27.刹那
夏が来た。
蒸し蒸しした暑さと、
ギラギラとした熱さに焼かれて、
皆、茹っている。
蝉の声。
熱気を含んだ風。
制服に張りつく汗。
何もかもが、少しだけ息苦しい。
あの後。
二人に相談した後から、
遥くんとはかなり一緒にいることが増えた。
いや、遥くんから誘ってくれることが増えた。
帰り道。
通話。
休日。
コンビニ。
図書室。
些細な時間。
でも、
その全部が優しい。
……多分、気づかれてる。
私が不安定なこと。
平気。
平気であろう。
ちゃんとしなきゃ。
「……で、六本木さんはどうするの?」
「え?」
生徒会室。
冷房が効いているはずなのに、
空気は少し重たい。
私はまだ一年だから、
生徒会には入れない。
でも、
手伝いみたいな形で文書作成を任されていた。
「この文章、
結局どっちにするの?」
二年の先輩が言う。
「あー、
まあどっちでもいいんじゃない?」
別の先輩が笑う。
その瞬間。
なぜか、
胸がざわついた。
どっちでもいい。
適当。
曖昧。
そういう空気。
前なら、別に気にしなかった。
でも今は違う。
私は、強くならなきゃいけない。
ちゃんとした人でいなきゃいけない。
遥くんの隣にいるなら。
「……よくないと思います」
気づけば、
口にしていた。
空気が少し止まる。
「あの、
生徒会の文書って、
学校全体に出すものだし」
「どっちでもいい決めるのは、
違うと思います」
先輩が少し眉を上げる。
「いや、そこまで変わらんくない?」
「変わります」
即答していた。
自分でも少し驚くくらい、
強い声だった。
「ちゃんと決めないと、
責任持てないじゃないですか」
静かになる。
あ。
やってしまった。
空気が冷えるのが分かる。
でも。
でも。
間違ったことは言ってない。
そう思った。
「……六本木さんって、
真面目だね」
先輩が苦笑する。
その言い方が、
少しだけ棘に聞こえた。
「すみません」
反射的に言う。
でも、止まらなかった。
「でも、
ちゃんとやったほうがいいと思います」
また静かになる。
誰も何も言わない。
冷房の音だけが響く。
苦しい。
息が詰まる。
でも。
これが、
正しい強さなんじゃないの?
流されないこと。
ちゃんと言うこと。
曖昧にしないこと。
遥くんは、
こういう人なんじゃないの?
そう思った。
なのに。
全然、
うまくいかない。
強烈に吐き気がした。
口を押さえて、
急いでトイレに入る。
個室。
鍵を閉める音が、
やけに大きく聞こえた。
しゃがみ込む。
呼吸が浅い。
気持ち悪い。
胃の奥が、
ぐちゃぐちゃに掻き回されてるみたいだった。
涙が、
何かが、
溢れそうになる。
だめだ。
だめだ。
絶対にだめだ。
頭の中で、
昔の記憶がちらつく。
中学。
正しい人でいようとして、
壊れた自分。
そうやって、
息ができなくなった。
なのに。
また同じことをしてる。
喉の奥が熱い。
吐きそう。
でも、
吐けない。
こんなの、
遥くんに知られたら。
こんな弱い自分、
見せたら。
嫌われる。
怖い。
繰り返したくない。
絶対。
絶対に。
手が震える。
スマホが鳴る。
遥くんからだった。
『今日一緒帰る?』
胸が少しだけ軽くなる。
『帰る』
送る。
深呼吸。
よし。大丈夫。
個室を出る。
水で顔を少し冷やして、
笑う練習をした。
ちゃんと笑えてる。
放課後。
昇降口で待っていると、
遥くんが来た。
「お待たせ」
「ううん」
並んで歩く。
夕方。
夏の風が少しぬるい。
「今日なんか疲れてる?」
遥くんが聞く。どきっとする。
「そんなことないよ」
即答する。
遥くんは少しだけ、
私を見る。
その視線が、
なんだか怖かった。
「……そっか」
それ以上は聞かなかった。
優しい。
優しいから、
聞かない。
その優しさに、
少しだけ苦しくなる。
コンビニに寄る。
遥くんがアイスを見てる。
「なに食べる?」
「んー……」
そんな、
普通の時間。
幸せなはずなのに。
なんで私は、
こんなに苦しいんだろう。
歩く。
隣には遥くんがいる。
好きな人。
大好きな人。
失いたくない人。
そう思った瞬間。
急に不安が込み上げた。
もし。
もし遥くんが、
私を好きじゃなくなったら。
もし。
もっといい人を見つけたら。
足が止まりそうになる。
怖い。
怖い。
怖い。
気づけば、
口が動いていた。
「……遥くん」
「ん?」
「私のこと好き?」
遥くんは少し目を丸くしたあと、
ふっと笑った。
「……うん」
そして、
当たり前みたいに言う。
「大好き」
胸が痛い。
嬉しい。
なのに苦しい。
じゃあ。
じゃあ私は。
ちゃんとしてなきゃ。
期待に応えなきゃ。
弱いままじゃだめだ。
気づけば、
また言葉が出ていた。
「……じゃあ、
もう付き合う?」
言った瞬間に自分で分かった。
違う。
これは絶対違う。
でも止められなかった。
遥くんは、
少し黙った。
夏の夜の音だけが聞こえる。
遠くの車。
コンビニの自動ドア。
誰かの笑い声。
そのあと。
遥くんは静かに言った。
「……それ、本心?」
息が止まる。
「え」
「なんか」
遥くんは、
困ったように笑った。
「今の響子さんは、苦しそうに見える」
見抜かれた。
その瞬間、
胸の奥に隠してたものが、
全部ぐらつく。
「俺、響子さんに無理してほしくない」
優しい声だった。
責めるわけでも、
怒るわけでもなく。
ただ、
心配してる声。
だから余計に、
苦しくなる。




