第五十三節 京都への警告であった比叡山焼き討ち
「織田信長が未曾有の大軍を率いて、京の都を焼き討ちにするらしい」
この噂に、京の都に住む人々は天地がひっくり返るほどの衝撃を受けた。
過去の記憶が甦って来る。
2年前。
比叡山を焼き尽くす炎が、東の空を真っ赤に染めた日のことだ。
こう言っていた。
「あれは……
延暦寺の方角では?」
「まさか!
高野山[現在の和歌山県高野町]と並ぶほどの聖地である比叡山を焼き討ちにしていると!?」
「織田信長め!
あの細川政元[数十年前に比叡山を焼き討ちにした武将のこと]に続き、まさに第六天魔王[仏教の敵のこと]の如き所業を!」
「細川政元?
修験道に没頭した挙句、世継ぎがないまま己の邸宅で行水[風呂のこと]中に『暗殺』された管領[将軍に続く幕府のナンバー2の要職]のことか?」
「暗殺ではない!
神仏が天罰を下したのじゃ!
信長にもいずれ、同じ天罰が下ることだろう」
それから2年が経ち……
あの日の光景が、今度は己の身に降り掛かろうとしている。
こう言い始めた。
「比叡山では事足りず、この京の都も火の海にするつもりなのか!」
「もしや。
織田信長は……
この世に終末を齎したいのでは?」
こうして。
京の都の主だった人々が、京都所司代の屋敷へと大挙して押しかけたのである。
◇
京都所司代・村井貞勝。
地位もなく、貧しく、無名の家に産まれた男でありながら……
優れた行政手腕を織田信長に見出されると瞬く間に出世し、京の都の治安維持を一手に担う要職にまで抜擢された。
「村井?
誰だそれは?
田舎大名の、そのまた家来のことなど知るわけがなかろう!
明智、佐久間、柴田、丹羽、木下ならかろうじて聞いたことはあるが、村井なんて聞いたことすらないぞ?」
最初こそ京の都に住む人々から軽蔑の目で見られていたが……
治安維持に加えて朝廷、公家[貴族のこと]、寺社、商人との窓口も務め、それぞれで発生する様々な揉め事を一つ一つ解決させていく『手腕』には誰もが一目置かざるを得なくなっていく。
「信長の暴挙を止めるには、村井の力に頼るしかない」
こう思われるほどに村井貞勝の名前は轟いていたのだ。
◇
「所司代様。
織田信長様が京の都に火を放つと聞きましたが……
真にございましょうか?」
慌てふためく京の都の主だった人々に比べ、貞勝は非常に落ち着いている。
「おぬしたちは……
2年前の『警告』を忘れたわけではあるまい?」
「警告とは何のことで?」
「比叡山を焼き尽くす炎が、東の空を真っ赤に染めた日のことよ」
「……」
「信長様はすべてご存知であられた。
おぬしたち京の都の武器商人たちが、信長様の敵に兵糧や武器弾薬を流していたことをな」
「……」
「信長様は何度も仰せであったではないか。
『京の都に巣食う屑ども。
わしは……
京の都に、土倉[モノを担保としてお金を貸す業者のこと]を生業とする薄汚い集団が数百も存在していることを知っている。
随分と高い利息で人に銭[お金]を貸し、利息を払えなくなれば武装した者に踏み込ませて家の中の物をことごとく奪い、足りなければ家を取り上げ、妻や子供までも奪う暴挙に出ることも知っている。
そして。
うぬらが築いた土色の倉の中には莫大な兵糧や武器弾薬があり……
勝って欲しいと思う側に流して、さらなる荒稼ぎに励んでいることも知っている。
さらに。
儲けの一部を裏で幕府に収めていることもな』
と」
「……」
「それだけではないぞ。
信長様は、こうも仰せであった。
『京の都に巣食う屑どもよ。
わしの敵に兵糧や武器弾薬を流すことを直ちに止めよ。
うぬらは己の欲を満たすために争いの種を撒き散らし、帝[天皇のこと]が望む天下静謐[現在の近畿地方の平和のこと]の邪魔をしている。
東の空を見よ。
比叡山を焼き尽くす炎を見よ!
次はうぬらの番だぞ!
そして。
わしは……
うぬらがどれだけ屑であるかも知っている。
己ばかりを安全な場所に置き、他人ばかりを危険な場所に置いて将軍殺しという前代未聞の悪事まで働かせたこともな。
その傲慢な態度を改めず、帝が望む天下静謐を邪魔し続けるのであれば……
千年に亘って繁栄を誇った京の都であろうと、絶対に容赦しない!
比叡山と同じく、すべてを火の海にしてやる』
とな」
「何と……!」
「京の都の武器商人たちよ。
おぬしたちは2年もの間、信長様のこの警告を無視し続けていたのだ」
「……」
◇
一人の土倉を生業とする者が、こんな主張を始めた。
「所司代様。
京の都で土倉を生業とする集団が数百も存在していることは事実ですが……
信長様の仰せの通りに生業を止めたとして、何を糧に生きていけば良いのでしょうか?」
「……」
「土倉を生業とする集団にも家族がおり、養っている者たちがいます。
すべてを捨てて乞食になれと仰るので?」
「……」
「加えて。
信長様は、需要と供給の関係を無視されておいででは?」
「需要と供給の関係?」
「銭[お金]を借りたい『需要』があるからこそ、土倉を生業とする集団が栄えているのも動かしがたい事実」
「……」
「加えて。
我らは銭[お金]を借りることを強要しているわけではありません。
ただ……
借りたい需要に対して、『供給』しているに過ぎないのです」
「……」
「確かに。
高い利息によって苦しむ人々が出ているのも、事実ではありましょう。
ただし。
高い利息と知りながら銭[お金]を借りた以上、『自業自得』なのでは?」
「……」
「それにも関わらず。
我ら土倉を生業とする集団だけを一方的に悪と見なし、すべてを捨てて乞食になるか、それが嫌なら京の都を火の海にされるとはあまりにも……
この京の都には多くの女子や子供もいるのですぞ?」
さすがの貞勝も苛立ちを見せた。
「一つ、問いたい」
「何でございましょう?」
「止むを得ない事情で高い利息と知りながら銭[お金]を借りるしかなく、その高い利息のせいで元金を返せず、借金地獄へと陥る者が生ずる『可能性』があること。
うぬら土倉を生業とする集団は……
そういう可能性があると全く知らずに、この商売を始めたのか?」
「そ、それは」
「可能性があると知りながら始めたのなら、人を『騙す』行為と何の違いがある?」
「お言葉を返すようではありますが。
我らは、人を騙す行為などしておりません」
「ほう。
なぜ?」
「人を騙す行為とは……
偽りを教え、伝えることではありませんか。
我らは隠れてこそこそと高い利息を掛けてなどいません。
『正直』に相手へ伝えた上で、銭[お金]を貸しているのです」
「ははは!
物は言いようだな。
それよりも。
うぬらは尤もらしい話にすり替えることで『論点』をずらそうと必死に足掻いているようだが」
「……」
「論点をずらすことで、うぬらが何を守りたいのかが見え見えになっているぞ?」
「……」
一人の土倉を生業とする者は、沈黙してしまった。
◇
「もう一度、繰り返すが。
信長様が最も問題にされていたのは……
天下静謐の『邪魔』をするなということ」
「……」
「信長様は、京の都におわす帝より京の都とその周辺の静謐を守るよう仰せ付けられていた。
それにも関わらず!
おぬしたちは、信長様の敵に兵糧や武器弾薬を流していた。
口先だけは従う素振りを見せながら……
隠れてこそこそとな。
わしは、その『理由』を分かっているぞ」
「……」
「これは、おぬしたち土倉を生業とする集団にとって死活問題となるからだ」
どういう意味なのだろうか?
◇
村井貞勝は的確に本質を突く。
「天下静謐が実現すれば、戦に必要な兵糧や武器弾薬の『価値』はみるみる下がっていく。
これはすなわち、倉の中にある担保の価値までみるみる下がってしまうことも意味している。
結果。
おぬしたちが倉を築くために投資した多額の銭[お金]は『回収』不可能となる」
「……」
「要するに。
天下静謐は、土倉の生業そのものを『崩壊』させてしまう……
だからおぬしたちは、必死に天下静謐の邪魔をしているのだ」
「……」
「戦をする理由を問うと……
皆、こう主張するらしい。
『侵略者から国を、家族を、愛する者を守るために必要なのじゃ。
予め脅威を排除するために必要なのじゃ』
などと」
「……」
「だが!
これは、『本質』ではない」
「……」
「戦をせざるを得ない状況に『追い込まれて』いるからよ」
「……」
「おぬしたちのような……
兵糧や武器弾薬などで銭[お金]を儲けている連中の『せい』でな」
【次節予告 第五十四節 酷い差別が存在していた京都】
万見仙千代は……
上京に住む人々と、下京に住む人々との『格差』が齎している差別に目を付けます。
上京の人々は常に下京の人々を見下して差別し、下京の人々は常に上京の人々への敵愾心を燃やしていました。




