第69話 熱意のこもる泥
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「な、なに、なんなの? あれ?!」
全力で走り、息が切れて立ち止まった女子D。
壁に手をついて、小休止していた。
荒れた呼吸をゆっくりと鎮めていく。
『逃げる』のは昔から得意だった。
危機が訪れるときにはいち早く察知して逃れる。
誰かの陰に隠れる。
そうやって身を守った。
身を守ってさえいれば、チャンスは訪れる。
例えば、隠れ蓑に使った仲間が傷を負い、誰かが癒している時。
隙ができた無防備なところをモンスターが攻撃してくる。
これを倒すだけで、恩を、名を売れた。
その成果が、今の、この地位だ。
実力で言えば中級探索者、なのに最精鋭に数えられているのはその積み重ねがあったからに他ならない。
誰かを犠牲にして、自分の立ち位置を上げてきた。
彼女はそんな探索者だった。
だからこそ、『コレはダメだ』と思ったとき、すぐに背を向けられたのだ。
思考は入らなかった。
ただの本能だ。
「仕方ないじゃない!」
実力は中級。
この深度のモンスターと単独で戦える力なんてない。
二人で死ぬか、一人で逃げるかの選択。
後者を選んで何が悪い!
しかも、相手は得体のしれない化け物だった。
逃げたことの正当性が増していく。
外見を思い出した。
バストショットで見ればきっと、そこそこ可愛い女子だ。
だけど腰・・・いや、それより上しかなかった。
下がなかった。
「体が半分ないくせに、たすけてとか・・・って?!」
ここで、女子Dは何かを思い出した。
「まさか! テケテケ?!」
怖い話では有名どころだった。
「くッ! ダンジョンで怪談とか、バカじゃないの?!」
「ホントよ。カンベンしてって思うわよね」
「え・・・?」
思わず高くなった言葉に、反応された女子Dは振り向いた。
やはり人間の女。
それも制服姿で・・・立っている。
今度は足がある。
だけど・・・。
「あ、あなたも人間じゃないわね?!」
後退りながらも強気で声を張った。
やはり、本隊メンバーではない顔だ。
「だとしたら・・・どうする?」
「フレアアロー!」
返事は魔法だった。
同時に、身を翻して駆け出す。
魔法の結果は見ていなかった。
単独の魔法で勝てると己惚れるほど、強くはない自覚があったから。
その背中を見つめる『女』が息を吐いた。
ここへ来る前、『ダンジョンマスター』は言っていた。
『本隊メンバーの魔職は、火属性が多いんだ。なにせ、虫には『火』が一番だからね』。だから、63階層では水と風が多かったんだよ、と。
「ふう・・・言わないとダメかしら?」
フレアアローが掠めて、白い煙なのか湯気なのかを上げている肩を抑えて、『女』が呟く。
そして・・・。
「ひーきーかーえせー!」
低く作った声で叫んだ。
「誰が!」
もちろん、女子Dは構わずに走り続けて・・・。
「え?!」
埋まってしまう。
薄暗い通路。
一部が泥になっている。
数段低くなった凹みに泥が溜まっていた。
そこに気付かないまま踏み込んだのだ。
腰のあたりまでずっぼりと嵌ってしまう。
泥にスカートが浮いて花のように広がっている。
「だから言ったのに、引き返せって」
「ひっ!」
頭の後ろで声がして、振り返る。
スカートでしゃがみ込む『女』がいた。
「この泥はね、誰かが言えなかった言葉でできてるの」
みずほは、泥の中から聞こえる声に耳を澄ませた。
「ごめん」「待って」「好きだった」
それらが、熱を持って彼女の足元を撫でていた。
「ど、泥の声? どうかしてる!」
女子Dは必死に体を動かした。
泥から逃れようとする。
だが、その動きは徐々に緩慢になっていく。
彼女自身の疲労によるものではない。
泥が硬化し始めていた。
「泥は乾くのよ?」
言葉とともに、腰から下が冷えて形となっていくのが分かった。
乾ききった冷たく固いモノへと変質していく。
「ウソ、ウソ―!」
泥が固まり、女子Dは通路の一部のようになっていた。
どうやっても抜け出せない。
それどころか、足を一ミリも動かせない。
「フレアアロー!」
眼下の石の床に撃ち込んだ。
乾いた土が柔らかくなる。
「やめた方がいいと思うけど?」
「フレアアロー、フレアアロー、フレアアロー!」
女の言葉を無視して、魔法を撃ち続ける。
固まりかけていた泥がどんどんと柔らかくなる。
「これなら!」
抜け出せる!
床に手をついた。
ズボッと沈み込む。
「え?」
力を込めたとたん、腕が肘まで埋まる。
両腕だ。
そして・・・。
「あ、あつい・・・」
足元から熱が伝わってくる。
泥が熱を持っていた。
「泥風呂ね。・・・肌がすべすべになるわ。・・・サウナ、好き?」
「アツ! 熱い!」
逃れようとする女子D。
その体に、泥から這い出た手が掴みかかる。
一本、二本・・・。
数えられないほど重なっていく。
「あつい、熱いィィィィィィぃ!」
女子Dはゆっくりと泥に埋もれていく。
中は湿度たっぷり。
蒸気を含む泥。
女子Dは叫び続けた。
泥の熱が、皮膚を通して意識を塗り込めにくる。
「やだ・・・やだ・・・!」
泥の中で、彼女の声は泡になって消えた。
泥の中で、誰かの手が彼女の手を握った。
「・・・また会えた。もう、離さない」
その声は、聞き覚えがあった。
でも、思い出せない。
泥が、記憶を曖昧にしていく。
最後に残ったのは、目を見開いたままの顔。
白い湯気が頬を、髪を寝かしつけるようだ。
優しく撫でられる頬は、ほんのりと赤く、可愛らしい。
逃亡。
そして、拒絶。
彼女の罪は泥に溶け、蒸気となる。
それも、ゆっくりと泥に沈んでいった。
「泥になってしまうわね?」
笑うように、憐れむように。
女は呟き、腰を下ろした。
泥の中から、巨大なウシガエルが這い出てきていた。
背中には無数の腕か何かを掴むように、招くように揺れている。
「私も、ちょっと熱いわ」
くつくつと動いている泥の床を見下ろして、胸元をはだけた。
薄暗い廊下。
その中でよく見ると、制服のジャケットは乾いた泥のようにひび割れていた。
袖は肘までまくられ、露わになった腕には、農家の娘らしい陽に焼けた色が残っている。
前を開いた胸元には、白いTシャツ。
その中央に描かれたカエルの図柄が、どこか不気味に笑っていた。
首元には赤いネクタイがゆるく結ばれていて、風に揺れるたび、まるで問いかける舌のように見えた。
彼女の髪は黒から金へと変わる稲穂色。
長く流れるその髪が、背後の泥の気配を撫でていた。
そして、彼女の膝下には、泥でできた巨大なウシガエル。
その背中からは、かつて名前を持っていた者たちの腕が、空へ向かって伸びていた。
苦しみからか、希望からか。
その手は、誰かに届くことをまだ信じているようだった。
稲田みずほは、静かに立っていた。
問いかけるでもなく、答えを待つでもなく。
ただ、そこにいる。
泥田坊としての彼女が司るのは、・・・。
場所を守る義務。
蓄積される想い。
責任の追及。
そして、警告。
彼女は、罪へと向かう者に叫ぶためにいる。
「ひーきーかーえせー!」、と。
◇
泥の中から、 かすかな声がした。
「・・・ずっと、いっしょ・・・」
「いや、いやよ。わたしは! わたしって・・・・だれ?」
それは、名前を失った誰かの、最後の記憶だった。
評価いただけると続編を書く意欲に直結します




