差し出せば……
信長様は堂々と上京を非難できます。
『己が助かるためならば、平然と同胞を見捨てる薄汚い屑どもめ!』
と」
「下京の人々の憎悪は、焼き討ちを実行する信長様ではなく、下京を切り捨てた上京の人々へと向くに違いない。
以前から常に上京への敵愾心を燃やしていたわけだしな」
「これで。
京の都の人々の半分は敵ではなく、むしろ『味方』となるはず」
「見事だ!」
「ただ、それだけでは足りません」
「足りない?
そういえば、そなたは……
『第一に』と申していたが、第二があると?」
「はい。
第二に。
二条城にいる室町幕府へ、和平の使者を送ります」
「幕府へ、和平の使者を送る!?」
「はい」
「ちょっと分からんぞ……
そもそも。
幕府を滅ぼす『目的』で、未曾有の大軍が京の都へ向かっているのではなかったのか?」
「目的はまさに、その通りです。
ただし。
室町幕府は、京の都の室町通[現在の烏丸通のすぐ西側の通り]沿いに200年も前から存在していました。
京の都の人々に『身近』な存在であったことは申すまでもありますまい」
「確かに」
「その幕府を『積極的』に討てば、京の都の人々から反感を買う可能性が十分にありましょう」
「『止むを得ず』討つ、という形にしなければならないと?」
「だからこそ。
上京の人々に加え、幕府も悪者にするための物語を仕立て上げる必要が……」
◇
仙千代は『物語』の具体的な内容について話し始めた。
「朝倉・浅井連合が我ら織田軍を釘付けにしている間に、武田信玄率いる3万人の大軍が徳川家康殿の本拠のある浜松城[現在の静岡県浜松市]へと侵攻し……
家康殿は迎撃に出るも三方ヶ原合戦で大敗を喫したこと。
ところが!
武田軍は信玄の隠居を理由に甲斐国[現在の山梨県]へと撤退してしまったこと。
上京の人々も、幕府も、この一連の流れを知っています」
「仙千代殿。
上京の人々も、幕府も、信玄が隠居したとは思っていないようだ。
『信玄公は亡くなったに違いない』
と」
「存じております。
そこで、かような噂を流すのです。
『武田軍が信玄公の喪に服している、この瞬間に……
複数の敵に包囲される苦境から抜け出したい織田信長は、集められるだけの兵を集めて京の都へ大軍を進めた。
朝倉義景と、新たに武田軍を率いる武田勝頼が、この好機を逃すはずがない!』
と」
「何っ!?」
「久太郎殿。
所詮は上京の人々も、幕府も……
己の頭で筋道を立てて考えず、誰かの話を真に受けて行動する者ばかり。
『なぜ、朝倉・浅井連合は織田軍を釘付けにし続けられなかったのか?
なぜ、武田勝頼は圧倒的優勢にも関わらず全軍を撤退させたのか?』
こう深く考えてなどいないのです」
「要するに。
浅はかな考えしかできない者たちの、『盲点』を突けと?」
「はい」
【次節予告 第五十五節 上京の人々に加え、幕府も悪者に仕立て上げる物語】
織田信長が東の高台にある知恩院に着陣すると……
これを見計らったように、銭[お金]を積んだ2つの荷車がやってきます。
一つは上京から、もう一つは下京からでした。




