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『使い捨てられた補助スキル持ち、迷宮の主になって制服妖怪と学園祭を始める』  作者: 葉月奈津・男
マイルド(全年齢)版

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第88話 まほら ~旧校舎の蠢動~

2/2

 


 旧校舎に風が迷い込んだ。

 黒板の前。

 ノートのページが、一枚めくれた。

 そこには、見覚えのない文字が並んでいた。


「64階層:旧校舎・西棟」

「63階層:旧校舎・地下倉庫」

「62階層:旧校舎・屋上迷路」


『ナニカ』は、首をかしげる。

 そんな企画、書いた覚えはない。

 でも、文字は確かに“自分の癖”で書かれていた。


 ——誰かが、夢を覗いている。


 廊下の軋みが、少しだけ重くなった。

 階段の数が、昨日と違う。

 窓の外に見える空が、少しだけ深い。


『ナニカ』は、校舎の空気に『異質な層』が混ざっていることに気づいた。

 普通ではない気配を感じたのだ。

 旧校舎の見回りが始まる。


 ◇


 旧校舎の一室。

 夕方の光が、曇った窓を通して、教室の隅に届いていた。

 埃が積もった机の下。

 そこに、誰かがいた。


 制服姿の女の子。

 膝を抱えて、顔を伏せて、声もなく泣いている。


 幻影だ。

 でも、確かにそこにいる。


 誰も声をかけない。

 誰も気づかない。

 でも、床には、涙の跡が残っていた。


 ぽつり、ぽつり。

 埃を濡らして、形を変えて、その涙は、まるで“記憶のしずく”のようだった。


『ナニカ』は、教室の外からそれを見ていた。

 その姿に、見覚えはない。

 でも、泣いている理由だけは、なんとなくわかる気がした。


 ——誰にも言えなかったこと。

 ——誰にも見られたくなかった気持ち。

 ——それでも、誰かに気づいてほしかった願い。


 幻影の女の子は、ふと顔を上げる。

 でも、目は虚ろで、誰も見ていない。

 ただ、教室の隅を見つめている。


『ナニカ』は、そっと近づく。

 でも、声はかけない。

 この涙は、誰かの『日常』だった。

 誰かが、ここで泣いたことがある。

 それだけで、旧校舎は、今日も生きている。


 幻影は、やがて立ち上がる。

 机の上に、何かを置いて、静かに消える。


 残されたのは、小さな紙切れ。

 そこには、震える文字でこう書かれていた。


「ごめんなさい」


『ナニカ』は、それを拾わず、ただ見つめていた。

 そして、ノートの隅に一行だけ書き足す。


「謝罪の教室(旧2年3組)」


 それは、誰かが泣いた記憶。

 そして、誰かが許されたかった願い。


 旧校舎は、それを忘れていない。


 ◇


 旧校舎の理科準備室。

 棚の薬品は干からび、窓は曇っている。

 でも、空気だけが、少しだけ揺れていた。


 教室の中央。

 制服姿の少年が立っていた。


 右手に、細い杖。

 左手は、空を掴むように伸ばされている。


 幻影だ。

 でも、確かにそこにいる。


「風よ、集え」

 少年の声は、かすれていた。

 でも、その言葉に応えるように、棚の紙がふわりと浮いた。


 風が、動いた。


 幻影なのに、風が吹いた。

 埃が舞い、窓のカーテンが揺れた。

 誰もいないはずの教室に、風の魔法が再現された。


 少年は、何度も失敗していた。

 杖が震え、魔法陣が崩れ、風が止まる。

 でも、何度も立ち上がる。

 何度も、風を呼ぶ。


『ナニカ』は、扉の外からそれを見ていた。

 その姿に、見覚えはない。

 でも、努力の形だけは、なんとなく知っていた。


 ——誰にも見られない場所で、——誰にも褒められない時間に、——それでも、誰かになりたかった願い。


 少年の幻影は、最後に一度だけ、風を成功させる。

 教室の空気が、静かに渦を巻く。

 その風が、ナニカの髪を揺らした。


 幻影は、満足そうに微笑む。

 そして、静かに消える。


 残されたのは、床に描かれた魔法陣の跡。

 チョークで描かれたそれは、まだ消えていなかった。


『ナニカ』は、そっとノートに書き足す。


「風の練習室(旧理科準備室)」


 それは、誰かが努力した記憶。

 そして、誰かが風を起こした証。


 旧校舎は、それを忘れていない。


 ◇


 旧校舎の体育館裏。

 夕暮れの光が、壁の影を長く伸ばしていた。

 風は止まり、空気は静か。

 でも、そこに、二人の姿があった。


 制服姿の男女。

 幻影だ。

 でも、確かにそこにいる。


 男の子は、ポケットから何かを取り出そうとしていた。

 小さな箱。

 リボンがついている。

 女の子は、ほんの少しだけ顔を伏せて、笑っていた。


 その笑い声は、壁に染み込んでいた。

 まるで、校舎が覚えているかのように。


『ナニカ』は、遠くからそれを見ていた。

 その空気に、懐かしさを感じていた。

 でも、次の瞬間——


 男の子の姿が、ふっと消えた。


 女の子は、驚いたように顔を上げる。

 そして、周囲を見回す。

 誰もいない。

 何もない。


「・・・まさし?」

 小さな声が、体育館の壁に響いた。


「まさし・・・どこ・・・?」


 幻影なのに、声が震えていた。

 幻影なのに、涙がこぼれそうだった。


 女の子は、壁に手をついて、立ち尽くす。

 その手の跡が、ほんのり温かく残った。


『ナニカ』は、近づかない。

 この記憶は、誰かの『約束』だった。

 誰かが、ここで待っていた。

 誰かが、来なかった。


 幻影の女の子は、やがて静かに消える。

 でも、壁には、手の跡が残っていた。

 そして、地面には、小さな箱が落ちていた。


『ナニカ』は、それを拾わず、ただ見つめていた。

 そして、ノートの隅に一行だけ書き足す。


「待ち合わせの場所(体育館裏)」


 それは、誰かが待っていた記憶。

 そして、誰かが呼びかけた名前。


 旧校舎は、それを忘れていない。


 ◇


 旧校舎の美術室。

 石膏像は、静かに佇んでいた。

 棚の絵具は乾き、筆は固まっている。

 でも、空気だけが、少しだけざわついていた。


『ナニカ』は、部屋の隅に立っていた。

 何かが、動いている気配。

 でも、誰もいない。

 何もいない。


 机の下。

 小さな虫が、ゆっくりと這い出してきた。

 それは、ただの虫だったはず。

 でも、背中に、校章のような模様が浮かんでいた。


 虫は、机の脚に触れる。

 その瞬間——


 机が、わずかに震えた。


『ナニカ』は、目を細める。

 机の脚が、ほんの少しだけ、曲がった。

 まるで、関節のように。


 虫が、再び触れる。

 今度は、机の引き出しが開いた。

 中から、古いノートが飛び出す。

 ページが、風もないのにめくれる。


「ここにだって、誰かいた」

 そんな声が、ノートから聞こえた気がした。


『ナニカ』は、机に近づく。

 待っていたかのように、机の脚が、ゆっくりと動いた。

 まるで、立ち上がろうとしているように。


 石膏像の目が、わずかに揺れた。

 棚の絵具が、ひとりでに蓋を開けた。

 筆が、空中に浮かび、何かを描こうとしていた。


 ——記憶が、思いが、命に——モンスターに、なろうとしている。


『ナニカ』は、後ずさる。

 これは、祭りじゃない。

 これは、演出じゃない。

 これは、ダンジョンの始まりだ。


 ノートのページが、最後までめくられた。

 そこには、震える文字でこう書かれていた。


「展示妖怪:机の精・ノートの声・筆の舞」


『ナニカ』は、ノートを閉じる。

 でも、机はまだ動いていた。

 虫は、壁の隙間へと消えていった。


 旧校舎が、記憶を超えて、命を生み出してしまった。


『ナニカ』は、静かに呟く。


「・・・そうくるか」


 そして、ノートの隅に一行だけ書き足す。


「展示室(妖怪化進行中)」


 それは、旧校舎が『迷宮』になった証。

 そして、誰かが『夢を借り続けた』代償。


 ◇


 この少し前、体育館裏で、『供物』が捧げられたことを『ナニカ』は知らなかった。

 ただ、知った時、驚きと、悲しみ、そして喜びで、我を忘れることとなる。



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