表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『使い捨てられた補助スキル持ち、迷宮の主になって制服妖怪と学園祭を始める』  作者: 葉月奈津・男
マイルド(全年齢)版

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

90/357

第89話 宴(校長視点) ~逸らし続ける~

1/2

 


 宴のざわめきが、遠くから波のように届いてくる。

 その音を、校長は高所から見下ろしていた。


 ダンジョン内に設けられた中継拠点の見張り台。

 本来は警戒と通信の監視のための場所だが、今は誰も気に留めていない。

 教師たちは下で浮かれ、杯を交わし、笑い声を響かせている。


 校長はそこに加わらなかった。

 加われなかった。


 手すりに肘をつき、彼は静かに宴を見下ろす。

 その目は、笑い声の先ではなく、もっと遠くを見ていた。


 数字の羅列。

 予算案。

 報奨金の配分。

 成功報告書の草案。


「世界初の快挙」 その言葉が、どれほどの金を動かすか。

 どれほどの名声をもたらすか。

 それを思えば、杯を掲げる理由は十分にあった。


 だが、彼の胸に湧き上がるのは、熱ではなく、冷えた空洞だった。


 かつて、息子がいた。

 優秀で、誠実で、未来を託せると思った。

 だが、ダンジョンに呑まれ、帰らなかった。


 その死の報せから間もなく、一人の女が現れた。

「彼の子を身ごもっています」

 そう言った女を、彼は見なかった。

 聞かなかった。

 認めなかった。


 彼に残されたものは、金と肩書きだけだった。

 それで十分だと、何度も自分に言い聞かせていた。


 だが、宴の喧騒を見下ろすこの高さが、どこまでも孤独であることに、彼は気づいていた。

 見張り台の上、校長は静かに宴を見下ろしていた。

 だが、彼の目が本当に見ていたのは、酒でも教師たちでもなかった。


 駆馬だった。


 ずっと、目で追っていた。

 意識していないつもりだった。

 ただ、気になるだけ。

 ただ、目に入るだけ。

 ただ、視界に残るだけ。


 だが、その『ただ』が、周囲に歪んだ波紋を広げていた。


 教師たちは気づいていた。

 校長の視線が、あの少年にだけ向いていることを。


 それは『期待』ではなかった。

『監視』とも違った。

 もっと曖昧で、もっと重いもの。


 だからこそ、教師たちはカルマを避けた。

 生徒たちは、教師の態度を真似た。

 誰もが、カルマを『触れてはいけない存在』として扱った。


「校長が見てるから」 その言葉は、誰にも口にされなかった。

 でも、誰もが知っていた。


 カルマが『全校を上げてないがしろにされる』原因は、そこにあった。

 誰も彼を見ない。

 でも、校長だけが見ている。

 その歪んだ構図が、彼を孤独に沈めていった。


 校長はそれを知らない。

 いや、知っていたのかもしれない。

 ただ、認めなかっただけかもしれない。


 見張り台の上、彼はまたカルマの姿を探す。

 迷宮の奥、画面の中、報告書の断片。

 どこかに、あの子がいる。


「・・・あの子は、まだ生きているか?」


 その呟きは、風に流れて消えた。

 宴の喧騒は続いていた。

 誰も、校長の視線の意味を問わなかった。

 誰も、カルマの孤独の理由を語らなかった。


 ただ、迷宮だけが知っていた。

 その視線が、どれほど冷たく、どれほど重かったかを。


 見張り台の上、校長は駆馬の姿を探していた。

 迷宮の奥、報告書の断片、映像のノイズ。

 そのどれにも、彼の姿はない。


 ずっと、目で追っていた。

 それは『見守り』だったはずだ。

 そう思っていた。


 だが、いつからか苦しくなっていた。

 駆馬を見るたびに、息子の面影がよぎる。

 あの子の目に、あの子の声に、あの子の孤独に——自分が切り捨てた『過去』が、静かに揺れていた。


 それでも、何もできなかった。

 何も言えなかった。

 何も渡せなかった。


 だから、校長は『処理』を選んだ。


「駆馬に重要な役割を担ってもらう。『武器』になってもらう」。

 その案が出たとき、誰もが一瞬ためらった。

 だが、校長だけは頷いた。

 それは合理的な判断だった。

 戦術的な選択だった。

 そして、感情的な逃避だった。


『苦しいなら、いっそ消してしまおう』。 その思考は、静かに彼の中に沈んでいた。

 誰にも見せず、誰にも語らず。

 ただ、決裁印だけが彼の意志を代弁した。


 カルマは『武器』になった。

 誰も疑問を持たなかった。

 それが『校長の判断』だったから。


 見張り台の上、校長はまたグラスを傾ける。

 酒の熱が、胸の冷えを誤魔化してくれる。

 それだけが、彼の慰めだった。


「・・・あの子は、もう消えたか?」


 その呟きは、風に溶けて消えた。

 だが、迷宮は聞いていた。

 その言葉が、どれほど冷たく、どれほど重かったかを。



 校長の部屋の金庫には、一通の封筒が眠っている。

 厚手の紙に、古びたインクで書かれた遺言書。

 その筆頭には、たった一つの名前が記されている。


 ——駆馬。


 彼は、その名を記した記憶を持っていない。

 いや、正確には『思い出さないようにしている』。

 あの夜、酒に酔い、誰にも見られぬように書き上げた。


 それは、感情を整理するための行動だった。

 ただの『整理』。

 そう思い込んでいた。


 だが、時折ふと、夢に見る。

 あの女が、雨の中で立ち尽くしていた姿を。

「この子は、あなたの孫です」。そう言って差し出された手を、彼は見なかった。

 見なかったはずだった。


 けれど、なぜか覚えている。

 その手が、震えていたことを。

 その目が、何かを訴えていたことを。


「もし、あの時——」

 校長は、グラスを置いた。

 酒の熱が、胸の奥で冷えていく。


 駆馬の名を、彼はずっと見ていた。

 見ていたのに、何も与えなかった。

 何も語らず、何も残さず。

 ただ、『武器』として戦場に配置した。


 それが、彼なりの『けじめ』だった。

 過去との決別。そして責任の取り方。

 そう思っていた。


「・・・やれやれ、まったく」

 校長は、見張り台から視線を落とす。

 宴の灯りが揺れていた。

 その奥に、かつての自分がいた。

 そして、今の自分がいる。


 だが、あの子はもう、そこにはいない。

 彼の視線の届かない場所へと、流れていった。


 ・・・そのはずだ。



読了・評価。ありがとうございます。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ