第90話 狂騒曲 ~錯綜する反響~
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その女は身に不釣り合いな大盾を背負って歩いていた。
どこへ行こうとの意思もなく、ただひたすらに歩いていた。
胸に去来するのは漠然とした問い。
「あの人はなぜ死んだの?」
死ぬことにどんな意味があったのか。
それとも、そんなものはなかったのか。
そんな問いを胸に、盾女はさ迷い歩いている。
そこへ声がかかる。
「こんなところで何をしているの? 撤退するわよ!」
「サブリーダー?」
ひび割れた声が出た。
そこに入るはずのない人物と、数人の生徒がいた。
誰なのか、確認するだけの興味はない。
ただ、機械的に会話をする。
「マリカでいいわ。『レイド』は失敗。リーダーとかサブとか意味がない」
「し、しっぱい?」
感情が動いた。
自分が、まだ人間だと思い出す。
淡々と告げられた言葉が理解できない。
盾女は盾を落としそうになって慌ててしがみついた。
「ええ。失敗。リーダー以下本隊は壊滅した。ともかく、生存者を集めて63階層まで撤退よ。そのあとは・・・地上に出て学校側の責任を追及する!」
「地上に・・・、え。追及する?」
盾女の目に光が戻ってきた。
漠然としていた問いが形となっていく。
問うべき相手を示されたことで、方向性も定まった。
「早く帰りましょう」
大盾を背負いなおして、盾女は先を促した。
◇
『マリカ』は生存者を回収しつつ、上を目指す。
まずは、63階層。
そして、50階層で教師たちに直接『レイド失敗』を報告する。
◇
「うそ・・・」
「なによ、これ」
63階層まで撤退した生存者たちを待っていたのは、踏みにじられた幕舎だった。
遺体は見つからなかったが、命が失われた痕跡は随所に見られた。
何人いなくなったのか?
むしろ、生き残りはいるのかと疑問を覚えるほどの惨状だ。
「下にはいなかった。上に逃げたと信じるしかないわ」
マリカの言葉に、全員が頷く。
先駆けや後詰を探しながら登ってきた。
なのに、63階層からの避難者を見ていない。
いるはずの先駆けや後詰すら、見つけることはできなかったのだ。
上の階層へ期待するほかなかった。
そして、その期待もすぐに失われた。
奇妙な球で固められていた双子が証言したのだ。
自分たち以外に62階層へ上ってきた者はいないと。
『レイド失敗』。
その意味が一人一人にのしかかる。
来たときは266人いた。
今は30人にも満たない。
損耗率九割。
目が眩むような実情だった。
そうして、ついに彼女たちは50階層へと到着。
教師陣と相対することになる。
「生存者はこれで全員です」
マリカの声は静かだった。
けれど、その静けさが逆に重く響いた。
「・・・は?」
最初に声を漏らしたのは、酔いの残る中年教師だった。
グラスを持った手が、わずかに震えた。
「そんなはずはない。報告では、成功だったはずだ」
別の教師が端末を確認する。
だが、画面は沈黙していた。
「生徒たちが勝手に動いたんじゃないのか?」
「そうだ。指示を無視して、無謀な行動を取ったんだ」
「計画通りなら、こんな損耗率になるはずがない!」
教師たちは口々に言い訳を並べ始める。
その言葉は、まるで自分たちの責任を霧に包もうとするかのようだった。
マリカは一歩、前に出た。
その瞳は、冷たく澄んでいた。
「計画通り? なら、誰がその計画を立てたのか、はっきりさせましょう」
「・・・何が言いたい?」
「地上で、法に訴えます。記録も証言も、すべて提出します」
その瞬間、空気が凍った。
それは、教師たちにとって破滅を意味したからだ。
考えてみるがいい。
生徒を一人犠牲にすることが前提の『計画』。
そんなものを世間が受け入れるか?
受容されるわけがない。
だから、それは校内だけの『秘密』だった。
それを公表すると言われて慌てた。
「ま、待て。そんなことをしても、誰も得をしない」
「君たちも、学校に残りたいだろう? 進路に響くぞ」
「感情的になるな。冷静に話し合おう」
教師たちの声は、次第に焦りを帯びていく。
だが、マリカは動じなかった。
「冷静に話し合うなら、地上で。記録のある場所で」
「・・・っ」
誰も、言い返せなかった。
その場にいた教師たちは、初めて『自分たちが見ていなかったもの』の重さを知った。
「・・・」
その時、空気がわずかに揺れた。
誰も気づかない。いや、気づけない。
教師陣の中でも小柄な男が、音もなく影の中を滑るように動いた。
彼は『隠密』のスキルを持っていた。
かつて探索者だった頃、数多の罠をすり抜け、獲物の背後を取ることに長けていた。
今、その技術は『証言者の口を封じる』ために使われようとしていた。
標的は、生存者の一人。
まだ若い、魔術師の少女。
彼女は、記録を持っていた。
そして、マリカの言葉に頷いた一人だった。
刃が振るわれたのは、ほんの一瞬のことだった。
だが、少女がわずかに身を引いたことで、刃は命の核を逸れ、肩口を裂いた。
「きゃっ・・・! せ、先生が・・・っ!」
その声が、静まり返った空間に響いた。
血が床に滴る。
教師たちの顔が、凍りついた。
「な、何を・・・!」
マリカが叫ぶより早く、少女は倒れながらも杖を掲げた。
魔力が揺れる。
警戒の光が走る。
「記録は・・・残ってる・・・! 私だけじゃない・・・!」
その言葉に、教師たちの顔色が変わった。
誰かが息を呑み、誰かが一歩後ずさる。
「・・・やったのか、先生」
別の生徒が、震える声で言った。
「本当に・・・やったのか・・・!」
小柄な男は、何も言わなかった。
ただ、静かに刃を拭い、元いた場所に戻ろうとした。
だが、もう『隠密』は通じなかった。
全員の視線が、彼に向いていた。
「お、おい。さすがにそれは・・・」
一人の教師が、震える声で言った。
目の前で生徒が傷ついた。
それを見て、ようやく『やりすぎ』だと口にした。
だが、隠密スキルを持つ男は、振り返りもせずに答えた。
「九割まで損耗したんなら、『全滅』でも大して変わらん! 俺たちのクビの安全度以外はな!」
その言葉が、空気を変えた。
教師たちの目が、静かに、しかし確かに変わった。
「・・・確かに、全員いなくなっていれば、報告は書き換えられる」
「記録も、映像も、残っていなければ」
「生存者がいなければ、責任は問われない」
誰かが呟き、誰かが頷いた。
その目には、もはや教育者の光はなかった。
生徒たちは、言葉を失った。
だが、空気は確かに変わっていた。
教師と生徒、その間に、見えない刃が生まれていた。
「・・・先生たち、何を言ってるの?」
魔術師の少女が、血を流しながらも声を絞り出す。
「私たち、帰ってきたんですよ。生きて・・・!」
その声に、誰も答えなかった。
ただ、教師たちの視線が、冷たく生徒たちを見下ろしていた。
マリカは、前に出た。
その瞳は、怒りでも悲しみでもなく、ただ静かだった。
「・・・なら、私たちも覚悟を決めるしかないわね」
その言葉に、生徒たちが顔を上げる。
誰かが杖を握り直し、誰かが剣の柄に手をかける。
殺意は、教師だけのものではなかった。
生き残った者たちの中にも、火が灯っていた。
「・・・みんな。生き延びて!」
緊迫した空気の中、魔術師の少女が叫んだ。
その声は震えていたけれど、確かに届いた。
仲間たちの胸に、深く。
彼女は走り出した。
傷口から黒い血が滴る。
それは、ただの出血ではなかった。
毒か、呪いか。
体内で魔力が暴れ、皮膚の下で光が揺れていた。
「暗殺者か!?」
誰かが叫ぶ。
隠密スキルを持つ教師のジョブに、ようやく気づいた瞬間だった。
だが、もう遅かった。
少女の体から、魔力があふれ出す。
それは、制御された魔法ではない。
命の残り火を、力に変えた『最後の術』だった。
「ごめんね・・・でも、これで守れるなら・・・!」
その言葉とともに、光が爆ぜた。
魔力が空間を満たし、毒の波が教師陣を包み込む。
悲鳴が上がる。
誰かが倒れ、誰かが叫ぶ。
生徒たちは、目を見開いた。
その光の中に、少女の姿はもうなかった。
ただ、杖だけが床に転がっていた。
「・・・彼女、最後まで・・・」
マリカが呟いた。
その声は震えていた。
怒りでも、悲しみでもない。
ただ、誓いのような静けさだった。
教師たちは混乱していた。
毒に侵され、動けない者もいた。
その隙に、生徒たちは動き出す。
「逃げよう!」
「記録を持って、地上へ!」
少女の犠牲が、道を開いた。
その光は、絶望の中で確かに『希望』だった。
「——逃げろ」
教師たちをにらみつけながら、一人の少年が仲間の背を押した。
その声は、怒鳴りでも叫びでもなく、ただ真っ直ぐだった。
「お前は?!
振り返った仲間が、目を剝く。
少年は、力なく首を振った。
「俺はいかない」
「なぜ?!」
問いは、混乱と怒りと悲しみが混ざった叫びだった。
少年は、少しだけ笑った。
その笑みは、どこか寂しくて、どこか誇らしげだった。
「男ってさ、惚れた女の背中を追うものだろ?」
その言葉と同時に、少年は前へ出た。
教師たちの前に立ち、逃げる仲間たちの背中を守るように。
その姿が、さっき見たばかりの少女の背中と重なった。
命をかけて仲間を守った、あの光景と。
「ばかやろう・・・!」
誰かが、血を吐くように言った。
その声には、怒りも、悔しさも、涙も混ざっていた。
だが、誰も止められなかった。
少年の背中は、すでに決意に満ちていた。
仲間たちは、振り返らずに走った。
その背中に、少年は何も言わなかった。
ただ、静かに前を向いていた。
迷宮の空気が、張り詰めた。
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