第71話 流れゆくもの
1/2
同時刻、水に流された最後尾4名は水の中にいた。
トイレをモチーフらしい白いタイル張りの床に水が溜まっている。
水深は意外と深く、男子の腰の高さぐらいありそうだった。
水は淀み、薄明りの中で白いのだろうタイルが灰色に見えている。
そのタイルが、一瞬黒い影に遮られた。
「な、なにかいる?!」
誰かが叫んだ。
指さす先、わずかに盛り上がった水面が視線を横切った。
「戦闘用意!」
A小隊長が号令をかける。
周囲で武器を構える気配が立つ。
ザバン!
水音がした。
「Aが消えた!」
近くにいた者が報告を上げた。
ひときわうねりの高い水面をにらんでいる。
「水中戦?!」
水で、通常よりも裾が広がっているスカートを抑えていた女子Aが悲鳴を上げた。
この中で走り回るのか!
そういうことだろう。
「冗談じゃないわ! 何とか水の中から出ないと!」
A小隊長も同意のうなずきとともに、辺りを見渡す。
なんにせよ、消えた男子Aの位置確認を優先させなければならない。
流されてきた方向、板の廊下のことは見ないようにしていた。
「ゲハッ!」
水面から男子Aが顔を出した。
何とか逃れられたらしい。
横に黒いシルエットが立っている。
「フレアランス!」
すかさずA小隊長の魔法が撃ち出された。
直撃。
シルエットが揺れた。
いける!
「フレアランス!」
好機と見たA小隊長が攻撃を強めた。
炎槍の残り火がシルエットだったものを照らし出す。
「か、カッパ?」
声が重なった。
見えたのは『河童』だった。
彼女・・・そう、女性だ。
その肌は、雨上がりの葉に宿るアマガエルのように、しっとりとした緑。
薄い明りを受けて、やわらかく艶めいてすらいる。
長く流れる髪は深い森の影のような緑。
その中に浮かぶ皿。
手足には水かきがあった。
それなのに・・・なぜか黒のセーラー服をきている。
私たちと同じものだ。
「学校の怪談で、妖怪?」
「ふざけてる!」
声とともに攻撃が増える。
しかし・・・。
「は?」
防がれた。
奇妙な形の大盾だ。
「あ、あんなもの持ってて、水中でどう動くんだよ!」
理不尽だ!
男子Bが抗議した。
答え合わせをするかのようにカッパは大盾を背負ってみせる。
「ああ、甲羅か。・・・じゃねぇわ!」
苛立った様子で男子Bが斬りかかる。
ようやく呼吸が安定したらしい男子Aも続いた。
前後からの挟撃。
河童は滑るようにスライドして回避。
同時に男子Aの背後に回り込んだ。
「ゲッ?!」
男子Bの振り下ろした剣がAに届いた。
河童が背中を押していたのだ。
男子Aの姿が水面に吸い込まれるように消えた。
姿が見えなくなったカッパに、回収されて運び去られたのだ。
◇沢辺みどり視点◇
水が静かになった。
さっきまでのざわめきが、まるで嘘みたい。
私の周りには、もう誰もいない。
ただ、制服の赤いリボンが、胸元でまだ揺れている。
戦った。
迷いはなかった。
でも、痛みはあった。
男子Aの背中を押したとき、彼は私を振り返った。
だから、私は彼の目を見た。
驚きと、恐怖と、少しの・・・哀しみ。
それは、かつての私が持っていたものだった。
私はもう人間じゃない。
制服は、ただの装備じゃない。
これは、私が『私』であるための証。
「可愛いよ」って言われたあのとき。
私は初めて、自分の姿を肯定できた。
妖怪になったことが、罰じゃなくて、始まりだったんだって。
でも、戦いの中で、彼らの顔を見て思った。
私が笑えるようになった代わりに、彼らは笑えなくなっていた。
でも、あの人たちは本心で笑えていたのだろうか?
『人間だった頃』の私のように、笑っているふりをしているだけかもしれない。
だとしたら、それは、悲しいことだった。
私は彼らにとって理解しがたい存在だっただろう。
彼らにとっては、脅威で、異物で、排除すべき存在。
でも、私は——ただ、笑えるようになっただけだった。
制服の袖を握る。
それは、私が『人間だった頃』の名残じゃない。
『今の私』が選んだもの。
『妖怪の私』が、誇りを持って着ているもの。
水の中は静かで、優しい。
でも、そこに沈んでいく彼らの姿は、私の心をざわつかせる。
戦いは終わった。
でも、問いは残る。
私は、これからも戦う。
でも、誰かが「可愛いよ」って言ってくれる限り、私は、笑える。
そ れが、私の『強さ』なんだと思う。
私は河童。
私は沢辺みどり。
私は、もう『人間』じゃない。
でも、『人間だった頃』よりも、ずっと『私』になれた。
残り21人。
◇A小隊長視点◇
水は静かになった。
さっきまでのうねりが嘘みたいに、ただの水面が広がっている。
でも、そこにいた『彼女』の気配は、まだ消えていない。
河童——そう呼ぶには、あまりにも人間に近かった。
黒のセーラー服。
赤いリボン。
私たちと同じ制服を着ていた。
そして、おそらくだがかつては人間だったことがあるのではないか?
そんな気がしてならなかった。
それなのに、あの肌。
あの甲羅。
あの皿。
そして、あの笑顔。
あれは、勝者の笑顔だった。
でも、どこか悲しげで、どこか優しくて。
まるで、私たちのことを責めていないような、そんな顔だった。
男子Aはまだ戻ってこない。
水の中に消えたまま。
彼女に連れて行かれた。
それが、事実だ。
でも、あの瞬間——彼女が制服の袖を握っていたのを見た。
それは、まるで自分の存在を確かめるような仕草だった。
人間だった頃の記憶を、手繰り寄せるように。
私は、抗った。
相対するものとして、彼女を排除しようとした。
でも、今になって思う。
あの子は、本当に『相対するもの』だったのか?
彼女は、笑っていた。
それは、私たちが忘れてしまった笑顔だった。
探索者として、戦い続けるうちに、私たちは『笑う』ことを忘れた。
彼女は妖怪になった。
でも、笑えるようになった。
それが、彼女の『強さ』だったのかもしれない。
制服は、ただの装備じゃない。
それは、彼女の『誇り』だと見えた。
人間だった頃の自分を否定するためじゃなく、今の自分を肯定するために着ているのだと、そう思えた。
私は、まだ人間だ。
でも、あの笑顔を見てしまった。
だから、もう—— 彼女と『相対する』ことはできないかもしれない。
水面に映る自分の顔は、どこか揺れていた。
それは、恐怖じゃない。
羨望だったのかもしれない。
そんなはずはないと、心のどこかで否定しながらも、胸の奥がざわついていた。
・・・。
だめだ。
揺れてしまっている。
私はまだ人間だ。
人間でいることを諦めきれない人間だ。
だから、『羨望』なんてしていいわけがない。
『アレ』は敵だ。
戦って倒すべき敵。
自分を奮い立たせる。
評価いただけると続編を書く意欲に直結します




