第八話 いつもの夜の始まり
夕食の片付けを終えたシルバに声をかける。
「シルバ、シャワーを浴びてきな」
「……はい、ご主人様」
シルバは頬を赤らめ、少しうつむいてから浴室へ向かった。
……しまった。
言い方が悪かったか。
昨晩のこともある。シルバが何を想像したのかはわからないが、オレまで妙に意識してしまう。
落ち着かない気分で待っていると、やがてシルバが戻ってきた。
白いベビードール姿だった。
……あの服屋の店員が勧めたのだろうか。
薄手の生地からは下着の輪郭がうっすらとわかる。シルバも恥ずかしいのか、いつもより視線が落ち着かない。
「お待たせいたしました、ご主人様」
「お、おう」
なんだか、リビングにいるだけでも妙に気まずい。
「……そろそろ寝るか」
「はい」
二人で寝室へ移動し、ベッドに入る。
「失礼します……」
シルバが小さな声で告げ、オレの隣に身を寄せた。
昨晩とはまた違う緊張感がある。
しばらく沈黙が続いたあと、オレはふと思い出して尋ねた。
「そういえば、昨日の話の続きだけど……家が没落したのは、鉱山が原因だったんだよな?」
「はい」
シルバは少し考えてから、ゆっくりと話し始めた。
「家族で暮らしていた頃は、幸せでした。父も母も優しく、兄や姉、妹とも仲がよかったのです」
その声には、懐かしさがにじんでいた。
「そこへ、ある商人が父のもとを訪れたそうです。新しく見つかった鉱山への投資話を持ちかけたとか。詳しいことは、わたくしも知りません」
「それで、うまくいったのか?」
「最初の二年ほどは順調だったそうです。利益も出ていて、家にとっても大きな事業になっていたようです」
そこまでは、よくある成功談だったのだろう。
だが、話はそこで終わらなかった。
「ある日、その鉱山にドラゴンが現れるようになりました。どうやら、出産のために鉱山を巣にしたようです」
「ドラゴンが……」
「あの辺りで採掘を続けるのは危険だと、鉱夫たちは訴えたそうです。それでも商人は採掘を続けるよう求めたとか。やがて、鉱夫たちに怪我人が出て、命を落とす者まで現れました」
シルバは静かに続ける。
「最終的に鉱山は閉鎖されました。そして、被害を受けた方々への補償も含め、すべての責任をエアレンヴァルト家が負うことになったのです」
「その商人はどうした?」
「契約上の責任者はエアレンヴァルト家だけだと主張して、そのまま姿を消したそうです」
……なるほどな。
商人に騙されたのか。それとも、最初から仕組まれていたことなのか。
少なくとも、シルバの話を聞く限り、ずいぶんと都合のいい契約だったらしい。
「最終的に、家は没落しました」
シルバの声が、少しだけ低くなる。
「両親は無理な採掘を進めた責任を問われ、投獄されました。兄は傭兵に……姉とわたくし、そして妹は奴隷として、それぞれ別の場所へ送られました」
オレは何も言えなかった。
「ただ、エアレンヴァルト家の者には、売買に関する規制が設けられました。わたくしは貴族への贈答品として扱われ、今日まで過ごしてきたのです」
「姉さんや妹さんもか?」
「おそらくは。同じように扱われているのではないかと思います」
シルバは淡々と話している。
だが、その言葉の裏にあるものを考えると、簡単に聞き流すことはできなかった。
「価値はあるのに、自由に現金化できない。持ち主にとっては、ずいぶん厄介な資産だったのでしょうね」
自嘲するような笑みを浮かべる。
「そのおかげで、身体は無事でした。価値が下がらないように、大切に扱われていたのですから」
最後の言葉に、わずかな皮肉が混じった。
オレは返す言葉を見つけられなかった。
彼女にとっては、傷つけられなかったことさえ、商品としての価値を守られただけの話なのだ。
「……そうか」
ようやく出た言葉は、それだけだった。
シルバは静かにオレを見つめている。
「ご主人様。わたくしは、今の暮らしを不幸だとは思っておりませんわ」
「……そうなのか?」
「はい。少なくとも、ここでは自分の言葉でお話しできますから」
そう言って、シルバは小さく微笑んだ。
「そっか……」
オレは彼女の顔を見つめた。
何と言えばいいのか、すぐには思いつかなかった。
彼女の過去を聞いたからといって、簡単に何かを約束することもできない。けれど、今のシルバが少しでも穏やかに過ごせるのなら、それは悪いことではないはずだ。
「シルバ」
「はい?」
オレはそっと彼女の手を握った。
シルバは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに表情を和らげた。
「……ありがとうございます、ご主人様」
「礼を言われるようなことじゃないさ」
そう答えたものの、手を握ったまま、どうにも視線を外せなかった。
昨晩も一緒に過ごしたはずなのに、今夜はまた違う。
彼女のことを少し知ったからだろうか。それとも、さっきまで聞いていた話が頭から離れないからだろうか。
気がつけば、オレはシルバの顔に手を伸ばしていた。
彼女は逃げなかった。
目が合う。
ほんの少しためらってから、オレはそっと唇を重ねた。
シルバは驚いたように目を見開いたが、すぐに静かに目を閉じた。
唇を離すと、彼女の頬は赤く染まっていた。
「……嫌では、ありませんでしたか?」
思わず尋ねると、オレは小さく首を横に振った。
「そんなわけないだろ」
「でしたら……もう少しだけ、こうしていてもよろしいでしょうか」
その言葉に、今度はオレの方が照れてしまった。
「……ああ」
答えると、シルバはそっとオレの服をつかんだ。
そして、今度は彼女の方から顔を寄せてきた。
もう一度、唇が重なる。
先ほどよりも自然に、互いの距離が近づいた。
シルバの手が、ためらいがちにオレの背中へ回る。
その仕草が、彼女自身の気持ちを伝えているように思えた。
「シルバ……」
「はい、ご主人様」
彼女は恥ずかしそうに微笑んだ。
「今夜は、もう少しだけ……あなたのおそばにいたいのです」
その言葉を聞いて、オレは彼女をそっと抱き寄せた。
シルバも腕を回し、胸元に顔を寄せてくる。
その温もりが、妙に心地よかった。
しばらく、何も言わずに抱き合っていた。
やがて顔を上げたシルバと、もう一度目が合う。
今度は、どちらからともなく唇を重ねた。
夜は、まだ始まったばかりだった。




